ヌードショーの終るのを待って
丸尾長顕さんの名前を知っている人って、かなりの年配の方だろう。その昔、有楽町にあった日劇の最上階にある「日劇ミュージックホール」の運営委員だった方だ。
戦前は宝塚少女歌劇団の文芸部員として活躍。後に「婦人画報」の編集長などを経て、「日劇ミュージックホール」で演出をされ、また作家としても活躍された。
わが家の裏手に祖父の妹の家があり、測量機械を作る工場を持つお金持ちだ。その離れに昭和三十年代の前半に越して来られたのが丸尾さんだ。
小柄で太っていて、メガネをかけた、変わった風貌だったので、近所の人は、あの人、何者なのと不思議がっていた。奥さんらしい女の人は丸尾さんよりずっと背が高い、若い奥さんだ。
丸尾さんはこの奥さんとは五回目の結婚で、別れるときには財産のすべてを別れた奥さんにあげてしまって、裸一貫で越してこられたそうだ。
そのうちに「日劇ミュージックホール」の招待券を頂けるようになり、奥さんは踊り子さんだったということも分かってきた。それからぼくは足繁く、ミュージックホールに通い始めた。
昭和四十三年の九月、十月公演「はれんちカンカン」のプログラムが手許にあるが、便所のオルフェ・脚本演出は寺山修司とある。アングラの女王、新高恵子も演出しているが、これは寺山君の劇団「天井桟敷」の女優さんだろう。寺山君って本当に多才な人だったと驚きである。
このプログラムに「内外タイムズ」の石崎勝久さんという文化部の記者の記事が載っている。
「日劇ミュージックホール」の誕生は、昭和二十七年頃らしい。ストリップの最初は、新宿帝都座(現在の丸井のあるところ)で昭和二十二年の正月「ヴィーナス誕生」というショーだ。いわゆる額ぶちショーと言われたもので、裸の女性は動かなかった。
ヌードショーとストリップショーの違いはというと、ヌードショーはヌードを材料にして、ひとつのショーをつくり、ストリップショーは、一枚一枚着衣を脱ぎ捨てて、お客の好奇心をじらせる効果だけを狙うものということだそうだ。要するにミュージックホールのショーは上品にショーとして仕上げているということだ。
人に話すのは初めてのことだが、ミュージックホールに出演していた、豊ゆかこさんと何回かデートをしたことがある。別に変なことをしたわけではなく、喫茶店で話をしたくらいだが。確か「東京スポーツ」の文化部の記者の人が紹介してくれたのだと思う。
ショーが終るのを待っていて、有楽町駅の近くの喫茶店で待ち合わせてのことだ。何をしゃべったのか忘れているが、彼女は創価学会の信者だった。踊り子さんの中でも信者が多いということだ。いわゆるふしだらな人はいなくて、みんな真面目に生きている人ばかりのようだ。
豊さんはかわいい人で、会っているだけで楽しかった。青春の一頁ということだろうか。
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投稿: 源太郎 | 2006年1月20日 (金) 19時49分