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2008年4月

2008年4月27日 (日)

先人の苦労を忘れてはいけない!

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『アドニス』(会員制で昭和279月創刊・『人間探求』の編集にたずさわっていた、上月竜之介の手によって創刊された。)の50号に上月竜之介さんが、「アドニス創刊の思い出」を寄稿している。

「『アドニス』がもう50号になるという。田中さん(二代目)から、記念号に創刊当時の思い出を書くようにというお手紙をいただいて、正直なところよく続いてきたものだと思う。創刊号の奥付を見ると、発行は昭和279月となっているから、足かけ8年続いたわけだ。

  当時『人間探求』の編集にたずさわっていた私が、この会誌を出そうと思い立ったとき、別に成算もなかったし、ましてこれがこれほど長続きしようとは考えもしなかった。しかし類を見ないこの会誌の刊行には人一倍情熱は感じていた。

  社内でも賛否こもごもであったが、私のわがままとして、とにかく出してみることにふみきれたのは、よき協力者の助言と援助があったからである。それらの方々も、最近では誌上で名前を見ることがなくなったのは、いささかさびしい。

  そういう私自身、田中さんに編集をゆだねて以来、次第に遠ざかる結果になったのは、いろいろの個人的理由によるとはいえ、会員の方々にも申訳けないと思う。しかし、私としてはただこの会誌を出すことによって、同性愛の悩みをもつ人たちに、いくらかでも生きる勇気を与え得ればよいのだと思っていた。そして、その望みは田中さんによって、もはや立派に果されたのだ。

  会誌を出そうと思うようになった直接の動機は、ひんぱんに舞いこむ同性愛者の孤独を訴える投書であった。

  私はまずこの計画を伏見さんと原比露志さんに相談した。おふたりともかねてから同性愛者には同情的であったからだ。計画をすすめるには主として伏見さんと私が当った。『アドニス』という名も、会員募集広告の文案も、伏見さんと私が相談してきめた。(中略)

  とにかく『人間探求』誌上に「アドニス会」の誕生を発表したのである。

  だが反響は意外と大きかった。問合せや、申込みの手紙が毎日のように全国から届いた。沖縄の17歳の少年から入会申込みが来たりした。電話の問合せは無論、中には直接社へ訪ねてくる人もあった。

  こうして申込みは次第にふえていった。しかし、もともと社からは金はだしてくれない。広告を出してくれるだけである。だから会員の申込みが一定数に達するまで、会員の申込みが一定数に達しないときは、会費を返して謝るつもりでいた。

  それでも、どうにか会誌がつくれるだけの会費が集まった。あとは会誌の編集である。(後略)」

『人間探求』という雑誌にときどき同性愛に関する記事が載っていた。その頃の同性愛者たちは自らも異常で、変態だと思っていたのだから、『人間探求』に同性愛に関する記事が載ったりすれば、とびつくように買い求めたに違いない。

  ましてや同性愛の雑誌が出るということを知れば、わらにもすがる思いで入会を申しこんだのだろう。

  上月竜之介さんは『人間探求』を発行している探求社の社員であって、社長ではないので、『人間探求』と同じように、『アドニス』を一般誌として発行するだけの力はなかったのか。

  しかし、この時代に会員制で小部数の雑誌とはいえ、『アドニス』を発行した意義は大きい。それが『薔薇族』への創刊につながっていったのだろう。

  先人の苦労を忘れてはいけないのだ。

★『薔薇族』ご注文方法・〒155-0032 東京都世田谷区代沢2-28-4-206・伊藤文学宛に千円札を紙にくるんでお送り下さい。先着10名さまに刈谷市美術館での招待券を進呈します。

★『薔薇族』の注文の方法は、郵便局で千円の定額小為替を作ってもらってお送り頂くか、千円札を紙にくるんでお送りください。155-0032 東京都世田谷区代沢2-28-4-206 伊藤文学

★新しく『薔薇族』を置いてくれる古本店・「ビビビ」が下北沢にあります。〒155-0031 東京都世田谷区北沢1-45-15 スズナリ横丁1F・北沢タウンホールの筋向いです。読者好みの古書が沢山置いてあります。電話03-3467-0085です。

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2008年4月24日 (木)

いのちの尊さを世の人に!

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  ひょっとすると、昭和40年にぼくの妹の紀子(みちこ)と共著で、第二書房から出版した『ぼくどうして涙がでるの』が、年内にリメイクして出版されるかも知れない。ある出版社から話が持ち上がってきたのだ。

  ぼくの兄妹は4人。妹と姉が2人。紀子は末娘だ。太平洋戦争が勃発した昭和16年の18日に7ヶ月の未熟児として生まれた。

  母が風邪からの急性肺炎で、せきを激しくしたために早く生まれてしまった。体重は2キロぐらいしかなかった。

「助からないかも知れませんよ」と、医者に言われたが、産婆さんの献身的な努力で、だんだんに大きくなっていった。

  戦争がはげしくなって、庭に掘った防空壕にミルクびんをかかえて、母が出たり入ったりしていたのを思い出す。

  姉とすぐ下の妹は父に似たのか、頭がよかったが、ぼくと紀子は母に似たのか頭が悪い。高等学校もあちこちと受験したが入れず、駒大の大先輩の広川弘禅さんが校長をしている青葉学園に、お情けで入れてもらえた。

