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2007年12月

2007年12月27日 (木)

バスケットボール選手の高校生の悩みは?

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『薔薇族』を創刊して36年。いつの時代にもいろんな読者から、何度も何度も電話をかけてくる人がいて悩まされたものだ。

  75歳のぼくだが、ぼくの声にほれこんで電話をかけてくる、鹿児島の男性もいた。

  これにはかなり悩まされたが、やっと諦めたようで、最近はかかってこなくなってやれやれというところ。ぼくは読者からのどんな電話でも、ガチャッと切ったりはしない。

  最近は関西に住む、高校二年生のバスケットボール選手から、夜11時過ぎる頃になると電話がかかってくる。

  この少年、マスターベーションのことで相談にのってほしいとの電話だった。地方に住んでいれば、なかなか相手がみつからず悩んでいる人が多いが、この少年、同じバスケットクラブの仲間と、部室でふざけあっていて、お互いにオチンチンをしごき合う仲になったそうだ。

  二人とも自分の子供部屋を持っているから、友だちの部屋で楽しんでいる。しかし、親にみつかる心配もあるから、そう派手にできない。

  中学三年のときに、母親が近所の大学生を家庭教師にと連れてきた。ところがその大学生がゲイだったので、すぐに犯されてしまった。今度は大学生の住む家に通うようになる。

  男同士のセックスは、どうしたってエスカレートしていく。肛門性交までさせられてしまう。友だち同士のセックス。大学生とのセックス。それを続けているのに、ひとりになると、手が自然にあそこに。

  バスケットボールの選手で、身体を鍛えているから、毎日、マスターベーションをしても、どうということはないそうだ。

  最近、大学生から電話でのお呼びがないので、心配してぼくに高校生から電話がかかってきた。大学生の心境に変化があったのか、直接訪ねてみて確かめてみたらと、アドバイスした。ほっておいたら、二人の仲がそれっきりになってしまうからと。

  少年は大学生を訪ねたようだ。大学生は夜、近所のコンビニにアルバイトに通っているので、会えないのだということが分かって安心したようだ。

  少年が自宅のトイレで、マスターベーションをしているところを父親に見られてしまったそうだ。ぼくも長男が高校生の頃ベッドでマスターベーションをしているところを見てしまったことがあったが、それをとがめたりはしなかった。「君のお父さんも何にも言わないと思うよ」と、ぼくは答えたが、少年の父親も何も言わなかったようだ。

  少年はクラブの友人と励んでいるのに、ひとりでも毎日。すごい精力だが、いつまで続くことやら。深夜の少年からの電話もまだまだ続くことだろう。

★『薔薇族』の注文の方法は、郵便局で千円の定額小為替を作ってもらってお送り頂くか、千円札を紙にくるんでお送りください。 

155-0032 東京都世田谷区代沢2-28-4-206 伊藤文学 

★新しく『薔薇族』を置いてくれる古本店・「ビビビ」が下北沢にあります。〒155-0031

東京都世田谷区北沢1-45-15 スズナリ横丁1F・北沢タウンホールの筋向いです。読者好みの古書が沢山置いてあります。電話03-3467-0085です。

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2007年12月25日 (火)

戦後、アメリカに渡った少年たちは幸せになっただろうか?

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  北朝鮮が多くの日本人を拉致したということは許しがたいことだが、ひとりの人間の欲望のために、日本人の少年を連れ去ったとすれば、これも問題ではなかろうか。

  戦時中から戦後にかけての日本の混乱期のことは体験したことのない、戦後生まれの人に理解してもらうことは難しい。

  米軍の無差別な空襲によって、家を焼かれ親兄弟をも無くして孤児になった子供たちが、上野の地下道に寝泊りしていた。

  アメリカのお金持ちが、それらの少年をアメリカに連れて行ったという話は、戦後の新聞紙上に美談として記事になっていた。

  もちろん純粋な気持ちで少年たちをアメリカに連れて行って面倒を見た人もいたに違いない。しかし『薔薇族』の編集長として長い間、同性愛の問題に取り組んできたぼくとしては、どうしても少年愛のアメリカ人が日本の少年を連れて行ったのではないかと、推測して考えている。

  何年か前にアメリカのカソリックの神父さんが少年に手を出して問題になったことがあった。それもひとりや、ふたりでなく、多くの神父さんが訴えられ、ローマ法皇も心配されたということもあり、単なるぼくの推測であればいいのだが…。

