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2006年6月

2006年6月28日 (水)

「北沢川文学の小路」物語、完成!

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「自転車でたどる下北沢文士物語」と題して児童文学作家・きむらけんさんが、6月24日(土)・朝日新聞の東京版に紹介された。

「自転車で世田谷区下北沢周辺で暮らした文学者の足跡を回り、ブログで紹介している人がいる。元国語教師で児童文学作家、きむらけんさん(60歳)。「日々発見がある。もう、どきどきしちゃうわけです」。ブログの内容を凝縮した冊子「『北沢川文学の小路』物語」を出した。」

  この記事を書いてくれたのは、朝日新聞社東京総局の内山美木さんという記者の方だ。この冊子は、きむらけんさんが文章を書き、デザイナーの東盛太郎さんがデザインをという、二人のメールを通して知り合ったコンビが最高の冊子を作りあげた。この出会いがなかったら、こんな素晴らしい冊子は完成しなかったろう。

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文学的な記事は朝日でなければという思いがぼくには強かった。読売や、毎日では駄目なのだ。ぼくは朝日のお蔭でいい仕事をさせてもらったことがある。昭和39年頃、心臓手術のために、ぼくの末の妹が東京女子医大病院に入院していた。手術の日が病院の都合で、何度ものびたので妹はやけくそになっていた。

  そんなときに朝日新聞の「読者のひろば」という欄に「妹に激励の手紙を!」という一文を投稿した。当時の新聞の効果は、ものすごかった。何百通もの手紙が寄せられ、花束は贈られてくるし、見舞いにきてくれる人、それは大変な騒ぎになってしまった。

  その後、手術に成功。それも都内版の記事になるや、週刊誌の取材が殺到し、ついに日活で映画化までされてしまい、心臓病の啓蒙に多大な貢献をすることができた。

『薔薇族』が廃刊になったとき、朝日に報道されるや、これまた各メディアが押しかけて、その後の1週間は取材でしゃべりどおしだった。

  きむらけんさんも、これからの執筆活動にこの記事が大きな影響をあたえるだろう。この冊子が出来上がったときに、まず朝日の特ダネでと、いままでのいきさつを書いて、東京総局に取材以来の手紙を出したところ、内山さんが取材してくれて、記事にしてくれたのだ。

  ぼくが通いつめている喫茶店の「邪宗門」が「北沢川文学遺産の会」の事務所になっている。

  記事が載った日に「邪宗門」に行ってみたら、電話がなりっぱなし。続々とこの小冊子を取りにお客さんが訪れていた。

  ぼくは校正を見て、2、3字の間違いを見付けただけのお手伝いしかしていないが、記事の中に「同性愛向け雑誌『薔薇族』の編集長、伊藤文学さん(74)たちと意気投合し、地域の文化を守ろうと会を結成。区の補助金を受けて冊子も出した。

「邪宗門」は、森鴎外の娘で、作家の森茉莉さんが常連だった。きむらさんは、そうとは知らず入った。

「縁ですね。昔の文学者とだけでなく、今を生きる人々とも」

  校正を担当した伊藤さんは「先生(きむらさん)とは肌が合わないの、勉強ができて、理屈っぽいからと笑いつつ」とある。

  内山美木記者のすごいところは、若い方なのに、この冊子に登場する文学者のことはすべてご存知だし、ぼくのコメントは、たったの4行なのに、『薔薇族』の編集長らしく、短いコメントにゲイっぽいニュアンスをちゃんと表現してくれた、名記者なのだ。

  ●「邪宗門」〒155-0033・世田谷区代田1-31-1・TEL03-3410-7858

●「北沢川文学の小路物語」ご希望の方、ぼくの手許に少しはありますので、おわけします。〒155-0032・世田谷区代沢5-2-11・伊藤文学宛に80円切手2枚(送料)を入れてお送りくだされば郵送します。

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2006年6月14日 (水)

「アウトロー列伝」に伊藤文学が入ったなんて

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「別冊・宝島」から、昭和、平成、日本『アウトロー列伝』なる物凄い本がでた。そのキャッチ・フレーズには「反骨・無頼・破天荒!“破壊の美学”生きた30人の男」とある。

