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2006年7月

2006年7月30日 (日)

才人、藤田竜君のこと

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  人間の出会いって不思議なもので、運みたいなものがある。いい人との出会いがあると人生まるっきり変わってしまう。

  藤田竜君と、ぼくとの出会い。これは運命的なものだった。ぼくが『薔薇ひらく』という単行本のあと書きに、雑誌を出したいということを書いておいたら、藤田竜君と、間宮浩さんがそれを見て手紙をくれた。

  ふたりともSM雑誌の『風俗奇譚』に原稿を書いていたが、ホモ関係の読物は大事にされなかったので、不満を持っていたのだろう。

  ホモ雑誌を出したいという、ぼくの呼びかけに、よしとばかりにとびついてきた。

  河出書房新社発行の『薔薇族の人びと=その素顔と舞台裏』(定価\2000・税別)は、初期の頃の『薔薇族』のために、力を貸してくれた人たち、13人のことを書き記した。

『薔薇族』創刊以前に会員制で出していた、『アドニス』や『薔薇』などは、せいぜい500人ぐらいの会員しかいなかっただろうから、有能な読者にめぐり会えなかったのでは。『薔薇族』は、トーハンや日販のルートに乗せることが出来たから、創刊号から一万部を全国の書店に送り込むことができた。

  それが出来たからこそ、地方に住んでいる有能な読者が、その永年のモヤモヤを払いのけんがために、小説や、エッセイ、体験談を続々と送ってくれた。

  ただグラビアのモデルだけは困ったものだ。誌上に「モデル募集」の広告を出したら、電話がかかってきたので、渋谷のハチ公の銅像のところで待ち合わせることした。

  どんなにいい男がと期待にワクワクして、藤田君とふたりで、渋谷におもむいた。雑誌を手に持っているように伝えておいたので、確かに雑誌を手に持った若者が立っていた。その若者に目をやったが、ふたりで顔を見合わせてしまった。

  そのまま声をかけずに帰ってきてしまったが、今、考えてみると、声をかけてからお断わりすべきだったと後悔している。本当にゴメンね。

  モデル集めの苦労を書き出したらきりがない。今でも東スポの三行広告欄を見ると、「男性モデル募集」の広告がいくつも載っている。どのゲイ雑誌も、あの手この手でモデルを見つけるのに躍起になっている。

  今度の本にも一番最初に藤田竜君のことを書いた。「ゲイ雑誌にゲイの文化をとり入れた藤田竜」と。藤田竜君のことを書いただけでも一冊の本になるぐらい、いろんな出来事があった。まったく性格が反対のふたりが、よくぞ35年も一緒にやってこれたものだ。

  藤田君、本当にお疲れさまでした。

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2006年7月28日 (金)

稲垣征次展「少年艶姿」を見よう!

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『薔薇族』を35年出し続けてきて、一番の気がかりは「少年を愛する、少年愛者」のことだ。それは18歳未満の少年に手を出して、ワイセツ行為をして、それが発見され親に訴えられたとしたら犯罪になってしまうからだ。

  しかし、少年を愛する欲望は、持って生まれたもので、本人が少年愛者になろうと思ってなったわけではない。自然になってしまったのだから、死ぬまで変えるわけにはいかないのだ。

『薔薇族』のスタッフのほとんどが、少年愛の記事を載せるのはよそうという考えだった。それは少年に手を出せば、犯罪になってしまう。同性愛者全体がよく思われなくなってしまうという理由からだ。

『薔薇族』の創刊の頃は、少年に対する規制も、そうはきびしくはなかった。それが時代の流れと共に、少年、少女に対する規制はきびしさを増すばかりだ。今や、少年のヌード写真を誌上に載せることはできない。

  誰かが少年愛の人たちのことを考えてあげなければと、『薔薇族』では少年愛者に向けた読物を載せるようにしてきた。そうでなければ、少年愛の人たちは、はけ口がないではないか。

  河出書房新社刊の『薔薇族の人びと』の中のひとりに、少年愛者の稲垣征次君のことを紹介している。「少年愛者の孤塁を守り通した-稲垣征次」と題して。

  稲垣征次君という少年愛者の男を、ぼくはかばい続けて、みんながやめさせろというのを、廃刊に追い込まれるまでいてもらった。

  稲垣君は少年の絵を描き続けている。『薔薇族』に登場するようになったのは、1983年の5月号からだ。「金色の少年」と題した3枚の作品がグラビア頁を飾ったのが最初だった。稲垣君の描く少年の絵のほとんどは鉛筆画だ。1枚の絵を仕上げるには、かなりの時間がかかる。それを丹念に仕上げていく。まさに職人芸といえるだろう。