  少年の好きな人は、少年が大きくなってしまえば性の対象でなくなってしまうから、捨てられてしまった人もいたかも知れない。

『ムルム』の誌上に4か月に渡って連載された、吉田勝さんの「ブランスウィックとその時代」はゲイバアの草分けである「ブランスウィック」を記すことは、陰の戦後史をたずねることでもあるという。

  三島由紀夫さんの小説『禁色』の中に登場している「ルドン」は、「ブランスウィック」がモデルになっている。

  戦後のゲイの世界をじつに克明に吉田さんは描いていて、読物としても面白いが、とても長すぎて紹介できないのは残念だ。これは一冊の本になるとも思う好読物だが、今は少年の話だけを紹介しよう。

  戦後、数年経つと数々の美談が生まれていたと吉田さんは書いているが、なんとアメリカ人の「美談」は、ぼくが考えていたものと同じだった。

「ハウスボーイがアメリカに留学というやつである。雇い主の友情で、貧しい少年がいちやく花のアメリカへ留学するのである。今どきのドル安時代と異なり、私費での留学などできる人間など、日本中に数えるほどもいず、例えばフルブライトの留学資金を得ることのできたほんのわずかのエリートのみが「洋行」できた時代のことである。

  当時、誰もが夢を見、憧れていたアメリカだった。新聞が話題にしないはずがなかった。しかし、その「美談」の陰にあるものが何であったかを気づいていた人もいたに違いない。

  今では奇妙に感ずる人が多いかも知れないが、この当時、アメリカのゲイにとって、日本は天国であった。日本はアメリカのようにホモを禁じた法律もなければ、戒律もなかった。金と力さえあれば、自由に行動できた。そして、この当時、彼らは日本では誰しもが金と力そのものだった。(中略)

  留学した若者たちで、相手の男の愛がさめると共に、アメリカでコールボーイになって生活せざるを得なくなった日本人の話もよく聞く。」

  アメリカに渡るなんて大変な時代に、少年愛のアメリカ人に連れて行かれた少年たちが、果たして幸せだったのか、今、誰も語るものもいないし、知るよしもないのだ。

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2007年12月23日 (日)

頬を伝わるひとしずくの涙

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  趣味でコレクションをしているカリフォルニアのクレイト・フルーツ・ラベルをアメリカの友人が見つけてきてくれた。その中に1917年発行の「LIFE」の裏表紙が何枚かあった。友人はアールデコ調の煙草の広告が気に入っていると思って、買ってきてくれたに違いない。ところが僕は、その裏表紙の二色刷りの目立たない、女性の横顔を描いた絵に、目が釘付けになってしまった。

  ハンカチを握りしめて、手紙を読んでいる女性の姿だった。その絵の下には「OPENED BY THE CENSOR」と説明がついている。

  英文科出身の妹に、どういう意味か聞いたら「検閲官に開けられた手紙」だと、教えてくれた。女性がひろげて読んでいる手紙の文字の、ところどころがスミでべっとりと塗りつぶされて読めないようにしてある。

  今の若い人には、なんのことかサッパリと理解できないだろうが、戦争を体験してきた世代の人たちには、ははんと納得できる。

  戦場に赴いている兵士たちが、故郷に残してきた肉親や、恋人に手紙を書いても、軍にとって都合の悪いと思われる部分は、検閲官がスミで塗りつぶしてしまうというわけだ。

  第一次世界大戦は1914年に勃発して、1918年に終っているから、1917年というと戦時中の本である。戦場の兵士から、母親か、恋人に送られた手紙を読んでいる絵がある。

  個人の手紙を検閲して、都合の悪いところを消してしまうなんて、日本だけのことかと思っていたら、自由の国、アメリカでも同じことだったらしい。「ラブ」なんていう字まで消してしまうなんて、戦争っていったいなんなのだろう。

  今から72年も前の、古い雑誌に描かれていた一枚の絵。頬を伝わるひとしずくの涙が、戦争の悲惨さを痛烈に物語っている。

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2007年12月20日 (木)

『ユリイカ』の森茉莉特集は面白い!

