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2006年5月

2006年5月30日 (火)

薔薇の香りを放ち続けて

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31年も前の『週刊読売』が出てきました。表紙には「この表紙の薔薇は匂います」と、大きく印刷されている。鼻を表紙にくっつけて匂いをかいでみたが、もう匂いはとんでしまって匂わない。

「表紙の薔薇の匂いについて」と編集部が解説している。

「大日本印刷では、その香料が逃げないような特殊なインクをまぜて表紙を刷りあげました。印刷工場の部屋には、甘く妖麗な香りが馥郁(ふくいく)と満ちたそうです。」

  わが第二書房でも、1960年(昭和35年)に、アラビアン・ナイトの完訳で有名な大場正史さんの「男の匂い・女の匂い=性における匂いの研究」という本を出したことがある。

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  親父が日本橋の香水屋?から原液を買ってきて、箱入りの本だったので、製本屋で香水の原液を薄めて出来上がった本に吹きつけたのだ。ふくいくとした香りが工場内にただよってならいいけど、あまりに強い匂いで工員たちが気持ち悪くなってしまった。

「エロスは匂う」と題して、大場さんはこんなことを書いている。

「色は匂えど散りぬるを わが世誰そ 常ならむ…

  弘法大師(空海)の作といわれる『いろは讃』は、このように諸行無常、是生滅法、生滅滅己、寂滅爲楽の現在(うつしよ)を花の色香になぞらえて、人間のいとなみのはかなさをうたっている。

  花の色香も、男女のエロスの色香も、みな同じで、いずれも、つかの間ではかなく消える生命しかもたないのである」

『薔薇族』は、つかの間でなく、35年間の長きに渡り、よくぞふくいくとした香りを放ち続けてこれたものだ。

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『週刊読売』は、「薔薇・にっぽん博物誌」として、いくつかの項目をかかげていて、その中にちゃんと『薔薇族』がとりあげられている。

「なぜ、『薔薇族』というと、ホモ諸氏の代名詞になったのでありましょう。一説にはその人体部分が、薔薇の蕾に相似たりという人もいますが、日本では古来「菊座」という言い方もあって、菊の花のほうが似ているのになあとつぶやいている紳士もいます。

『薔薇族』という雑誌を発行しているオジサンに聞いてみましたら、「一口で言いますとホモ愛好家には薔薇好きが多いからですよ。ともすると隠花植物的な存在で、世間とは孤立していました。これらの孤独な魂に、連帯感を持たせ、彼らに市民権を獲得させたい。そんな願いをこめて「族」の一字をつけてみました」ということでしたが、こういうことは市民権なんて与えないで、隠花植物のままにしておいたほうが、ステキではないでしょうか」

  オジサンなんて言われたくないが、この時代から「薔薇」というと、『薔薇族』になっていたということだろうか。

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2006年5月21日 (日)

パートのオバサンが社長になったという美談

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ぼくが今から書こうとしていることは、まったくの的はずれかも知れないし、当たっているのかも知れない。

最近のマスコミで話題になっている女性がいる。16年前、たった時給600円で働いていた人が、860店舗、6500人もの従業員を抱える上場一部企業の社長さんになるということだ。

それが何の会社かというと、新古本の販売で急速に店舗数を増やしていった会社だ。その反面、新刊本の中小書店の廃業が続いているという現実も知るべきだろう。

出版界唯一の専門誌「新文化」518日号にこんな記事が載っていた。

「万引き防止へ販売証明シール貼付」というタイトルでだ。

「福岡県書店商業組合(山口尚之理事長、加盟340店)は71日から、組合加盟書店で購入した本に「販売証明シール」を貼る施策を始める。代金支払い済であることを証明するシールを貼ることで、購入者の意識を高めるとともに、万引きされた本が新古書店等に転売されるのを防ぎ、青少年を中心とした万引き犯罪に歯止めをかけることが目的。同組合と福岡県警察本部少年課が連携して取り組むもので、書店の万引き対策としては全国はつの試み。」とある。

シールを貼ってない本を新古書店に持ち込んできたら、これは万引きしてきた本ということになる。これは福岡県だけでなく、もっと拡げて、全国の書店でシールを貼るべきだろう。

福岡県内の書店の万引き被害額は、年間約12億円で、1店あたりでは約211万円にものぼるそうで、約2割しかない書店の利益では、力のない中小書店が万引き被害でつぶれてしまうのも無理はない。

福岡県だけで12億円の万引き被害額だから、全国の書店の被害額は、途方もない数字になるだろう。この新古書店が急成長したのは、その被害額が、そのままそちらの利益につながったのでは?