  谷口和已君という、少年をテーマにした小説ばかりを書いている人がいた。その挿絵はいつも稲垣君が描いてくれた。

  東京での大学生活中に出会った一冊の本で自らが少年愛者であるという、確固たる自覚を持つことになった。その本は稲垣足穂さん(1900年生まれ、1977年没)の執筆した『少年愛の美学』だった。足穂に熱中したがゆえ、ペンネームを稲垣征次と名付けたほどだ。

  稲垣君は文章も書く。1988年の4月号が最初で「3月・白梅」から始まる連載物の「少年愛花物語」は、エッセイとイラストで見開きになっていて、24話も続き大好評だった。

  1997年の12月号からは「少年愛万華鏡」という頁を受けもって、これは廃刊になるまで続き、少年愛の読者の心の支えになってきた。

  稲垣君、毎年のように渋谷のギャラリー「美蕾樹(ミラージュ)」で個展を開いているが、今年も8月5日(土)~8月15日(火)・午後1時から夜7時まで(水曜日休み)「稲垣征次展・少年艶姿」が開催される。

  今年は及べて色彩画とのことなので、なまめかしい少年の裸体が見れるに違いない。少年の好きな人、必見だ!

  会場は渋谷の西武デパートのA館とB館との間を通り抜けると、すぐ右側のビルの4階だ。

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2006年7月26日 (水)

『仮面の告白』をやっと読みあげた!

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左ひざの手術前の検査入院で、新宿の東京医大西病棟14階に7月10日(月)から入院して、毎日、検査、検査の日々が続いている。

  夜10時消灯、朝6時に起こされてしまう。こんな早く寝たこともないし、朝、6時に起きるなんて考えられない。

  検査の時間の間はひまなので、ず~っと前から読まなければと思っていた、三島由紀夫の『仮面の告白』をついに読みきってしまった。

  わが家には新潮社刊の『三島由紀夫全集』それも豪華本が書棚にずらっと並んでいるが、ただの一度も開いたことがない。本の問屋の「トーハン」の仕入れの人に頼まれて、一冊何万円かの革製の豪華本をお義理で買わされてしまったのだ。

  頭のいい人って、なんでこんなに難しい表現で小説を書かなければならないのか。三島由紀夫作と言われている『愛の処刑』。(ぼくの著書の河出書房新社刊『薔薇族の人びと』。九天社刊の『薔薇よ永遠に』の中にも収録されているので読むことができる。)

  これは誰にでも理解できる、平易な文章で書かれているので、「切腹」という特異なことを描いているにもかかわらず、読むものを感動させる。

『仮面の告白』は、三島由紀夫の半自叙伝な小説と言われている。この小説を読んでみて、女好きの男が、これほどまでに同性愛者の心理や、悩み、苦しみを描けるわけがない。なんで評論家と言われる人は、素直に受け入れないのだろう。

  頭のいい三島由紀夫が描いたことなので、その裏があるのではないかと考える。巻末に世田谷文学館の館長でもある、文芸評論家の佐伯彰一さんが「三島由紀夫人と文学」の一文を書いている。三島さんを同性愛者だなんて言ってしまったら、ご自分も変な目で見られやしないかと思ってしまうから、はっきりとは書けない。

『仮面の告白』を文芸評論家たちが、書いていることを素直に受け取ったとしたら、三島さんも随分と気が楽になって、それから書く作品も変わったのではないだろうか。

『仮面の告白』に表現されていること、やたらと難しく書いているが、書かれていることは、同性愛者が誰もが感じていることを素直に書いているに過ぎないのでは。

  女性と結婚したくもない結婚をして、子供までつくり、名声は得たかも知れないが、本当は三島さんって、可哀想な、いや、愛らしい人だったのでは。

『薔薇族』の読者の何人かと、会っているようだけれど、会って男の話をしているときって、きっと楽しかったに違いない。

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2006年7月24日 (月)

何から何まで病院で自白させられて!

