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2005年5月28日 (土)

女流作家を妻に持って

sakka  1990年6月に毎日新聞社から刊行された『作家の風景」の著者は小島千加子さんだ。小島さんは新潮社でずっと文芸誌『新潮』の編集者として定年まで勤められた方だから、多くの有名作家と深いお付き合いのあった方だ。この本には川端康成、三島由紀夫、室生犀星など、17人の日本を代表する作家たちと深いお付き合いが浮き彫りにされている。

その中でとくにぼくが興味を持ったのは、女流作家の円地文子さんのことだ。ぼくは不思議なご縁で、円地さんのご主人の与四松さんと何度もお会いしていて、小島さんの知らなかったことをぼくは知っていたからだ。

銀座の数寄屋橋、現在はソニービルが建っているあたりに、大通りに面して大雅堂書店という本屋さんがあった。そこのご主人がなぜかぼくのことを気に入ってくれて、『薔薇族』創刊号から直接仕入れてくれていた。

いつも決まった日に、決まった時間に自分で運転する車で届けていたから、『薔薇族』が到着するのを首を長くして待っていてくれるお客さんが何人もおられた。『薔薇族』が届くとすぐさま表通りに面したウインドーの中の一番良い場所に飾ってくれるのだからうれしかった。

そこで円地文子さんのご主人の与四松さんと出会ったのだ。なんと参議院議員でもあった今東光さんともお会いして、大きな名刺を頂き「遊びにきなさい」と声をかけてもらったこともある。

与四松さんからは東海大学教授の肩書きの名刺を頂いたと覚えている。国立国会図書館の創設に力を貸した方だそうで、そこの応接までお話を何度かさせて頂いた。家を建て替えるので「君にゲイの資料をあげるから取りにきなさい」とまで言ってくれた。

小島さんは円地文子さんのことをこう記している。生活の匂いのまったくない人、それは明治の国文学者の上田万年博士のお嬢さんだったからだと。自分の手でお米をといで、ご飯を炊いたことが一度もなかったそうだ。

与四松さんは東京日日新聞のベルリン特派員で、ドイツの飛行船、ツェッペリンに同乗して日本に帰国した花形記者だった。その頃お見合いをして結婚したが、文子さんの好みには与四松さんは合わなかった。

新聞社を退職した与四松さんは、自分で事務所を持ったり、外国に出かけたりで忙しい妻文子さんに苦情一つ言わず、好きなようにさせていた“寛容の人”だったようだ。

与四松さんが亡くなったときに、文子さんは「考えてみれば、本当に可哀相な人でした。私と結婚していなければ、もっと平凡でやさしい奥さんをもらっていたら、こんな寂しい晩年を送らなくてもよかったのに、悪縁ですね。」と涙をこぼしたそうだが、与四松さんとしては、妻のためにサービスをする必要もなく“自分勝手な生活”に恵まれたと言える。

この時代のゲイの人は結婚しないわけにいかなかったので、お見合いをしてでも結婚して、努力してセックスをし、子供を作っている。

与四松さん夫婦にもひとり娘がいるそうだ。恐らく子供ができてからは、セックスはなかったに違いない。だからこそ文子さんは作家として仕事に打ち込むことができた。与四松さんは食事も自分で作ったろうし、着るものも自分で選び、なんの不自由もなかっただろう。ゲイとしての生活を自由にエンジョイできた幸せな人だったといえる。

与四松さんがぼくにくれようとしていたゲイとしてのコレクション、どんなものがあったのだろうか。恐らく亡くなられて捨てられてしまったと思うと、悲しい気持ちにさせられてしまった。

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