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2009年7月

2009年7月28日 (火)

隣の客が『薔薇族』を読んでいた!

 30数年前の話。その頃の『薔薇族』と読者との最初の出会いは劇的だった。これは青森県に住む読者からの手紙。

 「『薔薇族』のことは以前から知っていたのですが、田舎町のため購入することができず、また通信販売でという勇気もなく、残念に思い続けてきました。
 ところが先日、思わぬチャンスがあり、『薔薇族』を入手しました。旅行中に隣席に座っていた客が、見慣れぬ雑誌を楽しそうに読みふけっていました。
 その日は乗客が少なくノンビリムード。しばらくすると隣の客が雑誌をふせ、目を閉じているので、なにげなく表紙に目をやると、なんと『薔薇族』ではありませんか。
 私の胸は高鳴り、興味のある雑誌を眼前にした感激で、いっぱいとなりました。私が熱心に客のひざの上にある雑誌に視線を向けていることを感ずいたのか、隣の客は細く目を開け、「よかったら、どうぞ」と差し出してくれました。「すみません、お借りします」。私は熱心に雑誌を読み始めました。
 またとないチャンスを得た私は、水を得た魚のようにむさぼり読みました。
 30分ほどして、隣の客が下車する準備を始め、「よろしかったら、どうぞ持っていってください。私は次の駅で下車しますから」と言うのです。
 「以前から読みたいと思っていたのに、手に入れにくて」と言うと、「私はいくらでも買うことができるから、車中でのお近ずきのしるしに差し上げます」。
 こんな会話を残して、下車してしまいました。これが私の『薔薇族』との最初の出会いでした。
 湯の宿で、それこそ繰り返し、繰り返し読み続け、こみ上げてくる感激をどうすることもできない一夜でした。
 帰宅してからも、時間を見つけては、1冊の本を何度、読んだことでしょうか。(ある田舎町に住む読者)」

 その当時は、『薔薇族』を初めて手にするということは、大変な勇気を必要としたのだ。読者のひとり、ひとりが初めて『薔薇族』を買ったときの話をまとめたら、それこそ1冊の本になるほど物語があったと思う。

 駅のトイレの壁が、ゲイの人たちの伝言板だったという話を、以前、書いたことがあったけど、こんな話も。

 「困ったことが起きてしまった。先日の夕方、なんだか変な電話がかかってきた。内容は、隣町の駅のトイレに僕の家の電話番号と伝言が書いてあったというのだ。
 明らかに冷やかしと直感したので、取り合わず断りましたが、それから電話がかかってこないので、一安心、家族でも出てしまったら一大事だ。もちろん僕が書いたわけではなく、犯人はわかっているのですが、証拠があるわけではありません。
 卑劣な奴だ。わざわざ隣町まで出向いて、消してくるのも馬鹿らしいし、それと同時に僕の心のどこかで、それを素敵な人が読んで電話をかけてくれないかと思ったりして。困ったことだ。(諏訪市・T)」

 本当に駅のトイレの壁が、ゲイの人たちの伝言板だったりしてた時代。今時のネットの出会い系サイトよりも、どこかユーモラスだし、のんびりしているし、いい時代だったのでは。

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2009年7月26日 (日)

アメリカも日本も、ゲイ解放の道程は遠い?

 毎日新聞(2009年7月21日・朝刊)に「変革の芽・オバマのアメリカ」という連載があって、その⑤に「人権巡る闘い 今も ストーンウォールの反乱 40年」とある。

 「若手芸術家の街、ニューヨーク・グリニッジビレッジに同性愛者が集うバー〈ストーンウォール・イン〉がある。
 外壁には〈誇りはここから始まった〉と書かれた小さな張り紙。40年前の69年6月28日、警察の取り締まりに、同性愛者たちが抗議し、逮捕者まで出た、権力への抵抗を記念する場所だ。
 同性愛者の権利保護に取り組むジム・フラットさん(68)は、当時現場に居合わせた。『あのころの私たちは、人権を認められないことに不満を感じていた。それが爆発した』。
 当時は米国のほぼ全州が同性間の性交渉を法律で禁じ、同性愛者を理由に職場解雇や、不動産の賃貸拒否も相次いだ。同性愛者は警察の監視の目を気にしながら、酒を飲んだという。
 フラットさんによると、店にいた女性がパトカーを壊したのをきっかけに、同性愛者たちが店内や、周辺道路で暴れ出した。結局、13人が逮捕され、翌日、同性愛者はプラカードを掲げ、自分たちの権利を主張し始めた。
 60年代後半、米国ではベトナム反戦運動や黒人の公民権運動が燃え盛った。そうした社会風潮もあり、、〈ストンウォールの反乱〉以降、同性愛者も権利獲得運動に目覚め、70年、ニューヨークで初のゲイ・パレードを開催する。その動きにニューヨーク州は80年代になり同性愛者への差別を法律で禁止。」(後略)

