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2008年5月

2008年5月20日 (火)

「平成万葉集」に作品を応募しよう!

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  2008420日(日)の「読売新聞」に「平成万葉集」6月作品募集開始という記事が、2頁に渡って載った。

  選考委員対談、中西進さんと檀ふみさんが語っている。中西進さんは東大国文科卒で1929年生まれ。万葉集研究の権威で、現在は奈良県立万葉文化館の館長を勤めている方だ。

  中西さんのカラー写真が載っているが、ぼくよりも年上だというのに、髪の毛もフサフサしているし、体形も学生時代とまったく変らずで、お若いのには驚かされる。

  昭和25年頃、東大の三四郎池のほとりに建つ山上会議所で、各大学の短歌愛好者が集まったことがあった。

  それから「大学歌人会」と称して、歌会を開くことになった。その歌会の席上で、東大生だった中西進さんとも出会うことができた。

  駒澤大学からは、ぼくひとりが参加していたが、その頃の駒大は三流大学で、学帽をかぶって渋谷の街を歩くにもひけめがあった。

  中西さんは、その頃から大人の風格があり、そばにも寄れない存在だった。その中西さんが、ぼくの作品をべたほめしてくれたときは、本当にうれしくて自信が湧いてきた。

  豆歌集を教育大の相沢一好君と出版して、ぼくは「渦」と名付け、相沢君は「夜のうた」だった。そのぼくの歌集「渦」に中西さんが序文を書いてくれたではないか。

  手許に「渦」がないので、中西さんが書いてくれた序文を紹介できないのは残念だが、やたらと難しい文章で、なんのことだか分からなかった。

  この歌集をなんと中西さんも東大で教わったであろう、万葉集研究の権威、久松潜一さんにも歌集を送っていて、丁重な返事を頂いている。

  中西さんは東大を卒業されて、都立の富士高校の先生になられたが、教え子と結婚され、子供さんも3人ぐらいいて、万葉集からとった名前をつけていた。

  ぼくが久美子と結婚したとき、仲人を中西夫妻が引き受けてくれた。

  中西さんがぼくの歌をほめてくれたひとことが、ぼくの人生を変えたかも知れない。そのほめてくれたひとことが、後々のぼくに勇気と希望をあたえてくれた。

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  昭和の時代にも講談社から「新万葉集」が刊行されたが、確かにぼくの作品も2首載っている。偶然だったが講談社の「新万葉集」にたずさわっていた編集者が、駒大の後輩だったので、おなさけで選んでくれたのかも。

  平成の「新万葉集」は中西さんも選考委員の一人になっているので、ぜひ、ぼくも応募して、平成の息吹きを歌った歌を作って、後世に名を残したいものだ。

  中西さんは対談のなかでこんなことを語っている。

「やっぱり、発見する、感動するのが歌の中心です。万葉集の歌は万葉の人たちが心に思ったことをそのまま歌にした。複雑な気持ちを込めていない。心に感動がそのまま飛び込んでくるはずです。」

  中西さん、いいことを言ってくれている。短歌もそうだし、文章も同じことだと思う。

  みなさんもぜひ、応募されたらいかが。

★『薔薇族』の注文の方法は、郵便局で千円の定額小為替を作ってもらってお送り頂くか、千円札を紙にくるんでお送りください。155-0032 東京都世田谷区代沢2-28-4-206 伊藤文学

★新しく『薔薇族』を置いてくれる古本店・「ビビビ」が下北沢にあります。〒155-0031 東京都世田谷区北沢1-45-15 スズナリ横丁1F・北沢タウンホールの筋向いです。読者好みの古書が沢山置いてあります。電話03-3467-0085です。

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2008年5月18日 (日)

日本の経済はゲイ・マネーが支える?

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『読売新聞』を購読しているが、なぜかあまり好きではない。それは読売に、わが社の書籍が記事としてとりあげられたことがなかったという、それだけの理由なのだが。

「巨人」をずっと応援してきたが、昨今の「巨人」には幻滅している。上原投手の覇気のない顔、どの選手も闘争心に欠けているからだ。

  最近は、マー君が活躍している「楽天」を応援している。駒大の附属高校の苫小牧高校の出身、甲子園球場に駒大校歌を何度も聞かせてくれた。北原白秋作詞、山田耕作作曲、こんなすばらしい校歌は他校にはないからだ。

  その『読売新聞』が420日(日)の朝刊に、読売らしくない大きな記事が2頁をついやして載せた。

「平成」という時代を歌に残す「平成万葉集」(読売新聞社「万葉のこころを未来へ」推進委員会主催)の作品募集が6月から始まる。おおらかな万葉と、未来に向かう平成-。

  この二つの時代の懸け橋となる歌への期待を、選考委員の国文学者・中西進さんと、女優の檀ふみさんが対談して熱く語っている。

  中西進さんは、ぼくら夫婦の仲人でもある。中西進さんの活躍ぶりには、ぼくはいつも刺激を受けている。

  その日の『読売新聞』の書評欄に珍しい本が紹介されていた。『ゲイ・マネーが英国経済を支える!?』(入江敦彦著・洋泉社新書y・定価780+税)