なんと、その30人の中に「伊藤文学」が入っているではないか。

漫画を地でいった破天荒人生の「梶原一騎」新右翼のカリスマ「野村秋介」力道山が逃げたという伝説「花形敬」北朝鮮への無謀な冒険「田宮高磨」など、写真を見ただけでも迫力を感ずる人たちだ。

ぼくの写真もカメラマンが何十枚も撮った中から選んだ数点なので、よく撮れてはいるが、どう見てもアウトローという凄みはない。安藤組の戦闘部隊で生き残った男という元ヤクザの作家の安部譲二さん、その眼光はするどい。

この7月に河出書房新社から、ぼくの書き下ろしの単行本が上製本で出版される。この時代に自費出版でなくて、本が出せるなんて夢のような話だ。

二度も『薔薇族』が廃刊になってしまって多少は落ち込んでいたが、「拾う神あり」で、また、ぼくに再起のチャンスを与えてくれた河出書房新社に感謝している。

発売は710日から20日の間ぐらいになるようだ。書名は『薔薇族の人びと=その素顔と舞台裏』。『薔薇族』の初期の頃、『薔薇族』を支えてくれて、黄金時代を築いてくれた13人の人びとのことを描いたものだ。

ところがこれ1冊だけでなくて、続いて株式会社「九天社」からも執筆依頼があって、これも書き下ろしで書き上げた『薔薇よ永遠に=『薔薇族』編集長35年の闘い』という書名でだ。この本も7月中には刊行される。

以前、文春から発売された『編集長 秘話』が、幻冬舎の文庫に入れてくれて、この秋には刊行される。

『薔薇よ永遠に』の中に書いたが、『薔薇族』が創刊された昭和46年、その19年前に会員制で刊行された『アドニス』そのあと同じように会員制で刊行された『薔薇』。昭和の20.年代、30年代のゲイ事情を古い雑誌から知って書いた。

『アドニス』も『薔薇』も非合法の地下出版で住所も発行所も書いていないのに、取締当局を恐れているところが面白い。

わが第二書房は、昭和20年代に『女の防波堤』など3冊も発禁をくらっている。『薔薇族』は創刊2号目が風紀係に始末書を書かされ、その後、始末書をとられること、20数回、発禁は4回と、輝かしい戦跡を残している。

こういう出版を続けるには、発禁など恐れてはいられないという信念をつらぬいてきた。その辺が『アウトロー列伝』の中に入れてくれたゆえんではなかろうか。

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今の世の中、変人、奇人がいなくなっている。この本を読むと面白い。破天荒な生き方をつらぬいた人たちの話って、教えられるところが多い。

みんな小粒で同じような人間ばかりの世の中じゃ、情けない話ではないか。

★『アウトロー列伝』宝島社発行・定価1050円(本体1000円)

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2006年6月13日 (火)

ロシア初のゲイパレードは流血騒ぎ!

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  ゲイの人たち、日本で生まれたことを感謝すべきだろう。江戸時代までの日本の社会は同性愛に対しては寛大だった。明治に入って富国強兵が叫ばれ、人口を増やし、海外に進出していかなければならず、子供を産まない同性愛者は、どうしても社会の片隅に押しやられてしまった。

  幸いなことに日本におけるキリスト教の力は弱い。神道も、仏教も、同性愛を差別したり、偏見を持って見ることもない。これは同性愛者にとって幸いなことだ。

  2006年、5月31日(水)の東京新聞の朝刊だけに、こんな記事が載っていた。ロシアのモスクワでの事件で、稲熊均さんの記事だ。

「同性愛者の権利擁護を訴えるグループがロシアでは初となる集会を27日、モスクワで行おうとしたところ、警官隊に強制排除され、活動家ら約120人が逮捕された。

  排除の過程で、ネオナチやロシア正教の過激派も加わり、活動家らを殴打するなど、流血の事態にエスカレート。ロシアにおける同性愛者への偏見の強さを示した。」

  ロシアの刑法から同性愛者に対する特別な罰則条項が削除されて、13周年となるのを記念し、モスクワ中心部で集会とデモ行進が行われる予定だったとある。

  ロシアの正教関係者からは「ゲイを刑務所へ」などという怒声とともに生卵などがぶつけられた。

  首都中心部での流血の事態を欧州各国のテレビは大きく報じたが、ロシア国内のテレビは一切報じなかった。こうしたロシアの対応に欧州からは「いかなる人権も擁護するという民主主義の原則に反している」(デラノエ・パリ市長)などと批判が高まっている。

