テレビを持って行かれちゃった!
『薔薇族』復刊第2号に、男街新橋の特集をして、ゲイバァ「勝ちゃん」のマスター、宮崎真至さん(76歳)にインタビューをした。
「ゲイバァって、ゲイの人の心のオアシスですね」という見出しで、根堀り葉掘り、4頁も使って宮崎さんから話を聞き出した。
その後、記事の反響があったのか、なかったのか聞きたいと思っていたら、宮崎さんの方から電話があって、店に入る前はひまなので、昼飯をご馳走するから渋谷で会いませんかという、ありがたいお誘いがあった。
3大新聞社のひとつに35年も勤めていた宮崎さん、年齢も同世代で話も合うので、渋谷まで出向いてお会いした。
東横デパートの8階のレストラン街のてんぷら屋さんで、てんぷらをご馳走になり、喫茶店でコーヒーをのみながら話を聞いた。
月曜日の昼間なのでお客さんは女性ばかり。年寄りの男二人がおしゃべりをしているなんてなんか変。
報道部に30年。テレビ局に5年勤めたそうだが、特ダネ賞をもらったことは3回だけという。10年に1回しか特ダネとれなかったそうで、いかに特ダネをみつけることは大変なことなのだろう。
ようやくテレビが普及しだした、昭和30年頃の話。宮崎さん、入社したての頃だ。社のデスクにいたら電話が鳴って、受話器をとったらやっとしゃべっている子供の声。べそべそ泣きながらの訴えで、「テレビを持っていかれちゃった!」
早速、宮崎さんは子供の家にとんでいったら、おじいさんと孫の5歳の坊やが二人でアパートに住んでいた。両親は離婚してしまい母親も働きに行っていて家にはいない。
生活保護を受けて生活しているという。テレビが唯一の娯楽だというのに、その頃は生活保護を受けている家庭では、テレビはぜいたく品ということで置いてはいけないことになっていた。もちろん、その頃はクーラーも駄目という時代だった。
お役人が楽しみにみていたテレビを持ち去ってしまったというので、5歳の坊やが泣きながら新聞社に電話をかけたのだ。
宮崎さんは坊やのうったえを聞いて、それはあまりにも理不尽な話だと、怒りのホコ先をお役所に向けて記事にした。その記事は社会面のトップに載ったそうだ。
その反響はものすごく、なんとテレビが150台も坊やのもとに届けられたという。それからは生活保護を受けている家庭でもテレビが見れるようになったという。
150台のテレビは運送会社の社長さんの好意で倉庫であずかり、後に児童の福祉施設に贈られたということだ。
◆スナック「勝ちゃん」03-3434-6881 http://www.kacchan-sinbasi.com/
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