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  青土社刊の詩と批評の雑誌『ユリイカ』12月号(定価・1300円)が、「森茉莉」を特集した。

  鴎外の長女、森茉莉さんが仕事場とも、応接間のようにも使って、毎日のように訪れていた、喫茶店『邪宗門』が、わが家の近所にある。

  和物の骨董を飾り立てているお店で、ぼくもこの店の常連のひとりだ。いつだったか、京都から上京してきていた、早川茉莉さんとこの店で出会った。早川さんは半端でない森茉莉ファンで、最近、筑摩書房から『森茉莉かぶれ』(定価・1800+税)という本さえ出されている。

  京都で森茉莉さんが住んでいた、アパルトマン「創運荘」の面影に似た、古い家を見つけて住んでいるそうだ。その早川さんが『ユリイカ』で「森茉莉特集」を刊行するにあたり、ぼくのことを編集者に執筆を依頼するように頼んでくれたのだ。

  今、現在、森茉莉さんに出会ったことのある人って、何人もおられないようだ。それに部屋の中に入れてもらった人は、もっと少ないので、何回もお会いしたことのある、ぼくに原稿の依頼をということになったようだ。

「一難去って、また一難」で、左ひざに人工ひざを入れる手術をして歩けるようになったが、10月のはじめ頃、今度は突然、腰が痛み立ち上がれなくなってしまった。

  ひざの手術をしてくれた東京医大の正岡先生の診察を受けて、薬をのみはじめて少しは歩けるようになってきたものの、そんなときでの原稿依頼だった。

  椅子に座って机に向っていると、右足のふくらはぎが電流が走るように痛い。それでも『邪宗門』にも何度も通って、茉莉さんが座っていた椅子で思いにふけりなが、15枚の原稿を書きあげた。

『ユリイカ』の編集部に原稿を送った日に『薔薇族』の恩人、内藤ルネさんが亡くなったことを知らされた。

  1128日、『ユリイカ』の発売日に、下北沢の北口にある「三省堂書店」を訪ねたが、5冊入荷していた。駅前の「博文堂書店」にはたったの3冊。

  下北沢を愛して、40年も住んでいた、この街の書店に数冊しか置かれないなんて、寂しい話だ。すでに下北沢では5軒もの書店がつぶれてしまっている。

  早川茉莉さんが大活躍で、「森茉莉エッセイ選」「森茉莉かぶれの作り方」「薔薇くひ姫の文学地図」と「森茉莉年譜」も書かれている。

  あとは白石かずこさん、熊井明子さん、荻原朔美さん、森島章人さん、千野帽子さんという執筆陣で、いずれの方も森茉莉さんの讃美者ばかりだ。

  1975年頃、内藤ルネさんと、本間真佐夫さんの編集で、少女雑誌『薔薇の小部屋』を刊行した折りに、ぼくが茉莉さんの部屋を訪れて執筆を依頼したのだ。そのとき目撃したことを、「薔薇族的森茉莉考」と題して書いた。ぼくは茉莉さんの著書を読んだことがないのだから讃美することなく、客観的に森茉莉という人間を解剖したということだ。

  茉莉さんの部屋は、ゴミ屋敷そのものなのに、こんな風に萩原朔美さんは書いている。

「どんなに乱雑であっても、茉莉さんの中では、どこに何があって、どうなっているかが総て分かっているのだろう。他人の視線を跳ね返し、自分の個性を大事に育てる精神の貴族主義。今考えると、とてもうらやましい優美な一人暮らしだったと思う。」

  茉莉さんの心酔者にとっては、すべて「あばたもえくぼ」に見えるのでは。とにかく『ユリイカ』を買って読んでみて。

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2007年12月18日 (火)

昨日の敵は今日の友

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  インターネットの普及で、『薔薇族』は廃刊に追いこまれた。時代の流れでそれも原因のひとつかも知れないが、本当のところはぼくは『バディ』のH君のいじめによってつぶされたと思っている。

その『バディ』が創刊14周年を迎えたということで、特集「HELLOGAY MAGAZINE PART01」を企画して、さまざまの人を登場させ、ゲイ雑誌について語らせている。

ゲイ雑誌の歴史をふり返るとなると、『薔薇族』をまったく無視するわけにはいかなかったのだろう。ぼくに対談の取材を申し込んできた。「昨日の敵は今日の友」で、『バディ』の編集部の若い人たちは『薔薇族』で育った人たちではないから、客観的に見れるのかも。

  もうすんでしまったことをとやかく言っても始まらないので、よろこんでおひき受けした。『バディ』1月号に「日本初、商業ベースのゲイ雑誌を作った名物編集長」というタイトルで、ぼくが珍しくニコニコ笑っている写真入りで、『バディ』編集長に聞かれたことに答えている。

『バディ』が創刊した頃の14年前頃は、『薔薇族』が一番売れていた時代だった。『バディ』のH君が経営する新宿二丁目のポルノ・ショップ「ルミエール」では、月に2千数百部も売れていたのだ。

  こんなに売れるのなら「よし、おれも雑誌を出そう」と思うのは誰しも当然のことだろう。お店を持っているということは最大の強みと言える。ビデオ会社でも商品を売ってもらっているのだから、広告を出さないわけにはいかないからだ。