本当に本の好きな人は、万引きなんかしないし、すぐに新古書店に売るようなことはしまい。それらの新古書店に売るために、青少年が万引きするのではなかろうか。そうでなければ860店舗の書棚に並べるだけの本が出てくるわけがない。

それと雑誌類は、書店から取次店に返本されると、返本数だけ出版社に報告されて、雑誌そのものは、再生紙を作る製紙会社に送り込まれてしまう。こんなことを書くと叱られるかもしれないが、製紙会社に送られる過程で、雑誌が横流しされているのではないかと想像さえしてしまう。

一般の人は取次店の返本倉庫など見たことないだろうが、書店から送り返されてくる雑誌の山を見ると、なんとも言えない悲しい気持ちになってくる。作られた雑誌の1/3位が、製紙会社に運ばれて、また再生紙になる。それよりもそのままの形で、新古書店に流れて読まれたほうが雑誌のためには幸せなのかもしれないが。

パートから社長になったオバサンの話は、美談かも知れないが、ある意味では「万引き援助会社」ということかも。

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2006年5月 7日 (日)

部隊長の制服

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『薔薇族』の読者には、いろんなマニアがいる。「軍服マニア」と呼ばれる人がいて、旧陸軍の部隊長の制服を一式、コレクションしている人がいた。

  大きな鏡の前で、お互いに軍服を着ていてセックスするのだ。軍服を着ていることが快感なのだから、軍服を脱いで裸になってしまったら興奮しないのだそうだ。

  1976年のことだから、30年も前の話。ぼくが44歳のころだから、丁度、部隊長の年齢だ。軍服マニアの読者が、わが家に現れて部隊長の制服を着させてくれた。

  部隊長といえば、日中戦争で一番最初に華々しい武勲をたてて戦死された加納部隊長の息子さんが、小学校1年から6年まで一緒のクラスだった。

  加納君は秀才で、いつも級長で朝礼のときは列の一番前に立っていた。その次がクラスで一番背の低いぼく。そのころの校長の話は長かった。加納君は必ずといっていいほど、貧血をおこして、青ざめて前にドスンと倒れてしまう。あるときは後に倒れてきて、背の高い彼をささえるのに、やっとだったということを覚えている。

  軍人の父をもつ加納君としては、軍人にならざるを得なかった時代だから、からだの弱い加納君にしてはつらかったに違いない。

  その後、幼年学校を受けたが落ちてしまったという話を聞いた。

  ぼくが中学に入ったのは、戦争も末期の昭和19年の4月だった。われわれ1年生だけが学校にいて、2年生より上は、すべて学徒動員で工場に働きに行って、ほとんど学校には姿を見せなかった。

  毎日のように予科練に入隊していく上級生が、朝礼台にあがって緊張した面持ちで、挙手の礼で立ちつくしている姿が今でも目に浮かぶ。

  近い将来、ぼくも兵隊に行かなければという思いが重くのしかかってきていた。雑誌に載っている予科練に入るための肉体的条件、身長、体重、胸囲などの表をくいいるように見て、自分のそれと当てはめてみると、貧弱なぼくのからだでは、どれも足りず、ゆううつな毎日だった。

  その頃の男の子にとっては、軍人になること以外の目的はもてなかったのだ。中学2年になったときに終戦を迎えてしまって、軍人になることもなく終ってしまった。

  加納君もホッとしたに違いない。彼は東大を出て、一流銀行に入り、重役にまでなったようだ。

  陸軍大佐の軍服を着たら、加納君のことを思い出してしまった。軍服を着ると、身も心もきりっとするから、これは不思議な感覚と言わざるを得ない。

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2006年5月 5日 (金)

ノンケ紳士、乳首を吸われて昇天!

