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2006年2月

2006年2月25日 (土)

お花見と森下洋子写真集と

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  記録破りの寒い冬が去って、やっと春のきざしが見えてきた。まもなく桜の季節がやってくるというのに、浮かない顔をしているご夫婦がいる。

  カメラマンの中嶌英雄さんの住居は、下北沢のはずれにある。わが家から歩いても15分ぐらいのところだろうか。

  中嶌さんの家の前の道路は、4、5mぐらいだろうか。その道をへだてた道の家には、道路に面して、桜の古木が植えられている。中嶌さんの家の2階から見ると、道路にはみだした桜の枝は、目の前に茂っている。

  4月になっていっせいに桜の花が開くと、中嶌さんの家の2階から、格好のお花見ができるというものだ。奥さんがベランダに照明器具をとりつけてライトアップしたから、桜の花が浮き上がって、目をうばうような美しさだ。

  ここ数年、桜の花の季節になると、中嶌さんから電話がかかってきて、友人を集めてのお花見の会がにぎやかに開かれる。ぼくも楽しみにしていたのだが、前の家が建て替えということになって、邪魔になるのか、桜の古木は根元からばっさり切られてしまった。

  中嶌さんご夫婦の嘆きは大変なもので、お酒を買ってきて、桜の根元にまいたそうだ。

  カメラマンの中嶌さんとのお付き合いは、20数年前、ぼくが下北沢の北口で経営していた、カフェ『イカール館』の店内の撮影をお願いしたことからだと記憶している。

  中嶌さんの専門は舞台写真で、喜多郎の演奏写真もずっと撮り続けている。喜多郎のサイン入りのCDを中嶌さんからプレゼントされたこともあった。

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  2005年2月に「主婦と生活社」から、出版されたピアニストのフジ子・へミングさんの著書「ESPRIT DE PARIS」の写真を担当している。気難しいアーティストに密着して写真を撮り続けているということは大変なことだと思う。恐らくお天気屋だと思うフジ子さんの機嫌をそこねないようにして撮り続ける苦労は並大抵のものではないだろう。嫌われてしまったら最後だからだ。

  演奏会の写真だけでなく、私生活の写真も見事な出来ばえだ。

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  最近、中嶌さんはバレエの舞踏歴55年という、日本を代表するプリマ・バレリーナ、森下洋子さんの『森下洋子写真集』を刊行した。

  残念ながら森下洋子さんの舞台をぼくは見たことがないが、この写真を通して、華麗な舞台がほううつとしてくるようだ。

  日本だけでなく、パリのオペラ座などで、マーゴット・フォンティーン、ルドルフ・ヌレエフらと踊ったのだから大変な人だ。

  3歳のときにバレエを始めて55年。一日も休むことなく稽古を続けている。これは誰もができることではない。

  華やかな舞台写真の中に、2点だけノーメイクの写真がある。一枚は笑顔だが、一枚の横顔は、疲れきったような表情をしていて、それがなんとも言えない魅力的な顔をしている。

  今の時代、写真集を出すということは至難の業なのだ。お花見はできなくなってしまったが、友人としてこの写真集が一冊でも多く売れるように応援したいものだ。

フジ子・へミングの『Espurit de Paris主婦と生活社刊・定価・本体2381円+

●『森下洋子写真集』主婦と生活社刊・定価・本体2857円+

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2006年2月23日 (木)

ブログが書けない言い訳を!

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  弱り目に祟(たた)り目というけれど、今年こそはいい年にしようと張り切っていたのだが、寄る年波には勝てません。

  今年の3月19日がくると、74歳。74年間も歩いていたのだから、ひざの骨と骨の間の軟骨がすりへっても仕方がないのかも。それに最近、食が進むものだから、ついつい食べ過ぎて気がついたときには体重が78kgにもなっていた。78kgの体重を両足で支えているのだから、ひざに負担がかかるのは当然だ。

  昨年の暮れあたりからは、よくなるどころか、だんだん悪化するばかり。医者も何軒か変えてみたものの、治療の方法はどこも同じ。注射器の太いので、ずぶっとひざにさして、水を抜くのだが、ビールの濃いような色をした液体がたまっている。そして痛み止めの薬と、しっぷ薬をもらう。

  近所のラーメン屋の親父にすすめられて、下北沢の北口のマンションの一階に入っている診療所を訪ねた。そこの医者にはっきり言われてしまった。「どこに行っても治療法は同じです。治すには手術をするか、体重を20kgぐらい落とすしかありません」と。

  手術をするには、2、3ヵ月の入院が必要と言うし、それよりも体重を落とすなんて考えられない。今が一番大事な時だというのに、えらいことになってしまった。ひざが痛くて歩けないなんて、考えてもみなかったことだけに大ショック。

  そんなときにわが家は、同居している次男の嫁がインフルエンザに。ブログもやっと調子が出てきたときだけにこれもショック。

  最近はインフルエンザの方が特効薬があって、嫁はすぐに元気になったものの、今度はぼくの普通の風邪がしつこくて、せきは出るし、濃いたんは出るし、鼻はつまるし、寝たり起きたりで二週間も。