  結局は出版社で出している『アドン』そして『さぶ』続いて『薔薇族』が廃刊に追い込まれ、ポルノ・ショップが経営する『バディ』と『Gmen』が残っている。

  伏見憲明君なども、今までのゲイ雑誌にあきたらず、いろいろと努力されて新しい雑誌を試みたが、すべてうまくいかなかった。

  ぼくはゲイ雑誌というのは、わいせつでなければ売れないと思う。ゲイの人には知識人が多いが、その人たちだって学術書のような難しい雑誌を読みたいとは思わないだろう。よりエッチな写真、エッチな読物でなければ駄目ということだ。

  それと目玉は文通欄だった。わいせつ度の次は、セックスのお相手をみつけることだからだ。直木賞作家でもあったゲイの人が、一番面白い読物は文通欄だと言っていたが。短い文章の中に自分を売りこもうと必死に書いている。しかし、時代が変わって文通欄は駄目になってしまったが。

  さて『バディ』は、あとどのくらい続くのだろうか。雑誌にとって広告収入が一番大事だ。本の売り上げはこれから落ちるばかりだろうから。広告頁も明らかに激減していているが、それでも二百頁もある。しかしそのうち数十頁は自社広告だ。

  田亀源五郎君の劇画の本『外道の家』の広告など、同じものを5ヵ所にも入れている。

  それにしても年配者にとっては、老眼鏡をかけても文字が小さくて読みにくい。年配者が買ったとしても、写真だけ見ているのだろう。その写真も大事なところは黒く塗りつぶされている。読者は大事なところをもっと見たいのだ。けしかけるつもりはないが、警察なんて怖がらずに思いきって見せてもらいたいものだ。

「オーラの泉」なんていう、くだらない番組のなんとかという人に占ってもらったら、ゲイ雑誌は「あと23年ももたない」と言うかも知れない。

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2007年12月 3日 (月)

「ラブオイル」発売してから25年も!

「ラブオイル」発売してから25年も!

「ぬるぬるしよう、今夜から」と、愛の潤滑液「ラブオイル」をわが社で発売してから、なんと25年の歳月が流れていた。

  ついこの間のことだと思ったけれど。「こんなもの売れませんか?」とサンプルを持って訪ねてきた人がいました。

  その頃はぼくも若かった。その晩、風呂に入ったとき、早速、指にたっぷりとつけてしごいてみました。なんと、なんと、その快感、あっという間に昇天してしまった。

  学生時代にマスターベーションを覚えてしまって、日夜、励んでしまいました。石鹸をつけたり、つばをつけたりしても、後がヒリヒリして痛い。そんな想い出が残っている。

  これは読者によろこばれるぞと、そのとき確信しました。そして愛の潤滑液「ラブオイル」というネーミングを考えました。そしてケースのデザインを嵐万作さんに依頼したのだ。

  嵐万作さんは小説も書くし、絵も書くし、デザインもするという器用な人でした。赤い箱のデザインは目立つし、ハートマークは店頭に置いてあっても、手にとってみたくなるような素晴らしいデザインだ。

  ぼくも赤い箱を見ると、へんにムラムラしてマスターベーションをしたくなってきたものだ。13年ぐらい前だったでしょうか。井澤満さんの脚本で、初めてお茶の間に同性愛をテーマにした日本テレビのドラマ「同窓会」。

  このドラマが大評判で、この放映時間、新宿2丁目の通りから、人がいなくなってしまったくらい。

  主役が高嶋政宏さん。ドラマの中でポルノショップで買ってきた「ラブオイル」を水戸黄門の印籠のように、手にかざしてアップにしてくれたのだ。

  これがきっかけで、2丁目のポルノショップで、月に千本も売れたのだ。今でも全国の有名ゲイホテルや、ポルノショップでコンスタントに売れている。

  25年間、一度も使用者からのクレームがつくことはなかったくらい、多くの人から愛されてきた「ラブオイル」は、これからも愛され続けていくだろう。

  こんな馬鹿、馬鹿しいようなものだけど、こんなに必要で、ありがたい商品はないだろう。まだまだHIVの患者は増え続けている。セックスの時にはコンドームをつけなければ。そのためにはどうしても「ラブオイル」が必要なのだ。

  すでに何万人もの人に愛された「ラブオイル」。ぜひ、一度使ってみてください。

★お申込みは 〒155-0032東京都世田谷区代沢5-31-8-501 (有)フェスターエンタープライズへ。千円の小為替を郵便局で作ってもらってお送りください。(送料は含まれています)

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2007年12月 1日 (土)

同性愛者の先達の思いは?

