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2005年9月22日 (木)

お互い秘密を共有して

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  「中野学校」って知っていますか?戦時中スパイを養成する学校が中野にあって、そう呼ばれていたということを 覚えている人も多いだろう。

  戦後のことで、もうひとつ、知る人ぞ知る「中野学校」があったことを知っている人は少ないのでは。

  中野の駅の前に現在は「サンプラザ」がある。かつては警察大学があったところだ。その裏手に山口玄珠さんとい う日本画家が住んでいた。昭和30年頃のことで、そのあたりは竹やぶがあったりして静かな住宅地だった。

  その頃、わが社(第二書房)では「世界風流小咄選集」というのを出していて、平野威馬雄編の「西洋風流小咄集 」、宮尾しげを編の「日本風流小咄集」、米田祐太郎編の「中国風流小咄」と立て続けに出していた。

  その「中国風流小咄集」の挿画をお願いにやはり中野に住んでおられた、洋画家の沢田さんに紹介してもらって、山口玄珠さんの家を訪ねた。心よく挿画をひき受けてくれたが山口さんに気に入られたのか、その後もたびたびお邪魔していた。

  山口さんは、なんと8ミリののブルーフィルムのコレクターだったのだ。8畳間の座敷に押入れがあって、そこに映<写機が置いてある。その押入れは奥の部屋からも開けられるようになっていて、山口さんがフィルムを操作するのだ。

  たまたまお邪魔したときに、「肉体の門」の作者の田村泰次郎さんと、剣豪作家の五味康祐さんと一緒になり、ブルーフィルムを見せてもらったこともあった。

  当事は今のようにビデオなんてものがない時代で、一般的にはブルーフィルムを見るのは難しい時代だった。

  ぼくは山口さんにお願いして、本の問屋の取次店の仕入れの人などを招待して、ブルーフィルムを見せてもらうことを考えついた。

  接待に当事は、クラブとかキャバレェにお連れすることが多かったが、5人、10人と接待したら大変なお金がかかってしまう。

  ブルーフィルムを見る会なら、10人ぐらい接待することも可能で、非合法な催しだからお互いに秘密を持つわけだから、接待としては効果的だった。

  これは大変なよろこばれ方で、また、やってくれとせがまれる始末だ。山口さんが東北なまりで、ぼくとつな言葉で解説してくれるのが、また味があってよかった。

  「中野学校」とは山口玄珠さんのブルーフィルムを鑑賞する会のことをそう呼ぶようになっていた。

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コメント

『中国風流小咄集』,編者の米田祐太郎について研究しています。 私の調査では,この本は彼の最晩年の作となるはずですが,作者についてご存知のことがございましたらご教授ください。

http://homepage2.nifty.com/CHARLIE-ZHANG/LIB/YONEDA.html
「米田祐太郎について」


投稿: CHARLIE ZHANG | 2005年12月30日 (金) 02時01分

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