 「ストーンウォールの反乱」から40年。その後のニューヨークは、どう変わったのか。同性愛婚の問題も07年に同性婚法案が下院を通過したが上院が否決。今も成立は微妙な情勢のようだ。カトリックやユダヤなどの宗教団体が反対しているからだ。

 「今でも私たちに対する偏見は残っている。闘いは終わっていない」と、同性愛活動家のベリー・プラスさん(61)は語っている。

 オマバ大統領に「変化」を期待しているようだが、オバマさんもクリスチャン、宗教的な問題が絡んでくると難しいのだろう。

 日本では、「ストーンウォールの反乱」から遅れること2年、1971年の7月に、日本初の同性愛専門誌『薔薇族』が誕生した。アメリカとの違いは、権力に弾圧されて、それに反発して反乱を起こしたこととは違うことである。

 日本はカトリック信者も少なく、仏教も、神道も、同性愛に対しては寛容だ。権力も同性愛者に対して、ことさら弾圧することもない(今のところ)。そうなれば同性愛のひとりひとりが自覚して、問題を解決すべきだろうが、ひとりでの力は弱い。みんな団結しなければ問題は解決しないのだが、それも無理のようだ。

 僕は創刊号にこんなことを書いている。「日本のホモたちはあまりにも暗すぎる。彼らを呼ぶ隠花植物という言葉が、あまりにもふさわしいのだ。
 なんとしても彼らを明るいところへ、陽の当たるところへ連れ出してやりたい。男が男を愛するということ、どうしても女性を愛せないのだから」。

 『薔薇族』の同志だった内藤ルネさんが亡くなったとき、ルネさんと40年以上も一緒に住んでいた藤田竜さんが、ルネさんのことを「友人」と呼んだ。そういわざるを得なかったのだろうか。30数年も『薔薇族』を共に出し続けて来た同志の竜さんの言葉。

 こんなに寂しい言葉はなかった。日本もまだまだ変わっていないのだろうか。

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2009年7月25日 (土)

ゲイの人たちの結婚問題は?

 ゲイの人にとって、異性との結婚はどうしてもさけて通れない関所のようなものだった。今でこそ独身を通していても、さほど変に思われない時代になってしまったが、2、30年前までは、ゲイの人たちにとっては深刻な問題だった。

