『薔薇族』の人びと・その7〜数奇な運命を生きた、男写真の第一人者ーー波賀九郎
創刊して1年近く経った頃だった。カメラマンの波賀九郎さんが、ひょっこり訪ねてきた。
波賀さんは、土方巽さんなどの暗黒舞踏家の写真を撮っていた方なので、僕の前妻の舞踏家、ミカの写真も撮ってくれていたことで、以前からの知り合いではあった。
その頃は、波賀さんがゲイだということを告白してくれて、『薔薇族』のために男性ヌード写真を撮りたいということで訪ねてきたのだ。
波賀さんの本名は中谷忠雄。没後、2003年の4月、株式会社「心泉社」から「土方巽の舞踏世界・中谷忠雄写真集」(本体価格3400円)が刊行され、僕も刊行委員のひとりとして名を列ねている。
種村秀弘さんが序文の中で、こんなことを書いている。
「中谷忠雄はーー芦川羊子や小林嵯蛾のような、土方門下の女性舞踏家以外にはーーおそらく女体は撮っていないはず。彼はすべて男性の、それも生活空間から隔絶した舞台の、または撮影セットの上での男性身体のみを対象にしていた。ということは、女性の生殖につながる連続性を拒否して、死の非連続性において完結する男性の肉体を専一に撮影したということになる」。
評論家の先生が表現すると、こういうことになるのだろうが、中谷忠雄さん(波賀九郎)は、女性は嫌いだから撮らない。男が好きだから男の写真を撮っていたということだ。
40年ぐらい前は、若い男が全裸に近い姿態で踊るなんていうことは、前衛舞踏家しかいなかったから、波賀さんの目がそちらに吸い寄せられたのは当然のことだろう。
波賀さんは、僕の先妻のミカの舞台写真も撮ってくれている。世田谷の区立中学の保健体育の教師でありながら、フランスの地下文学の傑作「オー嬢の物語」を舞踊化、舞台で全裸になったことから、大変な問題になってしまった。1960年代後半のことだ。
その頃の僕は、同性愛のことなど全く意識になかったが、今、考えてみると、舞台を支えてくれた人たちは、ほとんどがゲイの人だった。
「週刊新潮」などが取り上げてくれたので、新宿厚生年金会館小ホール(700名収容)での公演が、当日売りチケットの売上げ新記録を作ってしまった。
遠方から見に来てくれたお客さんも、ゲイの人が多かったと思う。先端を行く芸術を支えていたのはゲイの人だった。
その時代は、女性が舞台で裸になることは珍しかったが、共演の男性の裸体を見に来ていた人も多かったに違いない。
昭和30年、40年代の新宿は、若い前衛芸術家が次々と台頭してきて、活気に満ちあふれた時代だった。
「平凡パンチ」、「週刊プレイボーイ」が時代をリードしていた頃のことだ。
赤坂のTBSの裏手の方にあった、黒川紀章さんが内装を手がけて話題になった「クラブ・スペース・カプセル」を知っている人は少ないだろう。
アメリカの宇宙船が、月の世界に降り立って話題になった頃だ。天井も壁もステンレス、椅子は真っ黒な黒革。天井には次々と色が変わる電球がたくさんついていて、まるで宇宙船の中にいるようだ。
前衛芸術家をずらっと並べたショウは、話題になっていて、そこにも波賀九郎さんは、写真を撮りにきていた。(つづく)
★『薔薇族』の注文の方法は、郵便局で千円の定額小為替を作ってもらってお送りください。〒155-0032 東京都世田谷区代沢2-28-4-206 伊藤文学
★新しく『薔薇族』を置いてくれる古本店・「ビビビ」が下北沢にあります。〒155-0031 東京都世田谷区北沢1-45-15 スズナリ横丁1F・北沢タウンホールの筋向いです。読者好みの古書が沢山置いてあります。電話03-3467-0085です。
◆永遠のベストセラー「愛の潤滑液 ラブオイル」一度お試しあれ。
◆お求めはこちらから
◆ご感想・ご相談はこちらへbungaku@barazoku.co.jp
| 固定リンク
コメント