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2006年1月25日 (水)

長く続けなければ駄目なんだ

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大学時代、ぼくは短歌を作歌することに情熱を燃やしていた。駒澤大学の国文科には、著名な教授が何人もいて、その中にアララギの歌人で万葉集の研究では権威だった森本治吉先生がいた。ご自分でも「白路」という短歌の結社を主宰しておられた。

  ぼくも「白路」に入会して、作歌することを森本先生から学んでいたが、短歌を作歌する各大学の学生に呼びかけて、「大学歌人会」という会を結成した。

  第一回短歌会は、東大の山上会議所で催され、国学院大学、早稲田大学、中央大学、法政大学、学習院大学、共立女子大学などの短歌を愛する学生たちが集った。

  その頃、駒沢大学は三流大学で、ぼくはひどい劣等感を持っていたが、何歳か年上の東大の国文科の学生で、見るからに頭がよさそうな中西進君(現在は万葉集研究の第一人者で、関西の大学の学長にもなっていて、ぼくらの結婚式の仲人にもなってくれた。)が、ぼくの作品をベタホメしてくれたのだ。そのひと言がぼくの人生を変えたといったら大げさかも知れないが、大きな自信を持たせてくれた。

  ぼくの家が大学歌人会の事務局になっていて、今は亡き親友の国学院大学の阿部正路君とコンビを組んで、次々とイベントを考え出していた。

  寺山修司君が「短歌研究」の新人賞を獲得して、古里の青森から早稲田大学に入学した頃の寺山君を招いて会を開いたこともあった。

  その頃のぼくは片思いばかりで、現実には女性の手も握ったこともなかったし、もちろんキスなどしたことはなかった。それでも妄想で恋の歌を次々と作っていたのだから情けない話だ。

  ぼくはその頃から企画力は抜群だった。手のひらに入るような小さな歌集を10円で売りだしたのだ。ぼくの歌集は『渦』。仲間の相沢一好君は『夜のうた』。原価が5千円でできて、千部売れば5千円が利益になる。親父はケチでお金を出してくれないので、東横デパートに勤めていた姉に5千円を借りて作ったのだ。その頃、姉の給料は1万円もらっていなかったのだから、5千円は大金だった。

  恐いものなしで、その頃の有名な歌人に歌集を送りつけてしまったが、ちゃんとお礼状をよこしてくれたのだからありがたいことだ。

『短歌研究』のオーナーでもある歌人の木村捨綠さんは、ぼく歌をこう評してくれた。

  一つ顔を想い描きて歩みゆく舗道に軟き部分を感ず

「いい歌ですね。部分を感ずという結句がいいんです。しかし「部分がありて」ぐらいで抑制したら更によかったのではないでしょうか」

『仰日』という歌集で有名なライの歌人、伊藤保さんもほめてくれた。

  影と影が引き合うさまに似し心にて一つのベンチに寄り添いている

  日を受けて透きとおる靴下が垂れている窓を見てより君の扉に立つ

「感覚の新鮮、感情のやさしさ、こまやかさ、そして青春歌集としての意義を大きく見たい。」

  短歌を作ることはまさに青春そのものだったが、現実に恋人ができてしまったら、恋に夢中になって作歌はぱったりやめてしまった。

  やめてしまったのはぼくだけで、大学歌人会の仲間は今も作歌を続けていて、今や歌壇での大家的存在になってしまっている。

  早稲田出身の篠弘君などは、秋の叙勲で旭日小授賞を授賞し、来年からの宮中の歌会始選者にもなった。現代歌人協会理事長も務め、歌壇のリーダーとして活躍している。

  とにかく長く続けることがひとつの才能で、大事だということを思い知らされている。

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コメント

歌を詠む事。
恋の歌を詠む時、妄想や想像でないと、より現実的では、生々しい歌になるでしょう。
無論、美しい想い出であれば、現実も美しい歌になる。

投稿: pedaco | 2006年2月14日 (火) 16時40分

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