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2005年4月

2005年4月30日 (土)

日本初の男性ヌード写真集

『写真集 K氏の華麗なる私的メンズヌードコレクションより 脱いだ男たち』

barasoukangou nuidaotoko

日本で最初の同性愛の専門誌『薔薇族』を1971年(昭和46年)に創刊させてしまったものだから、それからぼくのやることなすことが日本で最初ということになってしまった。
1972年の4月に刊行された『脱いだ男たち』は、日本で最初の男性ヌード写真集だった。
この写真集はK氏なる人物がプライベートに撮影していたものを仁科勝さん(ペンネーム・国営放送の社員だった方)が編纂したということになっている。小さな紙焼きの写真を拡大したので、どれもピンボケの写真、それにオチンチンの部分は、白く大きく抜いてある。口の悪い人がトクホンを貼ったみたいと言ったが、あっという間に1冊残らず売れてしまった。
この本の装丁は藤田竜さん、創刊号の表紙絵を描いた人で、今見ても新鮮な感じを與える見事な出来ばえだ。
人間、“運”の良し悪しを持ち合わせているのでは。『薔薇族』を創刊する以前に、藤田竜という類稀なる才能の持ち主と、ぼくが出会ったということ、ぼくは本当に運が良かった。
(株)第二書房は単行本ばかりを出版してきた出版社だったので、雑誌を作る経験はまったくぼくにはなかったのだから。
雑誌作りのベテランで、企画力もあり、絵も描き、文章も上手、写真撮影も上手、レイアウトもできるという抜群の才能の持ち主だった。
書店で『脱いだ男たち』なんていう書名の本を求めるべく、レジに持っていく勇気は、当時の読者にはないだろうと、藤田君はとんでもないことを帯に書き込んだ。
「画家・イラストレーター・絵画愛好家・画学生のための“デッサン用!”さまざまの姿体を242葉の写真で表現した貴重本!」
33年前の読者諸君、この写真集を買うときにだけ、画家のふりをしてレジに持っていったのかと思うと、それもドキドキしながら・・・いい時代だったのでは。

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2005年4月29日 (金)

美輪さんの友情に感謝

bungakumiwa

4月21日、全国の書店の店頭に『薔薇族』の復刊第1号が並んだ。下北沢北口駅前の博文堂書店にも10冊ほど置いてある。
一度、廃刊になった雑誌が復刊になるという例は出版界では皆無に等しいそうだから、ぼくという人間は、これまた“運”がいいとしかいいようがない。
復刊第1号の目玉は、なんといっても編集長であるぼくと美輪明宏さんとの対談だろう。
3月からの「黒蜥蜴」(くろとかげ・三島由紀夫原作)の稽古に入る前のたった1日だけの休日を使って、ぼくとの対談を実現させてくれたのだ。
(株)メディアソフトの社長さんも気を使ってくれて、目黒の雅叙園のロイヤル・スイートルーム(1泊30万円)を借りてくれた。
人間落ち目になるとしょぼくれてしまう人が多い。こんなときこそ、パリっとしなければいけないと、本当は印刷屋に少しでも借金を払わなければいけないのだけれど、なけなしのお金をはたいてスーツを新調して、対談にのぞんだのだ。
できれば二人っきりで本音で話をしたいと思っていたのだが、なんと『薔薇族』の発行元の社長さんから、経理部長の女性、社員の面々5、6人が美輪さんを一目見たいとずらりと並んでいるではないか。
ぼくが質問するまでもなく、美輪さんはとぎれもなく、2時間たっぷりおしゃべりしてくれた。
復刊第1号には、美輪さんとの対談の頁はカラーで20頁もついやして掲載されている。そして5月21日の7月号にも後編が載ることになっている。
美輪さんとの対談が掲載されるというので取次店の印象もよく、部数も多く書店に流してくれたし、普通だとこの手の雑誌は置いてくれないような、お堅い本屋さんまで店頭に置いてくれたようだ。
美輪さんの友情には感謝の言葉もないが、美輪さんに助けられての船出と言っていいだろう。
廃刊になったとき、ひとりの読者から「自分の帰るべき家がなくなってしまったようだ」とメールをもらった。ぐさっとくるような言葉だったけれど、多くの人たちのご支援で復刊できたことは、これ以上の喜びはない。
いつまでも雑誌を出し続けていかれるように、ぜひ、書店でお求め下さい。ぼくのホームページからも購入できますのでよろしく。


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2005年4月25日 (月)

「祭」の幕は上がった!

maturihyousi

1976年(昭和51年)5月18日に、伊藤文學の談話室「祭」が新宿厚生年金会館のとなりのQフラットビル2階にオープンした。今から29年も前のことだ。

それ以前に美輪明宏さんが「クラブ巴里」を廊下をへだてた向い側にオープンさせていた。壁もテーブルも、椅子もすべて薄いピンク色、自宅から運びこんだ豪華なアンティークの装飾品で飾りつけられていた。

オイルショックのあとの不況の時代で、ビルの2階はお店用に作られていたが、借り手がなかった。オーナーの邱永漢さんと親しい美輪さんがまず店を出し、そのあとに、ぼくがお店を出すことを決意したのだ。

ぼくがお店のオーナーであるということで『薔薇族』読者も安心して扉をあけることができるのではないかと考えたからだ。

その頃、新宿2丁目にも数十軒のゲイバァはあったが、どの店も営業時間は夜に限られる。そうだ昼間から営業する店をだそうという発想が湧いた。そうすれば男女が喫茶店で出会うように、男同士でも出会える場になるのではと。

読者の保利精作さんが、『薔薇族』のNo.43 8月号にこんなルポを書いてくれている。

「5月18日、午後6時少し前、新宿厚生年金会館の向かって左隣、しょうしゃな白いビル、”Qフラット”の赤いカーペット敷きの廊下を2階に上がると奥の突き当たり、右手に美輪明宏さんの「巴里」、それに向かい合って、今夜オープンする「祭」がある。幕が上がる前の緊張した空気が開け放たれた扉口にまで溢れてきている。

浴衣に祭半纏でピシリときめた中年紳士が受付けを預かっていたが、これがナント間宮浩さん。もう一人明るいチェックのブレザーにチョビヒゲの小柄な嵐万作さんが助手格で。

定刻前、タクシーで駆けつけた伊藤文學氏に付添う奥様は紺色の紗のお召しをきりっと着こなし、どこのマダムかと見紛うばかりの変身ぶり。

会費を払って創刊5周年記念号(7月号)の『薔薇族』と記念品を貰い中に進むと、上野駅前の文省堂書店や、作家連から贈られた薔薇や、しゃくやくの花束が飾られて、華やいだサロンに開店を祝いに集まった男たちがたむろし、初めは人見知りのぎこちなさもあったが飲物がいきわたるにつれて会話も弾み、和風に統一されたサロンの提灯が熱気にゆれる。

余興の流し演歌40年の阿部徳二郎さんの喉に百人を越す仲間も入れ替わり唱和したので近所から騒音公害だと文句が出て、おまわりさんが遠慮がちにかけつける一幕もあった」とオープンの日の熱狂ぶりを伝えている。

それからの「祭」の盛況さはものすごかった。この時代の熱気を時代がかわった今、ネットで再現させようと考えた。このお祭広場にみんなが集まって、意見を交換し、少しでもゲイの世界が向上していくようにして行きたい。

さあ諸君!伊藤文學の談話室「祭」の扉を開けよう!

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