  頭はよくないけれど、目はクリッとして美人で、オッパイも大きく元気のいい子だった。その妹が突然に心臓発作にみまわれてしまった。

  東京女子医大病院で心臓外科の権威の榊原先生の診察を受けたら、「すぐに入院の手続きをして下さい。手術をしなければ、あと23年しか持ちませんよ」と言われてしまった。

  昭和30年代の後半。その時代は心臓手術ができる病院は、そう多くはなかったから、入院を申し込んでも一年は入れないということだった。

  幸いにも比較的に早く入院することができたが、手術の日どりがなかなか決まらず、妹はやけくそになっていた。

  そんな妹を見かねて、朝日新聞の読者の投稿欄「読者のひろば」に「妹に激励の手紙を」と呼びかけた。昭和37103日の新聞にトップで載るや、その反響はすさまじかった。

  この記事が載るや、連日、「紀子さんがんばれ」と激励の手紙が病室に舞いこむ。その数は400通にも及び、小、中学生から90歳のおじいさんまであった。

  なかには毎日、勤め先の失敗談や、おにぎりをお弁当に持っていき、笑われた話などを日記式に書き送り、または休日は必ず病室を訪ねてくれるデパートの店員さん。名も告げずに花束をとどけてくれた人もいた。

  多くの人の励ましのお蔭で手術も終わり、朝日新聞は「紀子さん、よかったね」という記事を載せてくれた。

  その記事のお蔭で、ありとあらゆるマスコミがとりあげてくれて、昭和40年の秋の芸術祭参加作品として、日活が映画化してくれた。

  先天性の心臓疾患の子供たちの存在を世に知らせる、大きなきっかけを作ることができた。

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  今の時代こそ「いのちの尊さ」を世の人の知ってもらわなければならない。昭和30年代、まだ日本が貧しい時代だったけれど、お互いに助け合い、励まし合って生きていた。

  入院している患者同士もいたわりあっていた。手術に行く患者をみんなが「頑張って!」と送ったものだ。

  また『ぼくどうして涙がでるの』を出版することによって、忘れられてしまった人間同士のいたわり合いをよみがえらせることができたらと思う。

  この夏までに全面的に書き直して、年内の出版にこぎつけたいものだ。

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2008年4月21日 (月)

日の丸の旗に著名歌人のサインが!

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  ときおり喫茶店「邪宗門」のマスターからお呼びがかかる。「伊藤さんのファンの人がきていますよ」

  そう言われれば行かないわけにはいかない。今、住んでいる下北沢のマンションは、下北沢の駅には近くなったが、「邪宗門」には遠くなってしまった。ぼくの足では15分はかかるだろうか。

「邪宗門」は、森鴎外の長女、森茉莉さんが仕事場兼応接間として使っていたことで有名なお店だ。

  茉莉さんが亡くなってから、かなりの年月が経っているのに、茉莉さんのファンが全国から訪れてくる。

  マスターは女性でも、男性でも、扉を開けて入ってくるお客さんを見るなり、茉莉さんのファンだなということがすぐに分かるそうだ。

  どんな人が見えているのかと、扉を開けて入ったら、見るからに上品でセンスのいい女性が座っていた。ルネさんのグッズで育った人で、茉莉さんのファンでもある。

『薔薇族』のルネさん特集号も購入してくれたので、サインをしてあげた。店を出て茉莉さんが住んでいた「倉運荘」の跡や、「代沢ハウス」も案内して、駅まで送り、大変よろこんでくれた。

「邪宗門」のマスター、最近珍しいものを掘り出した。日中戦争のときのものか、太平洋戦争のときのものか分からないが、出征する兵士に武運長久を祈って、知人、友人が日の丸の旗にサインをして贈るという風習があった。

  出征して行った人がどんな人か分からないが、昭和の歌聖とも言われた、歌人の斉藤茂吉、その弟子の鹿児島寿蔵、近藤芳美のサインがあることから、歌人だったのではないかと思われる。

  斉藤茂吉は終戦後の昭和22年に、山形の疎開先から、長男の茂太さんが診療所を開いていた、代田八幡宮のすぐそばの家に戻ってこられた。

  戦後に出征兵士にサインをして贈るわけないから、太平洋戦争中なら山形におられたし、サインできるわけがない。そうなるとまだ東京におられた頃の日中戦争のときのものではないだろうか。

  たくさんの方が、日の丸の旗にサインをしておられるが、よく調べればまだまだ著名な方のサインもあるかも知れない。

  戦後、「未来」の主宰者だった近藤芳美さんのサインが、とりわけ遠慮したように小さく書かれているところをみると、まだお若かったときのサインと思われる。

「邪宗門」のマスター、この日の丸の旗をリサイクル屋から見つけ出したというが、これはすごい掘り出し物と言えるだろう。

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