 『薔薇族』を創刊して何年も経っていない頃の話だ。僕を訪ねてひとりの青年がやってきた。小学校の先生だった。

 同じ学校の女の先生に惚れられてしまい、彼女の方が積極的で、いつの間にか親同士が会って式場の日取りまで決められてしまった。

 24歳になる彼は、もちろん男が好きで、それも兄貴のような男に愛されたい気持ちは強いが、まだ男との経験もないし、ましてや女性との経験もない。

 迫りくる結婚式のことを考えると不安で、思いあまって僕を訪ねて来たということだ。

 僕は「何とかなるから結婚しなさい」と答えたと思う。「やめなさい」とは言えなかったから。

 それから忙しさにとりまぎれて、彼のことを忘れてしまっていたが、何ヶ月か過ぎて彼から電話がかかってきた。

 「うまくいってるかい?」と聞くと、いかにも元気のない声で「それが、どうも」ということだった。

 もう半年近くも経っているのに、数回しかセックスをしていないという。夜、早く帰るとセックスをせがまれるものだから、なるべく外で遊んで遅く帰ってくる。

 そうすると彼女の方は、他に女がいて帰ってこないのではと追求する。それがどうも女が他にいる様子がないと知ると、彼女は他の男の先生に相談した。

 「君の亭主はホモじゃないの」と同僚に言われ、また追求される。最初は笑ってはぐらかしていたものの、どうにも弁解できなくなって、また僕を訪ねて来た。

 どんな性生活をしているのかと根掘り葉掘り聞くと、彼女の体に触れることが嫌で、どうしても勃起しないようだ。

 驚いたことに、女性のアソコがどうなっているのか、その構造がどうなのか、関心がないから知る由もないようだ。

 アソコに入れなくたって、彼女を喜ばすことができるんだとテクニックをいろいろと教えたが、そんなことをしても何年も続けられるわけはない。

 美人の奥さんで、料理も上手だし、部屋の掃除はよくしてくれるし、非の打ち所がない。それに共働きまでしてくれている奥さんに何の罪があるのだろうか。

 世間体のためにと、かつてはこのように結婚してしまった人が多かった。田舎に住んでいて長男だから結婚しないわけにはいかない立場のゲイもいた。

 果たして時代が様変わりしてしまった今の時代、このような悲劇はなくなっているのだろうか。

 最近は読者からの電話や手紙もほとんどないから知る由もないが、僕の想像だが、ゲイの人たちの結婚の問題はそうは変わっていないと思う。

 いつの時代でも親は早く孫の顔を見たいと思うだろうし、カミングアウトすれば問題は解決するだろうが、それもなかなか言い出せないだろう。悲劇がなくなっていればいいのだが・・・

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2009年7月21日 (火)

今の奥さんが第一だ!

 我が家の墓は、多磨墓地の6区2種8側にある。祖先は長野県の松代に住み、幸田家の家来だったので、昔の戸籍謄本には「士族」と書かれていた。

 祖父の時代に東京に出て来たようだ。幸田家の江戸での墓地は赤坂にあって、屋根瓦には幸田家の家紋の六文銭のマークが使われていた。

 住職は駒沢大学の先輩で、柔道部員だったので、体も大きく、見るからにナマぐさ坊主という感じの男だった。

 お寺の名前をどうしても思い出せないが、小学生の頃から母親につれられて。伊藤家のお墓参りによく行ったものだ。今、お寺の名前を思い出したが、確か盛徳寺だったと思う。

 その途中に乃木神社があって、乃木大将が切腹して自害したときの短刀とか、白い着物などが飾られているのをガラス越しに見たことを覚えている。

 そのナマぐさ坊主、近所にキャバレー「ミカド」があって、そこのホステスにぞっこんで、入れあげてしまい、墓地を切り売りしたりしてお寺なのに手形を乱発して、最後はお寺を取られてしまった。

 僕の親父は手回しよく、友人から多磨墓地の権利を手に入れていたので、先祖の墓を掘り出して多磨墓地に移してしまった。

 大きな石碑のようなものは運ばずに、新たに墓石を石屋に頼んで造らせた。それは本を開いた形で、伊藤の「伊」は、作家の吉田絃次郎の書、伊藤の「藤」は、歌人の斉藤茂吉の書だ。ふたりとも親父が敬愛していた人たちである。

 6月の末頃、思い立って女房の久美子と先妻のミカに「裸の女房」の本を39年ぶりに出版することができたことを報告にお墓参りに行って来た。

 亡くなってから39年、執念を燃やし続けて、ついに本にすることができた。肩の荷が降りた思いとは、こんな時に使う言葉だろうか。

 しばらくぶりに行った墓地は、草ぼうぼうで、畳2畳分ぐらいの狭い墓地だから、そろ手間をかけずに草をむしり取ることができたが、蚊の猛襲にあって、あっちこっちを刺されて、もっと報告したいこともあったが、早々と引き上げてしまった。

 友人の何人かに、後妻の「久美子に捧げる」と増刷したときに入れるべきだと言われたが、そんなことを書かなくても、久美子の理解があったからできたことで、そんな必要はないだろう。

 いとこの裕子から手紙が届いて、「白いばら」での出版記念会には、娘の李花が、「今の奥さんが第一」と反対したので欠席したと書いてあった。

 亡くなって39年もの時が流れていれば、ミカに対して僕自身も客観的に見れたからこそ本にできたわけで、今の女房にしてもお祝いの会に出席して、お客さんの接待もしてくれた。

 まあ、こんな本を出す人なんて、この世の中にそうはいないと思うから、そう考える人がいても不思議ではないだろう。

 僕らもそう長くは生きられないと思うから、お互いに助け合って仲良く生きていこうと、「今の奥さん、第一」とは言われなくても実行していることだ。

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2009年7月20日 (月)

「沖縄タイムス」の見出し「肉体をたたきつけた舞踏」に感動!

