「ロマンの泉美術館」のチラシのデザインは宇野亜喜良さんだ!
今どきの若者に宇野亜喜良さんを知っている?と聞いても「知らない」という声がかえってくる。中原淳一の名前まで知らないのだから悲しいとしか言いようがない。そうは言っても若い歌手や、タレントの名前を聞かれても知らないのだからお互いさまっていうことか。
宇野亜喜良さんは、1999年に各界を代表する最高の芸術家たちに与えられる紫綬褒章を受章している、イラストレーターでもありデザイナーでもある。
宇野さんが化粧品のメーカーのマックスファクターの専属デザイナーになって、原宿の四つ角にあったセントラルアパートにアトリエを開いて、仕事をしているときにぼくは出会った。
ぼくがと言うより、33歳で事故死してしまった舞踏家(ぼくの女房)伊藤ミカに連れられてセントラルアパートに訪ねたというのが正しいのかも知れない。伊藤ミカビザールバレエグループを結成していて、最初の公演をフランスの地下文学の最高傑作といわれている「オー嬢の物語」を舞踊化することを決めて、ポスター、チラシ、プログラムのデザインをお願いに訪ねたのが最初だった。
ぼくと世田谷学園から駒沢大学まで同期で親友だった(数年前に亡くなっている)江田和雄の劇団「人間座」が、寺山修司さんの「アダムとイブ」を演出していて、ポスター宇野さんがデザインしている。
もう忘れてしまっているが、江田和雄君が宇野さんを紹介してくれたのかも知れない。セントラルアパートの宇野さんのアトリエは数人の助手たちが働いていて活気にあふれていた。今も宇野さんは音楽を聴きながら仕事をしているが、その頃も扉は開きっぱなしで音楽が廊下にまで流れていた。
1967年「オー嬢の物語」、1968年「愛奴」、1969年「静かの海の恐怖」と、3点もの作品を製作してくれている。
2003年に「宇野亜喜良60年代ポスター集」が(株)ブルース・インターアクションズから出版されていて、そのカバァには、伊藤ミカの「オー嬢の物語」のポスターに使われたイラストが使われている。
新潟の女房の古里、弥彦村にある、ぼくが経営する「ロマンの泉美術館」のチラシのデザインを宇野さんが引き受けてくれて、格調高いチラシになっている。
今は亡き寺山修司くんが宇野さんのことをこう書いている。「宇野亜喜良は左手の職人である。左手で書くとき、右手は縛られて夢見ている。」
宇野さんのアトリエにはコピーもないし、インターネットなんてものにも無縁だ。今でも左手で小さな文字で、文字の大きさや、色を指定している。もちろん携帯なんて持っていない。
ぼくがお邪魔して帰るとき、必ず扉のところまできて送ってくれる。ぼくがもっとも尊敬しているのは宇野亜喜良さんだ。
宇野さんがチラシをデザインしてくれているということは、本当は大変なことなのだ。ときたま西麻布にある宇野さんのアトリエを訪ねて昔の話をするのを楽しみにしている。
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コメント
「左手で書くとき、右手は縛られて夢見ている」
なんて素敵な言葉なんでしょうか
投稿: くーぱー | 2005年10月30日 (日) 09時33分