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2006年3月19日 (日)

「ロマンの泉美術館」よみがえる!

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「心の豊かさをくれた美術館」というタイトルで「新潟日報」が1月24日の新聞に「私の視点」欄にぼくの文章を載せてくれた。

「東京の人間で僕ぐらい新潟の人たちを知人に持っている人は少ないだろう。73年間、一歩も世田谷から出たことがない人間が、女房の古里、弥彦村に「ロマンの泉美術館」をオープンさせてしまい、そこで多くの人と知り合うことができたからだ。(中略)
  開館して13年、本業の雑誌が33年の歴史に幕を閉じ、廃刊に追い込まれてしまっては、美術館をささえることができなくなった。
  お金を何億もつぎ込んでなくしてしまったけれど、金銭にかえられない心の豊かさを訪れた多くの人たちから与えられたぼくは幸せ者だ」

  そして昨年12月末で休館してしまったのをどなたか経営して、またオープンさせてくれるお方はいないものかと書いた。

  ぼくの呼びかけを目にとめてくれた、新潟市内の呉服、和装製品、宝飾品などの卸売の社長さんから電話があって、ぜひ、ひき継ぎたいということだった。

  東京にわざわざ出てきてくれて、二度お会いした上で、あとをおまかせすることになった。

すでに売店には商品がずらりとならび、レストランも4月6日(木)から、本格的にオープンすることになった。展示場は従来どおり、ぼくが責任をもって、かわいいものばかりを並べる。とにかく閉めたままで廃墟にだけはしたくないと、思っていたので、こんなにうれいしいことはなかった。

  一昨年の9月、ぼくが創刊以来33年間出し続けてきた『薔薇族』が廃刊になって、その報が朝日新聞に報道されるや、大変な騒ぎになり、テレビ、ラジオ、新聞、週刊誌が取材に押し寄せてくれた。

  そのニュースを見て、あとを継ぎたいという出版社が一社だけ名乗りをあげてくれた。そして半年後、復刊したが残念ながら8号目で、またもや廃刊に追い込まれてしまった。

  僕の編集長という名は、看板だけでまったく別の雑誌になってしまっていた。

  人と人との出会いって不思議なものだ。今回の美術館も雑誌と同じように、一社だけが名乗りをあげてくれた。また雑誌とおなじような運命をたどって、僕の意図したものとちがってしまうのではという、予感が脳裏をよぎらないわけではなかった。

  今度の社長さんはまったく前のままで経営するとは言ってくれているが、どう変わってしまうだろうか。これは訪れてくれるお客さまがいいムードを作り出してくれることが、一番大事なことではないだろうか。いつまでも続くように、みなさまの応援をお願いする。

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