  2月中には、どうしても書き下ろさなければならない「河出書房新社」の「河出文庫」で5月には出版する『薔薇族の人々』の執筆がストップしてしまう始末。本当は昨年の末には刊行予定だったのだが、遅れに遅れているので、なんとしても2月中に書き上げねばと思うものの、鼻がつまって、頭が重いとなんにもやる気が起きてこない。

  ひとつだけラッキーだったのは、風邪をひいて食欲がなくて食べなかったから、なんと2週間で5kgも体重が減ったではないか。

  いつか1週間くらい下痢が続いて、あまり食べなかったら、3kgも体重が減ったけれど、治ったらあっという間に元に戻ったこともあったので、今度はなんとしても体重を減らす努力をしていかねばと。

  神さまはいろんな試練を与えてくれるけれど、ここでへこたれるわけにはいきません。ブログで絶対に他では見れないものを書き続けますから、ご期待を!

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2006年2月21日 (火)

元警察署長のつらい告白①

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『薔薇族』を読んでくれている人、これはどんな人が読んでいるか分からない。もしかしたら総理大臣だって、密かに読んでいるかも知れない。

  警察の署長だって読んでいたとしても不思議ではない。1976年(昭和51年8月号)に、こんな投稿が載っている。

「定年退職をして目下ゆうゆう自適の生活をしている元警察署長の思い出を綴ってみよう。在職中は男色に興味があることを同僚に知られぬよう必要以上に用心したものです。

  柔道の稽古が終ってシャワーなどを浴びるとき、男同士の気易さで、つい男根も隠さずに身体を洗い、着替えも堂々と行うので、否応なしに同僚の股間が目に入ってくる。80kgを超過した素晴らしい肉体の群れを眺めるとき、私のペニスが思わず勃起しはじめ、タオルで隠すのに困ったことがしばしばでした。

  兵隊を経験した同僚が周囲に数多くいたので越中褌をしており、いわゆる徴兵検査を受けたことがあるという連帯感で、親しみがあり、そういう仲間とはよく話も合った。

  遠慮なく暑い夏には越中褌一本になって、部屋で酒をのみ、しまいには越中褌もゆるんで、立派な黒い淫焼けしたチンポが、前袋からとび出しても隠さないという状態だった。私も越中をゆるくして、くっきりと露出した茶褐色の亀頭を放り出して酔ったふりをした。

  よく注意して同僚の目を見ると、私や他の仲間の男根を燃える目で見ているではないか。しかし、私たちの職場では二人が抱き合って愛を確かめることはできない。これぐらいがせめてもの愛の表現である。

  ある夏の講習会で同僚と二人部屋で寝ることになった。一週間の講習でうんざりしていたが、三日目に他県から警察署長が一人参加して、私たちの部屋で寝ることになった。

  五十歳で童顔の肥満体の素晴らしい岡山県の男。夜、私が真ん中の寝床で、右に同僚、左に岡山の署長が寝ることになった。真夜中、私の手になにか触れるものがあるので、ふと目を覚ますと、驚いたことに男根ではないか。半勃起の熱い肉の桂が掌に押しつけられているのである。署長が私の掌に彼の巨大なチンポを握らせようとしていたのだ。

  翌日、同僚が親戚の不幸で帰宅し、岡山の署長と寝ることになった。暑い夜だったので寝床に入るとき、彼の目の前で越中褌をはずして、浴衣一枚で横たわった。寝たふりをしていると、暗闇の部屋とはいいながら、窓の外の月の光で、うすぼんやり見れる真夜中、そっと起き出した署長は、私の浴衣の前をはだけ、無防備な私のペニスをそっといじりはじめた。

  一週間余り禁欲していた私のマラは、みるみる勃起し、天に向かっていきり立った。彼と肌を合わせ、愛をかわしたかったが、それが私の職業ではできなかった。彼の巧みな吸茎と、手技の果て、私の熱い愛液は彼の口中に吸い取られてしまった。その間、私は大の字に寝たままだった。

  それから彼は満足して自分の寝床に帰り、いびきをかきはじめた。今度は私がそっと彼の浴衣をはだけ、火と燃える彼の巨根をいじり、なめ、こすってやった。彼は寝たふりをして声を押し殺している。クライマックスで私の口中に彼のおびただしい体液が噴射されるとき、ウーッとうめいた。

  翌朝、二人は顔を合わせても前夜になにもなかったような顔付きをしていた。

  退職以来、性の喜びを満喫したいと思いながら、チャンスもなく悶々としている。80kg以上の55歳~65歳ぐらいの紳士で、われと思わん方はよき友になってください。余生を楽しく過ごしたいものです。(兵庫県・T)」

  約三十年も前の話。この署長、奥さんや子供さんもいたろうに、どんなに偉くなっても自分の性癖を隠しての生活、幸せだったのだろうか。余生を楽しく過ごせたのだろうか。

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2006年2月 7日 (火)

交番から電話があって訪ねてきた少年は

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昭和四十九年(1974年)10月発行の12月号(No.21)の「編集室から」に、ぼくはこんなことを書いている。

