『アドニス』誕生秘話
『薔薇族』が創刊したのは昭和46年(1971年)の7月に刊行された9月号だ。商業誌としては日本初ということになる。「裸の大将」で有名な山下清画伯がこの年の7月12日に49歳で亡くなっている。
会員制のゲイ雑誌としては、昭和27年9月(1952年)に『アドニス』が誕生。集英社の月刊『明星』が10月に創刊されている。『薔薇族』よりも19年も前に、日本で初のゲイ雑誌が生まれていたということだ。
その前に『人間探求』という雑誌が出ていて、この雑誌は性を扱う雑誌であっても、医者や、学者が執筆者で、学術的な体裁をとっていた雑誌と思われる。その編集者の上月竜之介さんという方が、「会誌を出そうと思うようになった直接の動機は、ひんぴんと舞いこむ同性愛者の孤独を訴える投書であった。」と。
そして『人間探求』の誌上に『アドニス会』の誕生を発表したところ、反響は意外に大きく、問い合わせや、申し込みの手紙が毎日のように全国から届いた。
沖縄の17歳の少年からの入会申し込みもあり、電話の問い合わせ、中には直接社へ訪ねてくる人もあった。
こうして申し込みは次第に増えていった。しかし、会社は『人間探求』に広告を出してはくれるけど、金は一銭も出してくれない。だから会員の申し込みが一定数に達するまで、会誌を作るわけにはいかない。これが創刊号の発行が遅れてた理由だ。
こんなことは今だからこそいえるが、もし会員が一定数に達しないときは、会費を返して謝るつもりでいたと、上月さんは『アドニス』創刊50号の記念号に思い出を書いている。
残念ながら創刊号は、どこかにまぎれこんで見つけだせないのでお見せできないが、大変なご苦労の末、創刊にこぎつけたようだ。
上月さんのあとの2代目は、田中良夫さんで、推理小説作家の中井英夫さんと同棲していた方で、作品社という出版社を経営していた。この田中さんが『アドニス』を編集するようになってからは、中井英夫さんはもちろん、歌人の塚本邦雄さん、作家の三島由紀夫さんも名前を変えて原稿を書いていて、ハイレベルな雑誌だった。
もう『アドニス』に関係した人たちは、ほとんどこの世にいない。この雑誌を読んでいた人たちも、生きていたらかなりの高齢になっているだろう。
復刊『薔薇族』は若者をターゲットにした雑誌に変身してしまったけれど、1月号に『アドニス』を知る人たちからの話を聞いて書こうと思っている。古い話を若い人にも伝えておきたいから・・・。
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