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  7月10日(月)から新宿の東京医大に、左ひざの手術を受ける前に検査入院をしている。1週間の予定でだ。

  ぼくは入院をした経験は、20数年前、確か日航機が御巣鷹山に墜落した年だったと思う。早く手術すればよかったのだけど、こじらせてしまって、黄疸が全身まっ黄色。関東中央病院に入院。胆石の手術をして胆のうも摘出してしまった。

  3ヶ月も入院するという派目になってしまったが、丁度エイズの問題が起きてきたときで、厚生省から電話がかかってきたり、アメリカのワシントンポストからも電話があったり、手術後、病院を抜け出して、テレビの取材に応えたりで、大変なときだった。

  もちろん全身麻酔をかけて手術をしたが、事前に検査なんてものは何もされなかった。ところが今の世の中、手術ミスなんかすると、すぐに病院が訴えられてしまうから、手術前に手術に耐えられるか、悪いところがないかを事前に調べる検査入院なんてことになってしまう。

  医師の前で、身体の悪いところを全部、自白させられてしまう。まだ前立腺肥大でおしっこがひんぱんに出るし、残尿がある。

  それから恥ずかしい話だが、陰のうがかゆくなる「いんきん」。これは何十年も前からだろうか。ちょっと油断して薬をつけないでいると、すぐに悪化してしまう。それの繰り返しで今日まで続いている。

  これも皮膚科に連れて行かれて、薬を出してくれた。

  これは隠しておきたかったが、痔だ。おそらく親父がひどい痔主だったから、遺伝ではないかと思う。親父がトイレから出たあと、便器が血だらけになっていたのを思い出す。

  胆石の手術で関東中央病院に入院したときに、外科の先生にお尻を診てもらったことがあった。生まれつき肛門が細くて、曲がっていると言われてしまった。

子供の頃の記憶だから戦前の話だ。あたりは原っぱや、畑や、竹やぶばかり。よく野原を歩いていると、野ぐそを発見することがよくあった。それが太くて、とぐろをまいているのを見たとき、これは驚きだった。

  驚きというより、うらやましかったというべきだろうか。

  孫が生まれて、4、5歳になった男の子が便器に残したものが、さつまいものようだった。これが当たり前なのかも知れないが、自分のモノを考えると情けなくなってしまう。

  入院して時間を持て余しているので、三島由紀夫の『仮面の告白』を読みかえしている。これも告白してしまうと、何度か読みはじめて途中でやめてしまっていた。今度は時間があるので、全部読みきれるだろう。

  今月25日頃に書店に出る、ぼくの書き下ろしの単行本『薔薇よ永遠に=薔薇族編集長35年の闘い』(定価\1900・税別・九天社)の中に「薔薇族的三島由紀夫考」という章がある。そこで三島さんのオチンチンが大きかったか、小さかったかの論争が載っている。『仮面の告白』を読んでいると、三島さんが、ものすごい劣等感の持ち主だったということがよく分かる。ぼくのお尻の穴も細くて、オチンチンも小さいけれど、三島さんのオチンチンも小さかったのでは。

  家に電話したら河出書房新社刊(定価\2000・税別)のぼくの書き下ろしの『薔薇族の人びと=その素顔と舞台裏』の見本が出来て、送られてきたそうだ。早く手にとって見たい。

  このブログを見ている人、本も買って!ぼくのラストチャンスだと思っているから。月末には再復刊の『薔薇族』も出るぞ。これは定価\630(税込)

  退院したらバリバリ、ブログに書きこむから待っていてね。

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2006年7月18日 (火)

パソコンの本を出す出版社が『薔薇族』の本を出すなんて!

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  2005年1月28日発行の「別冊・宝島・日本タブー事件史」に「タブーに挑んだ男・無数のゲイたちと過ごした33年「『薔薇族』廃刊」とその時代」のタイトルでとりあげてくれたことがあった。

「2004年9月『薔薇族』が廃刊。33年の歴史に幕を閉じた。創刊当時、ゲイの存在はタブーとされていた。そんな彼らに希望と夢を与えた男が『薔薇族』と歩んだ33年を語る」とあるから、最初に廃刊になったときのことだ。

  その取材の折りにカメラマンや、ライターに交じって、小柄な女性がいた。その女性が現在、「九天社」の編集部にいて、ぼくの著書『薔薇よ永遠に・薔薇族編集長35年の闘い』を手がけてくれている人だ。いつの間にか、「九天社」に入社していたのだ。