  早速、下北沢駅前の「ピーコック」3Fの三省堂書店に行ってみた。3冊だけ入荷しているとのことだ。書評は作家の三浦しをんさんという方が書いている。

  ぼくがこの本を読んで書評を書くよりも、三浦さんの書評から引用させてもらった方が、理解が早いかも知れない。

「イギリスのゲイ(同性愛者)は、活発な消費活動を行っている。高収入のひとが多く、しかし宵越しの金は持たない傾向にあるゲイたちは、各々の美意識にかなった商品を積極的に買い、旅行や娯楽や教育費などにバンバンお金を使う。

  企業は当然、優良な顧客であるゲイをターゲットに商品を開発をし、サービスを充実させる。かくして、イギリスには同性愛者のための巨大市場が形成された。

  市場に流通する「ピンクポンド」と呼ばれるゲイ・マネーはなんと、いまや年間18兆円を超えるそうだ!」

  ここまでは日本のゲイの世界も、そうは変らない。違うところはというか、5年、いや10年は遅れているところは、イギリスには同性愛者であることをカミングアウトした閣僚が何人もいること。それに同性婚が認められていることだ。

  日本の文化、芸術はゲイの人たちによって支えられていることは間違いないが、ゲイであることを公表して活動している人は、ほんのひとにぎりの人だけだ。

  ぼくは先を見る目がなくて、ゲイ雑誌『薔薇族』を廃刊に追いやってしまったが、イギリスのゲイ雑誌の現状は違うようだ。

1984年の創刊当時はポルノ雑誌的な面もあった『Gay Times』からは、かつての後めいた匂いが完全に払拭され、よりカルチュラルな方向性が打ち出された。いやいや、H系がなくなったわけではない。ただ、そっちはバーやクラブに置かれるフリーマガジンが堂々のハードコアを展開しており、みんなお金を出して買う必要がなくなっちゃったのだ。だいたいインターネットがあるしね。

  そんなわけで『Gay Times』はトップクラスのグラフィック・デザイナーを起用し、完全に変貌を遂げた。セックス記事が掲載されても煽情的というよりは、学術的かつ啓蒙的。

  男性ヌードがグラビアを飾っても人気写真家によるエロティシズムの表現だったりする。辛口で知られた気鋭のコラムニストが登場し、ときに物議を醸す刺激的な特集が組まれる。大人の雑誌になった。」とあるが、さて日本では、これを真似して成功するだろうか。

  今、現存する『バディ』『Gメン』が方向転換できるだろうか? ぼくは雑誌はポルノでなければと確信しているが。

  この本に書かれていることと、日本とを比較してみると教えられることは多々ある。

  日本のゲイ社会を変えるには、尾辻かな子さんを国会に送り出すこと。ゲイ・パレードに万を越す人を集めること。それよりもこの本をベストセラーにすることではなかろうか。

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2008年5月16日 (金)

もう一度、こんなお店を開きたい!

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「伊藤文学の談話室・祭」は、ぼくのブログのタイトルだ。これはブログのために付けたのではなくて、現実に存在していたものだ。

  そうは言うものの、今から32年も前にオープンしたお店だから、このお店に足を踏み入れた人は、かなりのお年になっている。若い人には想像もつかないだろう。

『薔薇族』が創刊されたのは、1971年(昭和46年)だから5年が経った頃だ。刷部数も増え軌道に乗ってきて、ぼくも40代前半で元気いっぱいだった。

  わが社は会議など開いたことがない。何かやろうと思いつけば、すぐさま実行に移していた。その時代はオイル・ショックのあとで不況の時代だった。

  新宿の厚生年金会館のとなりに「金儲けの神様」とも言われ、直木賞作家でもあった邱永漢さんが「Qフラット・ビル」という10階建てのビルを建設した。その2階をお店として作ったのだが、誰も借り手がなかった。

  邱さんと親しい美輪明宏さんが、一番奥の右手の部屋を借りて、クラブ「巴里」をオープンさせた。壁から、机、椅子まで、すべてピンク。自宅から持ってきた西洋骨董でうめつくされたお店だった。

  そこで美輪さんは女装でシャンソンを歌っていた。美輪さんが留守していなかったり、女装していなかったりすると、お客さんはがっかりして帰ってしまうという難しい店だ。「巴里」に何度かお邪魔しているうちに、そうだ、読者が気軽に立ち寄れるお店を出そうと思いついた。

  わが家も新築して、何度も読者を集めて会合を開いたが、住宅地でもあり、男ばかりが出入りするので、近所の人が好奇の目でみるようになっていた。

  邱さんにお目にかかって、美輪さんのお店の前をお借りするようにした。それが「伊藤文学の談話室・祭」だった。

  どうせやるなら今までにないお店をと考えて、昼間から店をあけ、コーヒーもビールも、水割りも全部500円均一にして、明朗会計にしてしまった。

『薔薇族』の復刊5冊目、2008年の春の号、No.396は「特集・昭和51年・さあ、祭のはじまりだ。」ということになった。

  表紙は残っていて懐かしい「祭」のマッチを使用した。

  ぼく自身、30年も前のことなんて、あまり覚えていないが、今、読んでみて、いろんなことが思い出されてくる。その頃のものすごい熱気というか、活気というかが伝わってくるようだ。

