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2005年6月12日 (日)

少年愛者の苦しみ

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学校帰りの少年に声をかけたら、少年は一目散に逃げ出してしまうだろう。少年を愛する人にとって、今の世の中、受難の時代になってしまった。

好き好んで少年愛者になったわけではない。趣味で少年が好きになったわけでもなく、持って生まれたものなのだ。これは墓場に入るまで変わるものではないというのに。

美輪明宏さんと『薔薇族』誌上で対談した折りに少年愛の話を持ち出したら、少年の好きな人は、学校の先生とか、塾の先生とか、少年が身近にいる職業にはつくなと、はっきり言われてしまった。しかし、現実には学校の先生とか塾の先生とかの職業とかについている少年愛者が多いことは間違いない。

田舎の中学校の教師の告白を聞いてみよう。

「私は少年愛である。小学校5、6年から高校3年ぐらいまでの童顔の少年に、激しい欲望を感じ、それが日に日につのるばかりで、正直言って大変苦しい。その点、その気さえあれば機会はないこともない普通のホモたちがうらやましいほどだ。

少年愛は相手が未成年者であるだけに実行は絶対に不可能である。倫理的にも許されるものではない。生涯この苦しみに、じっと耐えていく他はないようだ。われわれが少年愛であることは、神のなせるわざであって、われわれ自信の罪であろうはずはない。しかし、これを口にしたり、実行に移そうとしたりすれば、たちまち犯罪者のらく印を押されるし、社会的対面が失われる。従って誰もが生涯、人に打ち明けずに耐え続けているのである。

巷にあふれる少年たちをまぶしく見やりながら、また女好きが、その欲望を思う存分開放させている姿に激しく嫉妬しながら、考えてみればこれほどの悲劇もなかろう。

少年愛にも何らかの方法が公に認められるという、素晴らしく開放された社会というようなものは考えられないだろうか。せめて少年のポルノ写真は大目に見るというような時代になって、少年たちのとてもエロティックな写真や、映画がたやすく手に入るということになれば、多くの人たちが相当慰められるのだが。

ポルノ解禁は欲望の解放になりこそすれ、決して犯罪を増やすものではあるまい。しかし、これもいささか絶望的である。」

少年愛者としてのご自分を冷静にみつめている先生だ。マイケル・ジャクソンのこともあり、世界的に少年愛者はつらい立場に立たされている。このあとつづく文章もぜひ読んでもらいたい。ひとりでも、ふたりでも少年愛というものを知っていただければ幸いだ。

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コメント

律しているからこそ思いが募ってしまうのだろう。倒錯の世界は誰もが入りこむ余地があり、タブーに満たされているゆえの魅力がある。ごく普通の世界に生きる者を引き寄せるほどの。社会的に解禁するとそれ自体がミームとなり無用なマイノリティを増やす刺激剤になることが危惧される。被害者はまだ性愛の自認を確立していない少年だから。

投稿: | 2018年6月26日 (火) 09時37分

自分まだ10代なんですけど・・・
男が好きなのか、少年が好きなのかわからないです。
確かに同級生で好きな人はいます。
どうしたらいいですか・・・

投稿: | 2013年4月15日 (月) 19時41分

私はまだ中学生3年生です。

これから、私は社会を作る一人となります。

だから、この、少年愛者を受け入れる社会を少しでも大きく、作らなければならないと思いました。

投稿: 天師 | 2009年1月 3日 (土) 22時28分

私も少年愛です
少年とセックスしたいと思いつつも同時に、少年を傷つけることはしたくないとも思います。
一生この葛藤は続いていくんでしょうね…

投稿: | 2007年9月 5日 (水) 01時38分

なるほどいま私も12歳ながら少年愛者になってしまいました

投稿: toshiki | 2007年5月 8日 (火) 23時26分

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