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  渋谷の道玄坂を登りきって、右に曲がった路地の行き止まりの所に、旅館「千雅」があった。もう31年も前のことだ。男女の連れ込み旅館だったところを借り受けて、男同士の旅館に改装したのだ。

  オーナーのKさんと、若いマネージャーが『薔薇族』の編集部に連れだってやってきた。お客が入らないので、なんとか誌上で宣伝してほしいということだった。

  わが第二書房からエロ本作家で有名なSさんの本を何十冊も出していた。ところがSさんは直木賞をとるべく、エロ小説を書くのをいっさいやめてしまった。

  文藝春秋の「オール読物」などに原稿を持ちこんでも、なかなか載せてもらえない。となると生活は困窮してしまっていたので、『薔薇族』の誌上に「小説月評」の欄をもうけてSさんに担当してもらっていた。そのSさんは女好きで有名な人だったが、「ノンケ紳士のゲイホテル潜入記」を書いてもらいたいとお願いしてしまった。Sさんは快く?ひき受けてくれた。

「わが50年の生涯、肥満体のでっぷり突き出した下腹を抱えて、それこそ平凡ならざる、かなり波乱に満ちた生涯を送ってきたつもりだったが、それでもあれほど異様にして、鮮烈なる経験をしたことはなかった。」

  Sさん、ゲイホテルに潜入して、かなりショックを受けたようだった。Sさんは乳首を吸われることが快感で、それだけで昇天してしまうという。

「それじゃ、もし君がいやでなかったら、ぼくのおっぱいを吸ってくれないかい。できれば歯を強く立てて、ギリギリ噛むようにね」

「ああ、いいよ」

  と、青年の口は仰向けになった。ぼくの胸に来た。そして唇に乳首を含んだ。

「こんな変なことをいう人、初めてだろう」

  ぼくはテレてそう聞いた。

「ううん、そうでもないよ、肥満体の小父さんには、おっぱいが敏感な人が多いよ」

  と言って歯でキリキリと噛み出した。痛みがツーンと脳天に抜けるが、同時にひどく気持ちよい。

「ああっ!」

  と思わず声を上げてのけぞった。自分ではその気持ちでなくても、つい声が出てしまう。これまで、女を愛して與える方の愛にはなれていても、先方から愛されるという、受身の愛をまるで知らなかったぼくにはこの愛は鮮烈だった。

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  10頁にも及ぶ潜入記は、大当たりで、「千雅」は大盛況になった。作歌のSさん、それからもひんぱんに「千雅」を訪れているようだった。気前のいいオーナーに食事をご馳走になりに行くのか、男と遊ぶよろこびを開眼してしまったのかは、知るよしもない。

  その後、Sさん、念願の直木賞作家になったが、数年後、あっけなく亡くなってしまった。

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2006年5月 3日 (水)

50年も前の若き日の手紙

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「薔薇は花々の若き王子であって、古代ギリシャでは男性にみたてられていた。愛と喜びと美と純潔とを象徴するこの薔薇は、まさに花々の若き主と呼ぶにふさわしい。」

  ローマ人は一輪の薔薇の花の下で語りあった話は、必ず秘密にする約束を守ったという。

「薔薇の下で=Under the Rose」とは、すなわち「秘密に」という意味だという。薔薇は秘密だからこそ美しいのだ。」

  これは今は亡き、ぼくの親友、国学院大学教授の阿部正路君が、1975年の『薔薇族』7月号に「薔薇族考」と題して書いてくれた文章の一節だ。これが『薔薇族』の誌名命名の原点になった。

  阿部君は、ぼくの頼みはどんなことでも絶対に断わらないよと言って、ことあるごとに『薔薇族』に原稿を寄せてくれた。ただし、国学院大学の恩師である折口信夫先生のことだけは、かんべんしてくれと言われていた。

  ぼくが美輪明宏さんのクラブ「巴里」の前に出した「伊藤文学の談話室・祭」を命名してくれたのも阿部君だった。

「最初に伊藤君と会ったころは、伊藤君は駒澤大学の学生で、僕は国学院大学の学生であった。」とあるように、短歌を通して知りあった仲だ。ふたりで各大学の短歌を学ぶ学生たちに呼びかけて「大学歌人会」を結成し、いろんな催しを企画した。