 共同通信社の文化部から、全国の有力地方紙の30紙に配信された、僕の著書「裸の女房」のインタビュー記事が載り始め、5日の日曜日の読書欄に載ったものが彩流社から送られてきた。

 地方の新聞に載る記事の中に入る僕の写真なので、あまりラフな格好では印象が悪いのではと考えて、ネクタイをきちんと結んだスーツ姿にした。

 掲載された紙面を見て、ちょっと堅かったかなと思う。記事の内容は文化部の記者の人が書いたものなので、各紙とも同じだが、見出しは各紙の文化部の記者の人が、それぞれ考えて付けている。まだ8紙しか送られてこないが、その見出しがそれぞれ違うのが面白い。

 「中国新聞」は「舞踏一筋 芸術性評価を」、「四国新聞」は「舞踏に打ちこんだ亡妻」、「沖縄タイムス」は「肉体をたたきつけた舞踏」とあり、小さく「亡き妻を思う」と付け加えている。

 「宮崎日日新聞」は「命かけ舞踏芸術追求」、「徳島新聞」は「舞踏に打ち込んだ亡妻」、「信濃毎日新聞」は、僕の写真をカラーにしてくれて「舞踏一筋の人生伝える」とある。「高知新聞」は「舞踏に命かけた亡き妻」、「南日本新聞」は「舞踏に命かけた叫び」としている。

 新聞社の文化部の人が、記事を読んで、どうすれば強く訴えるかを考えて、見出しをつけている。

 30紙もの新聞の読書欄に掲載されるのだから、宣伝費に換算したら、大変な金額になるだろうから、取材をして記事を配信してくれた共同通信には感謝の言葉もない。

 いくら本を読まなくなったとはいえ、読書好きの人は読書欄を読んでいるだろうから、それなりの反響があってもいいはずだ。ところが本が書店の店頭に並んでから、すでに1カ月が過ぎている。書店は次から次へと取次店から新刊がおくられてくるから、、売れないとみると、すぐさま返品してしまう。

 書評を読んで買おうと思って、書店に足を運んでも読みたいと思う本がないとあきらめてしまう。取り寄せるように頼むお客は少ないだろう。

 彩流社にどのくらい反響があったのか、電話をしてみたら、驚くほどの注文はないという。これがネットの今の時代の現実なのだろうか。

 思い起こせば昭和20年代の後半に、第二書房から刊行した「匪賊と共に チチハル脱出記」、終戦後、満州で日本の女性が、ソ連軍の兵隊などにひどい仕打ちを受けた体験記だ。

 「週刊新潮」が「性のいけにえになった女性群」という4、5頁の記事にしてくれた。その反響はものすごく注文が取次店から殺到し、仕入れの人が増刷したら何部欲しいと頭を下げて、世田谷の我が家まで訪ねて来たものだ。これは最高の気分だった。

 今の時代、、ベストセラーを出すということは、宝くじを当てるよりも難しい。出版社も次から次へと新刊を出し続ける自転車操業だから、1冊、1冊に面倒は見ていられないのが実状だ。

 8紙の新聞の見出しを見て、僕が一番気に入ったのは、「沖縄タイムス」の「肉体をたたきつけた舞踏」。僕の心を打った。読者は自分が読んでいる新聞しか見ていないのだから比較はできないが、沖縄の読者には胸に響いたのではなかろうか。

 これらの記事がきっかけになって、本が増刷になればいいのだがーー。

★伊藤文学著『裸の女房』(彩流社刊・定価2100円)

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2009年7月15日 (水)

竹久夢二の女性遍歴の底にひそむもの

 抒情画を描く画家に、なぜかゲイの人が多い。内藤ルネさん、その師匠の中原淳一さん、藤井千秋さん、高畠華肖さんなどだ。

 ゲイの人は心の奥底に女性の部分を持っているから、女性になったらこんな女性になりたいという願望があるから、美しい女性を描くのだろう。

 女性のためのファッション・デザクィなーもゲイの人が多いのは、女性になったら、こんな可愛い服を着たいという願望があるあkらだ。

 竹久夢二さんだけは、何人から女性と結婚を繰り返し、子供さんもいるから、誰もが夢二をゲイだと言う人はいない。

 僕は以前から夢二はゲイであったのではと確信している。確か夢二は兄姉が多く、その末っ子だったのでは。確率からいってゲイの人は末っ子に多いことは間違いない。それは母親が溺愛してしまうからである。だからといって末っ子がすべてゲイになってしまうわけではない。

 夢二は母親よりも一番上の姉に憧れていたようだ。夢二の作品を見ても、病的とも思える女性を描き、美人画だけでなく、デザインの世界でも、様々な仕事をしている。その繊細な感覚は、女好きの芸術家にはとても持ちえないものだ。