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『薔薇族』の創刊が、1971年(昭和46年)。それよりも19年も前の1952年(昭和27年)に会員制の雑誌『アドニス』が創刊されている。そしてこの後に大阪で『同好』が、1960年(昭和35年)毛利晴一さんの手によって創刊。東京では『風俗奇譚』を出していた高倉一さんが『薔薇』という同性愛誌を出している。

  今、それらの雑誌に目を通してみると、どの雑誌も部数が少ないために、書き手が限られてしまっている。それと雑誌作りの才能がない人が作っているために、ほとんど印刷屋まかせで、ただ活字を並べているだけで、誌面に面白味がまったくない。

  それに会員制で住所も発行所もよく分からないのに、なぜか警察を恐れて、ワイセツ感が薄い。写真は三誌とも、大阪のオッチャンと呼ばれていた人の写真を使っている。この時代、男性のヌード写真を撮っている人は、この人しかいなかったのだ。

『薔薇族』も初期の頃は、オッチャンの写真を使っていたのだから、創世記の同性愛誌はオッチャンの写真なしでは、成り立たなかった。まさにオッチャンは偉大なる功労者だった。

  ぼくも単行本作りが専門で、雑誌作りの経験がまったくなかったから、ぼくひとりで『薔薇族』を作っていたら、これらの雑誌と同じようなことになっていただろう。

  ラッキーなことに藤田竜君という、雑誌作りの天才みたいな人に、創刊のときから出会ったから、読者にあきさせない雑誌を作り出すことができた。

  大阪の『同好』の主催者、毛利晴一さんという方は、かなりの人格者だったようだ。毛利さんをよく知る会員のひとりが毛利さんの賛辞を長々と書いている。

「昭和29年の春だと記憶していますが、先生の著書『愛は国境を越えて』があります。その表紙のタイトルを当時の国会図書館長の金森徳次郎博士が書いている。

  序文のトップには参議院議員である、宇垣一成先生が書き、その次には当時、参議院議員で、現在、大阪府知事をしておられる佐藤義詮先生だ。その次は毛利先生の親友で、当時、海上保安庁の長官であった、柳沢米吉先生だ。

  何百万人も中国へ渡った日本人の中で、中国の人たちに尊敬された人も少なくないと思うけれど、自分の知る限りでは、この著書の毛利さんこそ、最も尊敬された人だと思う。」

  各界の名士が、毛利さんの人柄をほめたたえている。このような人だからこそ、会員が信頼して、千何百人も集ったのだろう。

  しかし、会員から会費を集めて、事務所の費用を出し、雑誌の制作費を捻出するのは大変で、毎号のようにぼやきを書いている。

「最近、会員の納入状態が目にみえて悪くなってきている。900余名の会員を擁しながら、毎月印刷屋や、電話局への支払いに四苦八苦している。印刷代は支払期日が過ぎて、やっとたまっただけの半額を払い、電話代はとめてしまうぞと、脅かされてから支払うという有りさまです。」

  警察の手入れがあってから、会の財政はいっきに悪化してしまい、毛利さんのぼやきは続く。

「こんな世間体のよくない、しかも金儲けにもならず、さりとて名誉職でもない仕事に私が乗り出したことは物好きと言えば、物好きとして普通人は受けとるに違いありませんが、私は決してそんな浅墓な考え方ではなかった。この仕事にこそ真の意義があり、また余人では絶対にできない仕事である。と深く考え、自ら決断して、あえてこの十字架を自ら背負ったわけだ。」

  信念をもって『同好』を出し続けてきたのだろうが、どんなに会員によくしたとしても、やりきれない会員の背信行為には、つらい思いをしたに違いない。

「入会した頃に、あれだけ喜んでくれていたのに、また、あれだけ私が色々のことを教えたのに、好きな相手が決まったからとか、会費が滞納しているからとか、他に格好の遊び場所を見付けたからとか、来ては去り、去ってはまた来る。

  私はときに自問する。実の親子でも現代の世相では決して親の願いのすべてを入れてくれるとは限らないのだ。だから今、こうして私が悩むのも致し方がない。しかし、いつかは誰からともなく私の意図に共鳴してくれるだろう。」

  数年後、会を解散しなくてはならなくなったとき、毛利さん、どんな思いだったのだろうか。『同好』の最後を知っている人は、もうこの世に誰ひとりいないのだから、毛利さんのその後を誰も知らない。

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