  阿部君の手許には、このころぼくが阿部君に出した長い手紙が残っているようだ。阿部君の千葉の柏市にあるお宅へお邪魔したときに驚いたのは、図書館のような蔵書の数だった。それがきちっと整理されていて、いつでもすぐに取り出せるようになっている。

  ぼくが恋人と初めて、ふたりでデートしたとき、よろこびのあまり、阿部君に告白したのだろう。

「多摩川を越えて、柿生の丘陵に行きました。光っているすすきをわけて歩きました。萩の花もきれいでした。「あざみの花が一番好き」と彼女はそんなことを言いました。どんぐりの実もひろいました。人っ子ひとりいない丘の道はふたりだけの道でした。

  これは今もぼくの手許にある伊藤君の若い日の手記のように長い手紙の一節である。」

  ぼくは記憶力は、まったくゼロに近いけれど、学者である阿部君は、記憶力がよくて、学生時代のことをなんでも覚えているので、びっくりしてしまった。

  今までもわからないことがあると、なんでも電話をかけて聞いていたのに、もう阿部君はこの世にいない。

  もしかしたら、書斎はまったくいじらずにそのままになっていると、奥さんが言っていたから、ぼくの若き日の手紙もどこかに大事にとってあるかも知れない。奥さんにお願いして、手紙を探してもらおうかと考えている。青春をとり戻すために50年も前に阿部君に宛てた手紙を――。

写真は前列左端が若き日の阿部正道君、右から3番目がぼく(昭和29年1月25日)

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2006年5月 1日 (月)

ゲイの結婚問題は解決しただろうか?

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『薔薇族』の読者にとって、異性との結婚がどうしても通り抜けねばならない、関所のようなものでした。

  ひと昔前までは、男が30歳を過ぎてもひとりでいれば、「あの人、ちょっとおかしいのでは」と、言われた。

  世の中、変わってしまって、男も女も結婚しないでいる人があまりにも増えてしまったので、今では変態よばわりされなくなってきている。

  30年ぐらい前の読者は、結婚問題でみんな悩んでいて、こんな手紙をもらったことがある。

「異性に興味がないことに、とまどいを感じながら今年の5月で26歳になった。私にも、この数年の間に、数え切れないほどの結婚話がありました。6人兄弟の末っ子ということもあって、すべてが養子話ですが、そのたんびに‘養子をするような甲斐性がないから断わってほしい’と、両親をずいぶん困らせてきました。

  結婚をしたとしても、異性にはまったく欲望を感じない私には、私ばかりではなく、相手の女性にも、家族にも、とりかえしのつかない迷惑が、かかることは容易に想像できるのです。

  結婚が人生の一番の幸せだと信じ、一日も早く結婚させようとあくせくしている、年老いた両親を見るにつけ、伊藤さんの力を借りてすれば、なんとか道も開けてくるのではと。

  この数年間、このまま生き続けることに普通の人には考えられないほどの抵抗感を持って生きてきました。

  人生に結婚という関所がある以上、こんな田舎では私も一度は通らなければならない門であり、役所に勤めている以上、結婚は社会的な立場を得るためにも、どうしても必要であることが、正常な女性とは結婚してはいけないのだ!という自分自身の良心との葛藤に泣きたいような気持ちを抑えて歩いてきました。

  昨年の12月に初めて、同性と肉体関係をもちました。そのとき友達からも『薔薇族』をゆずり受け、その中で私にとっては救世主と思われるような伊藤さんの存在を知り、また同性しか愛することのできない女性もいることを知りました。私に結婚相手を見つけてください。」

  ぼくは早いうちから、自分の性癖を相手の女性に隠して結婚するようなら、レズビアンの女性と結婚することをすすめていた。もちろん愛する男と結婚できることが理想だけど、日本ではまだまだそれができない。そうなれば分かり合ってレズビアンの女性と結婚をということだが、これが意外と難しかった。

  成功例もあって、これにはぼくもうれしかったが、失敗してしまうケースも多かった。

  レズビアンの人って男っぽい人が多いから、家事をしてくれないとか、熱を出して寝ていても看病してくれないとか、なかなか計算どおりにはいかないものだ。

  結婚の問題は今でも長男だったりしたら、地方に行けば行くほど、30年前と同じことではないだろうか。早く男同士でも結婚できるような世の中にしたいものだ。

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