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2006年5月 7日 (日)

部隊長の制服

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『薔薇族』の読者には、いろんなマニアがいる。「軍服マニア」と呼ばれる人がいて、旧陸軍の部隊長の制服を一式、コレクションしている人がいた。

  大きな鏡の前で、お互いに軍服を着ていてセックスするのだ。軍服を着ていることが快感なのだから、軍服を脱いで裸になってしまったら興奮しないのだそうだ。

  1976年のことだから、30年も前の話。ぼくが44歳のころだから、丁度、部隊長の年齢だ。軍服マニアの読者が、わが家に現れて部隊長の制服を着させてくれた。

  部隊長といえば、日中戦争で一番最初に華々しい武勲をたてて戦死された加納部隊長の息子さんが、小学校1年から6年まで一緒のクラスだった。

  加納君は秀才で、いつも級長で朝礼のときは列の一番前に立っていた。その次がクラスで一番背の低いぼく。そのころの校長の話は長かった。加納君は必ずといっていいほど、貧血をおこして、青ざめて前にドスンと倒れてしまう。あるときは後に倒れてきて、背の高い彼をささえるのに、やっとだったということを覚えている。

  軍人の父をもつ加納君としては、軍人にならざるを得なかった時代だから、からだの弱い加納君にしてはつらかったに違いない。

  その後、幼年学校を受けたが落ちてしまったという話を聞いた。

  ぼくが中学に入ったのは、戦争も末期の昭和19年の4月だった。われわれ1年生だけが学校にいて、2年生より上は、すべて学徒動員で工場に働きに行って、ほとんど学校には姿を見せなかった。

  毎日のように予科練に入隊していく上級生が、朝礼台にあがって緊張した面持ちで、挙手の礼で立ちつくしている姿が今でも目に浮かぶ。

  近い将来、ぼくも兵隊に行かなければという思いが重くのしかかってきていた。雑誌に載っている予科練に入るための肉体的条件、身長、体重、胸囲などの表をくいいるように見て、自分のそれと当てはめてみると、貧弱なぼくのからだでは、どれも足りず、ゆううつな毎日だった。

  その頃の男の子にとっては、軍人になること以外の目的はもてなかったのだ。中学2年になったときに終戦を迎えてしまって、軍人になることもなく終ってしまった。

  加納君もホッとしたに違いない。彼は東大を出て、一流銀行に入り、重役にまでなったようだ。

  陸軍大佐の軍服を着たら、加納君のことを思い出してしまった。軍服を着ると、身も心もきりっとするから、これは不思議な感覚と言わざるを得ない。

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コメント

こんにちわ
少々重たいお話ですのに、ごめんなさい
私は1975年の生れでして。
父と父の兄が非常に年が離れておりました、その差18です。
叔父は予科練に行き、飛ばぬまま終戦を迎えました。
しかし、戦争の現実を知らない私にとって、兵隊に行かなければ、というその一言がとても印象に残りました。
皆がその様に思う時代だったのでしょうか。
不躾なコメント申し訳ありません。
しかしながら、日本の今の教育では戦争をひた隠しにし続け、知ろうとしない者も多いかと思います。
資料で史実は知る事が出来ても、この様なお話はそう無いので、興味深く拝見させていただきました。
昨年は戦後60年という事でその様な番組が多かったですが、某衛星で記録映画「東京裁判」を見ました。
長い長い映画でしたが、ずっと見入っておりました。

投稿: pecado | 2006年5月24日 (水) 17時59分

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» 大変参考になりました。 [東大を目指すなら・・・]
勉強にはけっこう秘訣みたいのがあるんですね。実際に東大に合格した人だと信頼できますね。 [続きを読む]

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