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2005年7月 2日 (土)

三十数年ぶりに東京女子医大を訪れて

bokudousite 表紙絵・内藤ルネさん

「僕の家に突然、不幸の影が訪れたのは、昭和36年の12月、皮肉にもクリスマスの楽しい夕げのひとときだった。
2階の自分の部屋にいた妹の紀子は、急に目まいがして、階段を降りることもできなくなってしまった。
‟胸が苦しい!”
すごい動悸だった。洋服の上からわかるぐらい心臓が、早鐘のように高鳴っていた。母もぼくもただまごまごするばかりだった。
‟医者だ”
やっとわれにかえって近所の医者にとんで行った。」

昭和40年の1月に、ぼくと妹の共著で出版した『ぼくどうして涙がでるの』の最初の書き出しだ。
それから長い間、入院を待たされて東京女子医大の心臓病棟、女性ばかりの病室401号室にやっと入院できた。それからいろいろな出来事があって、同室の5歳の坊や、芳っちゃんとの悲しい別れはつらかった。この本は日活で映画化され、昭和40年の秋の芸術祭参加作品になり、十朱幸代、佐藤英夫の主演で話題になり、映画もヒットし、本もベストセラーになった。

bokudousite-1 ぼくら兄妹を演じた十朱幸代さん&佐藤英夫さん

妹もその後、結婚して二人の男の子をもうけ、33歳で二度目の手術の甲斐なく亡くなってしまった。
それから30数年、昨日、東京女子医大をしばらくぶりに親戚のおじさんのお見舞いに訪れることになってしまった。

30数年の年月は、まるっきり病棟を変えてしまい、妹が入院していた病棟は、影も形もなくなっていて、残っているのはレンガ造りの建物が残され近代的な病棟に変貌していた。

妹が入院していた頃は僕は30代、スクーターに乗って走り回っていて、毎日のように妹の病室を訪れていた。

今でも胸が痛むのは、妹についていた19歳の看護婦さんと恋に落ちてしまったことだ。群馬県の館林の出身で、気の強い、しっかりした女性だった。

スクーターの後ろに彼女を乗せて、あちこち走り回ったものだ。その後、女房に知られることになり、新宿の喫茶店で彼女と対決して、そこへぼくも呼び出されてしまった。結局、彼女は身をひいてくれたが、若かりし日のにがい思い出になってしまった。

その女房も5歳の男の子を残して、33歳で事故死することに。妹がテレビ結婚式をあげたフジテレビも河田町にはない。長い年月はすべてを変えてしまった。

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