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2007年10月27日 (土)

ぼくの初めてのテレビ出演は!

  昭和39年(1964年)という年は、東京オリンピックが開催された年でもあり、長男が誕生した年でもあるので、よく記憶している。43年も前のことだ。

  今、テレビのコマーシャルで、『昭和タイムズ=64年の記録と記憶』が流れている。毎週1冊ずつ刊行して、64週をかけて昭和の時代を記録しようというものだ。

  1号は昭和39年で、創刊特別定価(190円・税込み)で書店で売られている。この年に『平凡パンチ』が創刊されたことが紹介されている。

  なぜ『昭和タイムズ』を紹介するかというと、昭和46年(1971年)の号に、『薔薇族』が創刊されたという記事が載るからだ。先日、記者が訪ねてこられて、創刊号をお貸しして、取材にも答えた。昭和の歴史に『薔薇族』は残ることになる。

  昭和39年には、アメリカのテレビ番組のマネをして、日本で初めての「木島則夫モーニング・ショウ」が誕生した。アシスタントは栗原玲児と井上加寿子で、木島則夫をサポートしている。

  ぼくが33歳、テレビ出演した最初で、その番組が「木島則夫モーニング・ショウ」だった。月曜から金曜までの朝830分から、930分の1時間。NETテレビで放映されていた。

  女房は世田谷区立の松沢中学で、保健体育の教師をやっていたから、この時間は出勤してしまっているので、この時間にはいない。

  ぼくはひとりで、この番組を見ていたようだ。姑さんが56人で嫁の悪口を言い合い、次の日は嫁さんばかりで、姑の悪口を言い合う。

  テロップで、姑と嫁との板ばさみになっている男性を募集と出た。まさにぼくのことではないか。早速、テレビ局に電話をかけたが、何度かけても話中だ。諦めかけたが、もう一度と思ってダイヤルを回したら、つながった。ディレクターがすぐに飛んできて、翌日の朝、出演することになった。

  56人の男性がスタジオに集ったが、同じ屋根の下に、姑と嫁が住んでいて、食事もすべて一緒というのは、ぼくだけのようだ。

  司会をしたのは栗原玲児さんで、何をしゃべったかは忘れてしまったが、おふくろが嫁の悪口をぼくに言う場合も聞かないわけにはいかない。

  嫁もおふくろの悪口をぼくにくどくどとしゃべるが、右の耳から聞いて、左の耳に聞き流してしまう。ちゃんと聞いてないと怒るから、聞いているふりをして、聞き流す技術が自然と身に付いていた。そうでもしなければ、ぼくの身が持たないからだ。

  その翌年の昭和40年は、ぼくにとってマスコミの脚光を浴びた年で、ぼくと妹の著書『ぼくどうして涙がでるの』が、日活で映画化されたから、新聞、週刊誌、ラジオ、テレビと登場する機会が増えていた。後にこの司会の栗原玲児さんと再会したのは、なんとも妙な場所だった。その話はお楽しみに。

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コメント

栗原さんに又会いたいなーぁ

投稿: 高橋 | 2008年1月16日 (水) 02時05分

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