「朝早く丸の内の交番から電話があった。何事かなと思ったら、耳の聞こえない、口がきけない少年が、第二書房を訪ねているので、道順を教えてくれとのことだった。

  やがて大きな鞄をぶら下げて、汗をふきふき少年がやってきた。生まれつき耳が聞こえないそうだ。だから口もきけない。取り出したノートに彼が字を書く。それにぼくが字を書いて答える。普通の人間にとっては、とても考えられない、まだるこしさだ。

  ぼくが文通欄の宛名書きをしている女房と話をすると、彼は聞こえないだけにひどく気にする。

  田舎では『薔薇族』が手に入らないので、それを買う目的と、前から本を読んでファンであるマンガ家に会うことが上京の目的だという。電話番号を調べてマンガ家に電話したら、留守だったので内心ほっとした。門前払いでもされたら、がっかりするだろうから。

  田舎で手に入らないという、そのマンガ家の本を買いに、下北沢の駅近くの書店に行った。帰りに入った喫茶店で、彼はクリームソーダを注文したが、最後の一滴まで、ものすごい音をたてて吸う。女店員が顔をしかめて彼の顔を見ていたが、彼には音が無縁なのだからしょうがないことなのだ。

  昼になったので食事をすすめたが、どうしても食べなかった。三階の誰もいない部屋で二人だけになって、ノートに字を書くと、やっとにこっと可愛い顔をする。

ホモ23歳、168cm、65kgの会社員。20歳までの人を求む。迷惑をかけません。

  どうしても文通欄に載っているその人を訪ねて行くといって聞かないのだ。「20歳までの人を求む。迷惑かけません」このたった2行の言葉に惹かれて、どれだけ長い間、彼の心は揺れ動いたことか。

  ぼくは必死だった。あくまでも手紙を回送して知り合う文通欄だから、直接相手を訪ねさせるわけにはいかないのだから。

  ノート一冊に文字がいっぱいになるまで、ぼくは書き続けた。

「あなたの根気に負けました。このまま家に帰ります」

  彼はそうノートに書いた。その文字を読んだとき、がっくりと疲れが全身をおそった。ぼくは彼の手をしっかりと握りしめた。彼が欲しいという『少年たち』を鞄に入れて持たせてあげた」

  その頃のわが家にはいろんな読者が訪ねてきた。耳の全く聞こえない人、目の見えない人、少年から老人までさまざまな人がやってきた。どんな人にも、みんな同じように話を聞いてはいたが…。

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2006年2月 1日 (水)

こんな相談って悲し過ぎる!

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  昭和二十五年八月刊行の『文化人の性科学誌・人間探求』の三月号にこんな記事が載っていた。ぼくが駒澤大学の学生の頃の雑誌で、定価七十五円、第一出版社から刊行されている。

  そのタイトルがなんとも悲しい。「相談と回答・異常性愛者の分析」とある。この時代は同性愛者は異常性愛者と言われていたのだ。『薔薇族』を創刊するキッカケになった本、『ひとりぼっちの性生活』を出版したときに読者から著者宛に届けられた多数の手紙の中に、やはりひとりの男性が銭湯で、同じ男性のオチンチンを見て興奮し、オナニーをしたというのを読んで、ぼくは『薔薇族』を出そうと決意したのだ。それは昭和四十年のことだった。

「私は二十六歳の健康な男性で、十二歳の頃から性に対して興味を覚え、始めは性器をいじって満足していました。十四歳のときに町へ出て、他人の家に住み込みで働くことになりました。

  銭湯に入りにいって、他人の性器を見るのが楽しみで毎日のように行きました。十七歳の頃から身体中がぞくぞくするような、やるせなさから自分の性器をきつくしばって満足していたのですが、あまりにも痛いので、そういうときには性の本を読んでじっとしていました。

  十八歳のとき、横須賀に行って悪友に誘われて女を買ったのですが、思うように性交ができず笑われて帰ってきました。

  旭川で二十三歳の頃、嫁の話があって、女がそばにいたら治るだろうと結婚したのですが、どうしても性交がうまくできず、ぞくぞくするような嫌な気持ちになるのです。それから一年あまり変な生活をしましたが、嫁の方から別れるというので、喜んで別れました。

  親たちも一度、病院へ行ったらというので、行って本当のことを話しましたら治らないと言われました。

  近頃また嫁をもらえという話があって大変悩んでいます。

  十八歳の頃、オナニーをさかんにしたことがありますが、夢で同性の性器をつかんだ夢を見て夢精しましたが、一ヶ月に二、三回ぐらいです。

  同性は男らしい男でないと、興味がわきません。小生は内気なたちです。(旭川・S・Y生)」という深刻な相談だ。

  それにしてもその時代の回答というのは、紹介するのも恥ずかしいようなものだ。こんな相談を読むと、『薔薇族』を創刊した頃も読者の悩みは同じだったから、本当に『薔薇族』を勇気を出して創刊して良かったとつくづく考えさせられる。

  どれだけの読者の人たちが、『薔薇族』を心の支えにしてくれたのかということを、こんな悲しい相談を読むと思い知らされるというものだ。

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