  本当のこと言って、「九天社」の存在をぼくは知らなかった。それはそのはずで、パソコン関係の本を専門に出している出版社だから、ぼくが知っているわけがない。

『日本タブー事件史』の奥付を見たら、編集とある中に「加納美穂」の名前があった。取材に一緒に来たときから、ぼくのことを覚えていたのだろう。

  編集会議でぼくの本を出したいという企画を出したら、上司も社長も賛成してくれたそうだ。それからぼくのところに来るようになったのは、今年になってからだろうか。

  いやはや、その熱心さには驚きました。河出書房新社の『薔薇の人々=その素顔と舞台裏』を書き上げた勢いで、いっきにまとめあげてしまった。

  左ひざの痛みは増すばかりで、2階の仕事場と1階のコピー機の置いてあるところまでの階段を上り下りするのはつらかった。

  ぼくは親父の下で単行本の出版を長い間、手がけてきたので、装丁とか、レイアウトが気になってしまい、ついつい加納さんに、こうしたらと言ってしまうことが多かった。しかし途中になって、これは加納さんにまかせなければと気がついた。「九天社」の編集部にいて仕事をしているのだから、自分に考えどおりに本を作らなければ、楽しみがないじゃないかと。

  一度、ぼくが車を運転して加納さんの案内で「九天社」の事務所を訪ねたが、ビルの9階にあった。どこまでも「九」にこだわっているようだ。

  社長は40代の若い方で、社長さんも加納さんと一緒になって本作りに真剣にとりくんでくれている。

  事務所に「九天社」の本がずらりと飾られていたが、ぼくの本のようなのを出版するのは初めてのことらしい。

  カラーも8ページも使って、こった本を作っていて、夜遅くまで、土曜日も休みなしで働いている加納さん。これはなんとしても話題にして本を売らなければ申し訳がない。

  パソコンの本を出している出版社が、パソコンなんて触ったこともないぼくの本を最初に出してくれるなんて、不思議なご縁としか言いようがない。

  7月25日頃、書店で売り出される。

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2006年7月17日 (月)

こんなもの読みたいと思う人、いるの?

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メディア・ソフトで『薔薇族』が復刊されたときに、大活躍してくれた影坂狩人君が、最近、自費出版で『HGの呪い Gay Year BOOK 2005』なる本を刊行した。

  この本は昨年おきた同性愛関連の出来事を硬軟(政治、宗教から下半身スキャンダルまで)とりまぜ可能なかぎり網羅し、一点、一点に解説コラムとイラストをつけた、本邦初の「ゲイ年鑑」だそうだ。

  ぼくと影坂君の対談と、業界著名人とのロング対談3本も収録し、幅広い層に楽しんでもらえるように作ったという。

  自費出版をする前に、この原稿を持って、何社かの出版社に本にしてもらいたいと、売りこみに行ったそうだ。その話を影坂君から聞いたので、再復刊号の『薔薇族』に、出版社の編集者の人たちが、どんなことを言って断わったのか、そのへんのいきさつを書いて欲しいとお願いした。

  早速、原稿をメールで送ってくれた。

「ゲイがテーマと聞くや、ほとんどの編集者が原稿を見る前から難色をしめしだし、「こんなもの読みたいと思う人なんて、本当にいるの?」「もし出版したとして、どのくらいの部数がはけるんですか?」といった質問を判で押したようにあびせてきました。

  特別に彼らに悪意があるわけではありません。「出したところで売れるわけがない」と短絡的に結論付けてしまうのでしょう。」

  そんなことで、どこの出版社でも相手にされず、仕方なく自費出版したようだ。影坂君が無名の作家ということもあったのでは。

  秋山正美さんが四十年も前のことだが、マスターベーションの正しいやり方を書いたという原稿を持ち込んできたことがあった。

  あちこちの出版社に持ち込んで、どこでも断わられ、わが社にやってきたというわけだ。ぼくは学生時代の体験から、この本を出すことによって、マスターベーションをやっている人たちが、精神的に楽になるのではと『ひとりぼっちの性生活』というタイトルをつけて本にした。

  それが数万部も売れて、『薔薇族』へとつながっていった。

  さて影坂君の原稿、ぼくが持ち込まれた編集者だったら本にしただろうか?

  この7月に河出書房新社と、九天社の二社から、ぼくの書き下ろしの単行本が豪華本で出版される。これは出版社からの依頼で出すもので、自費出版ではない。

  出版不況の最悪のときに、二冊も本が出せるなんて夢のようだ。これが話題になって売れてくれれば、影坂君のような若い人が書いた本も出版しようという出版社も現れてくるだろう。なんとしても売らなければならないのだ。

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