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2008年6月17日 (火)

新宿歌舞伎町クラブ「リー」の思い出

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  ぼくは自分が学ばせてもらった学校を愛する気持ちは、誰よりも強いと思っている。

  代沢小学校は昭和144月に入学。終戦の年の前の年、昭和19年に卒業。昭和20年の4月に世田谷学園に入学。昭和233月に4年修了で、234月に駒澤大学の旧制の予科1年に入学。28年の3月に卒業している。

  小学校は太平洋戦争のもっとも激しかった時代で、ほとんどの子供が地方に疎開したりしているので、住所も不明で同窓会らしいものを開けなかった。

  世田谷学園を4年修了で大学に入れたし、5年で大学に行く人、新制高校3年を終えて大学に入った人と、3通りあって同期会といってもややこしいことになっている。

  世田谷学園の同期会は、ぼくがお節介役を引き受けて、20年以上続いている。卒業生は150名ぐらいいたが現在、住所が判明している人は60名ぐらい。34割の仲間は、もうこの世にいないと思われる。1年にひとり、ふたりと他界されている。

  424日の夜、下北沢駅前の居酒屋「和民」で同期会を開いたが、17名の仲間が集まってくれた。

  世田谷学園の全体の同窓会も毎年開かれているが、衰退するばかりだ。ぼくは役員になっているので、役員会にも必ず出席しているが、若い卒業生はほとんど姿をみせない。

  610日は作曲家、吉田正さんの没後10年の命日だそうで、NHKホールで夜8時から「歌謡コンサート・歌に希望を吉田正特集」が催された。

  駒大の先輩で作詞家の吉川静夫さんの作品もいくつか目についた。ぼくは「駒大マスコミ人の会」を結成して、吉川静夫さんを会長に招いて、会合を二度ばかり開いたことがあったが、長くは続かなかった。

  その頃の駒大の卒業生で、マスコミで活躍している人は少なかったから。

  30年近くも前のことだったろうか、世田谷学園の役員会が終わったあとに、大手ゼネコンのお偉い方が来ていて、当時の杉校長と、文春の村田耕二君と、なぜかぼくを歌舞伎町のクラブ「リー」に招待してくれた。

  当時のクラブ「リー」は一流のナイトクラブで、ぼくなど入れるようなところではなかった。

  歌手は朝丘雪路さんが歌っていた。バンドは踊りながら指揮するのが有名な、スマイリー小原さんだ。

「歌謡コンサート」で、昭和30年、40年代のナイトクラブやキャバレーが全盛時代の、ムード歌謡を聞きながら、華やかなクラブ「リー」でのひとときを思い出していた。

  場内で撮った写真が、どこかに残っていると思うが、謹言実直な杉校長の固い表情と、クラブ「リー」は、似つかわしくなかった。

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コメント

クラブ リー
昔のことを思い出して、ふと、歌舞伎町でアルバイトでボーイをしていたときのことを思い出し、そうだ、あのクラブに行ってみようと思ってネットでくぐってまして貴殿のブログに当たりました。 50年前になりますが、クラブリーのリー社長がホテルリーというのを立てられ、地下がクラブでした。そこでアルバイトしました。リー社長はブランデーのみで、whisky を出して怒られた記憶があります。社長はお嬢様が白百合だと言ってました。ママさんは笑子さんという名前でした。懐かしいなあ。あの辺を歩いてみます。

投稿: 死にかけ老人 | 2016年10月20日 (木) 22時09分

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