  日本のテレビも、くだらない事件の報道をひっきりなしに報道しているのに、こんな大事なニュースは放映されない。新聞も朝日、毎日には載っていなかった。

  アメリカでも最初のゲイパレードは、警察官の壁に囲まれての行進で、「ゲイは街から出て行け!」のポスターが街中に貼られていたという。35、6年ぐらい前のことだろうか。

  日本は幸いなことに、ひとつの宗教が大きな勢力を持っているということはない。いろんな宗教があるというのもありがたいことだし、無宗教の人も圧倒的に多いのではないか。

  日本ではすでにゲイパレードが毎年催されているが、警察官は警備はしているが、壁のように囲んでしまうということはない。ゲイが弾圧されているわけではないから、大きなスローガンをかかげにくいという現実もある。

  差別や偏見があるのか、ないのか、これはひとりひとりが自覚を持って、対処していくしかないだろう。

2006年5月31日(水)東京新聞朝刊

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2006年6月 1日 (木)

大作家と地方出の青年が出逢って

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イの作家、福島次郎さんが2月22日、すいぞうがんで76歳で亡くなった。本当に短い半年ぐらいのぼくとのお付き合いだったが、亡くなってから福島さんのことが気になり始めた。

  文藝春秋から刊行され、三島さんの遺族の訴えによって発売停止になってしまった『三島由紀夫-剣と寒紅』を手に入れて読んでみて、興味を持ったことがあった。

  福島さんが三島さんの『仮面の告白』を熊本の書店で何気なく手にとり、その内容が私を根本的に悩ませている事柄と同じだとわかり、買って帰って、夢中で読み通したのが二十歳の夏であった。

  福島さんが東京の東洋大学の国文科に入学したのが、昭和22年ということだ。ぼくが駒沢大学の国文科に入学したのが、その一年後の昭和23年。敗戦後でひどい時代だった。

  その後、福島さんは三島さんの『禁色』を読み、その小説に登場してくる「ルドン」というゲイバアに行ってみたくなった。

「先生の『禁色』という小説にも出てくるルドンという店は、どこにあるのでしょうか。教えて頂きたくて参りました。ひとこと教えて貰えれば、すぐに帰りますのでお願いします。」というような手紙を持って、三島邸を訪れたのだ。

「十分ほどして襖(ふすま)があき、「やあ、待たせてごめん」という声と共にあらわれた三島さんは、髭(ひげ)そりあとも青々しく活きのいい顔で、その痩身には、細かい絣模様のある白地の着物に黒い兵児帯を、あたかも明治か大正の芝居に出てくる良家の令息という感じにきりりと締めていた。」

  どこの誰だか分からない、地方からぽっと出てきた青年、大作家である三島さんが、会ってくれただけでも信じられないことだ。

「『禁色』に出てくるルドンは、実際にあった「ブランズウィック」という店をモデルにしており、銀座五丁目裏-歌舞伎座の反対側の街並の、ある角から折れて、その数軒先の左側にあった。」

  なんと初対面の青年を連れて、「ブランズウィック」に連れて行く。その上、「三島さんと私がホテルへ行ったのは、逢ってすぐではなく、銀座や内藤家での出逢いを五、六回くりかえしたあとであった。」

  三島さんは福島さんを連れて、ホテルへ行きたいのを我慢していて、やっと誘ったという感じだったと福島さんは書いている。初めて逢ってその足でホテルへ行っても不思議ではない。ゲイの人って好みが合うと、すぐに親しくなってしまうという習性を持っているから、三島さんの行動は別に珍しいことではない。ゲイ独特の感性というべきだろうか。

ホテルでの三島さんと福島さんとの最初のセックスの状況も克明に書かれている。今までゲイの小説をぼくは数多く読んできたが、三島由紀夫さんという偉大な作家が登場してくる小説だけで、こんなに面白い読物はなかった。三島さんがどこにでもいる、ゲイのひとりとして描かれているところが一番興味深かったのだ。

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