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2006年3月18日 (土)

英語がしゃべれないのに、目と目で心が通じあって。

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  アメリカ人のジョージ・リンチさん。ひげをたくわえた立派な体格の人だ。確かヤマハのボートのポスターに、船長のような格好でモデルにもなっていたくらい、風格のある人だった。ぼくとリンチさんとの知り合ったきっかけは思い出せない。その頃、リンチさんはハッテン場で知り合ったという、大手広告代理店の有能な日本人の社員の人と同居して、北千住のマンションに住んでいた。大手広告代理店の社員の人が英語がペラペラなので、リンチさんは日本語を覚える気がなかったのか、日本語はほとんどしゃべれない。

  リンチさんは18歳のときに進駐軍として、神戸に上陸、日本に何年かいたらしい。その間に日本が好きになり、日本が忘れられず、結婚して、子供さんも2、3人いたのに、離婚して単身、日本にやってきた。

  リンチさんはロサンゼルスで画商の仕事をしていたらしいが、くわしいことは分からない。そのリンチさんが、よく電話をかけてきて、北千住のマンションにぼくを呼んでくれた。北千住の駅に着くと、車で迎えにきてくれていた。車だとわけなく着くが、歩いたら30分はかかるのでは。

  部屋は2LDKのマンションだと思うが、きちんと片付けられていて、壁にはさまざまな絵が飾られていた。アメリカから取り寄せたという、デッカイ冷蔵庫、その中から肉をとり出して、ステーキを焼いてくれた。

  まったく英語がしゃべれないぼくと、どうやって間を持たせていたのだろうか。心が通じ合うというか、目と目で話をしていたということか。

  リンチさんは、いろんなものを見せてくれて、教えてくれた。アメリカのカルフォルニアの果物を汽車で運ぶための木箱の横っ腹に貼ったラベル、それは見事なものだった。薄い紙に印刷したものだから、木箱に貼ってしまったら、はがすことができない。こんな美しいもので残っているということは、未使用のままで残されたからだ。

  戦前から戦後にかけて、日本でもぼくの記憶に残っている、リンゴやミカンなどは木箱に入っていて、その横っ腹に産地などを書いたラベルが貼られていた。しかし、それは分かるというだけのもので、芸術的に価値のあるラベルではなかった。

  ところがカルフォルニアのフルーツのラベルは、農場そのものの規模も大きいし、生産者の数も多かったのだろう。鉄道がひかれる以前はカルフォルニアだけで、果物は消費されていたのだが、1870年から1880年にかけて、鉄道がひかれて全米に果物が運ばれるようになった。

  アメリカでは恐らくドイツの印刷機を使い、職人もヨーロッパから渡っていたのだろう。初期のラベルは石版刷で、徐々にオフセットに変わっていった。大きな印刷会社があって、そこで大量に印刷されたらしい。それが1950年頃、木箱からダンボールに変わり、ラベルは不要になってしまった。

  ラベルのデザイナーも一流のデザイナーが考えていたらしいが、あまりほめられる仕事ではないので、サインなどまったくない。

  リンチさんからアンティークになってしまったラベルを見せられて、そのデザインの美しさ、印刷の美しさに魅せられてしまった。

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  1989年、『アイデア』が、フルーツ・ラベルのぼくのコレクションを採り上げてくれた。

  リンチさんからは、この他にもいろんなものを教えられた。今、リンチさんはハワイに、おひとりで住んでおられるそうだ。

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