「祭」のお店でひらいた夏季教室は、国学院大学教授の阿部正路さん、詩人の高橋睦郎さん、シャンソン歌手の美輪明弘さん、画家の冨田英三さん、SM作家の団鬼六さんという豪華な講師陣だ。今ならとっても考えられない講師陣だが、お願いする側の熱意を感じられて、ノーギャラで引き受けてくれた。なんともいい時代だったのかも知れない。

  山川純一君の劇画も、これがラストになるのでこれも見逃せない。この時代を知っている人も、知らない人も、読めば活気を肌で感じることができるだろう。

★注文方法・〒155-0032

東京都世田谷区代沢2-28-4-206

伊藤文学宛に千円札を紙にくるんで送って下さい。すぐに発送します。No.392号は品切れですが、No.393No.394No.395は在庫がありますので、ご注文下さい。

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2008年5月14日 (水)

母校、駒澤大学を訪ねる

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 ふっと思いたって、以前から訪ねてみたいと思っていた、古い農家の家を描くことで有名な、画家の向井潤吉さんのアトリエを女房と一緒に訪ねてみた。

「駒沢大学駅」から歩いて15分ぐらいはあるだろうか、場所はいつも車で通るたびに、ここだなということは知っていた。

 ぼくが駒澤大学の予科に入学したのは、戦後間もなくの昭和23年の4月のことだ。世田谷学園の中学4年から入学することができた。その頃は附属の駒大高校などなかったから、曹洞宗が経営する世田谷学園から、大学に入った。

 他の大学に入れないような、あまり勉強ができない学生が駒大に入ったということだ。ぼくも明治大学の国文科、国学院大学を受験したが入れてもらえず、親父が第一書房時代に「禅学読本」という本を手がけて知り合った、世田谷学園の学長から、駒大の総長、後に永平寺の管主にまでなられた山田霊林先生にお願いして入学することができた。

 その頃の駒大は、お寺関係の師弟がほとんどで、一般の家庭の師弟は少なかった。世田谷学園から、かなりの学生が駒大に入学したが、その中に池田茂雄君、江田和雄君などがいた。

 池田茂雄君は向井さんが主宰していた「行動美術」に所属していて、今でも毎年「行動美術展」に、わけの分からない抽象画を出品している。

 その池田君に連れられて、お元気だった頃のアトリエを訪ねて、一度だけお目にかかったことがある。

 もうすぐ向井さんのアトリエがあるというところに、小さな喫茶店があった。女性がひとりできりもりしている。なんと今日は月曜日で休館日ですよ、と言われてしまった。

 駒澤大学の構内で唯一、昔のままの姿で残っている建物がある。「駒澤大学禅文化歴史博物館」として生まれ変ってはいるが。ぼくらが在学中は図書館だった。そこを訪ねてみた。平成14年に開校120周年の記念事業として、博物館として開設されたようだ。

 中はすっかり変っていたが、天井の円形のステンドグラスはそのままだ。ぼくはその頃から本を読まなかったので、図書館を利用することはなかった。池田茂雄君は毎日のように図書館に通っていた。それは館員の女性に想いをよせていたからだ。

 なにしろクーラーも暖房もない時代だ。冬は寒くてどうにもならないというのに、物静かで、ぽちゃっとした女性にひかれていたのだ。

 あんなに長い間通いつめていたのに、池田君、想いを打ち明けられなかったのか、この女性と親しくなったという話は聞いていない。

 

 地下は食堂と本屋さんが入っていた。薄汚い食堂で、中年の見るからにみすぼらしいご夫婦がきりもりしていた。どんなメニューがあったのか覚えていない。駒沢の駅前の「長寿庵」で、かけそばが確か15円という時代だ。みんなお金を持っていないから、天ぷらそばなんて食べたことはなかった。

 江田和雄君は千葉県の印旛沼のほとりのお寺の息子だった。印旛沼でとれる小さなえびを乾燥させたものを自宅に帰ったときに持ち帰って、食堂の親父さんに売っていたようだ。お米なんかも売っていたかも。

 昔の面影は天井のステンドグラスだけだが、50何年も前のことが思い出されてくる。池田君は変った男で、卒業してから児童劇団の「風の子」の役者として活躍していたが、身体を壊し、なんと北海道の駒大附属苫小牧高校の先生に転進してしまった。

 後に東京の駒大高校の教師として、定年まで勤めている。試験のとき毛筆で答案を書いたりしていた池田君、演技力で先生を演じきったのだろう。

 江田和雄君は大学を中退して演劇の道に進み、劇団「人間座」の演出家として活躍した。早々と江田君はこの世を去ってしまった。あの時代は偏差値なんてものはない。個性的でいろんな人間ばかりだった。

 大学の構内は学生たちであふれているが、これが学生かと思う若者ばかりだ。とても勉強をしにきているとは思えない。大学がマンモス化することが、よかったのか、悪かったのか。

 ころものすそをなびかせて、沢木興道和尚がひょうひょうと歩いていたのを思い出す。

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