あんなに女房の悪口を言っていたのに。
1987年の5月号に、ぼくは「ひとりごと」の欄に「こんな悲しい夫婦が」という文章を書いたことがある。
四国に住む小学校の先生で、校長にまでなって、定年でやめられた方だ。ジャニーズのショーを見に上京されたときにお会いしたことがある。文章を書くのがお好きな方で、よく少年愛についての文章を寄せてくれた。
奥さんもいて、二人の子供さんは成長して独立されている。この投書は定年を間近かにひかえた頃のものだ。
「今、定年退職後がしきりに気になって仕方がない。私はあと二年で定年を迎える少年愛の教師。
今まで都合よく単身赴任ということで、家族と別居でやってきた。世間でふつうにいう単身赴任の不便さ、悲哀といったものをまったく感じないで、かえってのびのびと妻から離れて生活してきたのである。
単身赴任といっても、妻がときどき私の借りている家へやってくるという生活。ちょうどそれでよかったのだ。
ところが定年が近づいてくると、この都合のよい妻との別居ができなくなるのだ。もう毎日、朝、昼、晩、1年365日、いつも妻と一緒。寝るときも、すぐ横の寝床に妻という女が寝ている。ときには手をのばしてきて、求めてきたり…。ああ、いやだ、いやだ。ああ、どうしよう。
もう、かわいい少年を遊びにこさせたり、泊まらせたり、抱き合って寝たりできなくなるんだ。『薔薇族』をこっそり読んだり、若い男の子の写真を切り抜いて楽しんだりできなくなる…。
妻はりっぱな女性だと思う。できた女である。よく尽くしてくれた。けれど本質的に女嫌いの私は、ただの一度だって妻を愛しているなんていう感情を抱いたことがない。好きだと思ったことがない。いつもいやでいやで、いつも女房気どりでいる妻がうとましかった。」
この先生、奥さんが留守をすると、きまって電話をかけてきた。それが20年を越しただろうか。奥さんがいないときに、手紙を書いて送ってくれた。それもかなりの分量になっている。
定年後の生活。奥さんと二人だけの生活は定年前に考えていたとおりになって、地獄のような毎日のようだった。
それが今年になって脳こうそくで倒れ、半身不随になってしまった。こうなると奥さんの看護なしでは生きてはいけないし、少年が好きだなんて言ってはいられない。
しばらくぶりに奥さんがいないからといって電話をかけてきたが、まだ、ろれつが回らない。あんなに悪口を言っていたのに、今では奥さんに感謝の毎日のようだ。
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コメント
いつも日記拝読させて貰っています。
なんだかこの老夫婦には考えさせられました・・。じーん。
投稿: Laika | 2006年11月 3日 (金) 14時47分