 女房の古里の弥彦村に建設した「ロマンの泉美術館」のオープンした頃、出会った燕市在住の詩人、松井郁子さん、美術館を賛美する文章を「新潟日報」に寄せてくれたりもした方だ。

 「ロマンの泉美術館」が閉館することになり、6月9日の夜に、弥彦温泉の「みのや」旅館で、お別れの会を僕のファンが開いてくれた。

 前新潟県知事の平山征夫さん、新潟大学教授の栗原隆さんなど、多くの人が参加してくれた。松井郁子さんも駆けつけてくれて、そのときに雑誌などに発表された論文などをコピーして持って来てくれた。その中に「金沢文学」に発表された「夢二式美人画に潜むもの」と題する一文に、僕の目は釘付けになった。

 僕が夢二に対して考えていたことと、同じようなことを書かれていた。

 「夢二は女と心身を共にしながら冷めていく自分を視ていたに違いない。他万喜(たまき)にしても、彦乃、お葉にしても夢二にとっては画のための人形でしかなかった。人形は次の画のために取り替えなくてはならなかった。取り替えた先に、また別の〈艶麗な、かつ不幸な女〉を夢見なければならなかった。それはどこに起因するのだろう。
 そこには不幸だった母、也須能(やすの)と、最愛の姉、松香への思慕が潜んでいた。夢二の父には愛人がおり、そのために松香は婚家を追われた。夢二はこの姉を終生、敬愛したという。あの美人画からにじむ哀感は、也須能と松香の苦悩する姿であった。夢二の女性遍歴もそこにある。母と姉、この〈かけがいのない二人の女性〉を追い求めて、夢二は漂泊した。しかし、その〈二人と同じ女性〉には永遠に出会うことはなかった。夢二は愛した女たちの中に、悲しみを負った母と姉の面影を見ようとしたのではなかったかーー。」

 何度も女性を替えたのは、女が好きで性欲のためにしたのではないということだ。

 松井さんは夢二の美術館を訪れて、そこの館長と出会っている。館長は「夢二は女の人を真剣に愛した。だからこそ真情まで表現されている。」と松井さんに語ったそうだが、館長としては、どうしても夢二が女好きでないと困るのでは? それは館長ご自身がゲイであることを隠し、後ろめたさを感じていたからではないだろうか。

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2009年7月12日 (日)

パソコン、携帯電話なしには生きられないのか?

 いつも愛用しているふたつの腕時計をどこかに置き忘れてしまった。仕方がないので、止まったままで動かない時計があったので、いつも電池を入れかえてもらっている下北沢の南口駅前にある時計屋に行ったら、定休日でないのに貼り紙もしないでシャッターが下りている。

 一緒に行った浪人生の孫に、下北沢に時計屋がまだあるか、携帯電話で調べられるかと聞いたら、「探してみる」という。なにやらいじくっていたら、一番害の成徳学園に近い方に一軒あるという。

 早速行ってみたら、時計とメガネと宝石も置いている小さな店だ。お客が一人座っていいて電池を交換してもらっている。しばらく待っていて、無愛想な親父が電池を交換してくれて時計は動き出した。2200円払って店を出ようとしたらカクヤスの店員が入ってきて、やはり電池の交換を頼んでいる。

 おそらく小さな店で時計を買う人は少ないだろうから、電池の交換と時計の修理で成り立っているのだろう。

 それにしてもネットとか、携帯電話って、あっという間に進歩したものだ。こんな便利な文明の利器を使えるものと、使えないものとの差は開くばかりだ。情けないことになってしまった。

 6月26日の朝日新聞によると、「経営難、もがく米新聞」とある。アメリカの新聞は、日本のように全国紙はなく、州や都市ごとの地方紙である。それに一軒一軒届ける宅配はなく、街角などで売る方法で、ほとんど広告収入が頼りだ。新聞が売れなくなれば、広告を出そうという企業は減るばかり、これでは経営が苦しくなり、倒産する新聞社が増えているとか。

 日本は宅配しているから、広告料だけが収入ではないから、なんとか続けている状態だ。

 4週間に渡った「週刊新潮」の新聞社の押し紙のタブーを斬る記事。これはその通りなのだろうが、雑誌だってほとんどが刷り部数を何倍も増やして公表している。本当の実売数を公表したら、スポンサーは手を引いてしまうだろうから。

 「週刊新潮」の公表刷り部数は、44万6688部、「週刊文春」がトップで51万9074部、「週刊新潮」だって、ネットが現れる前の半分ぐらいになってしまっている。

 若者がとくにネットに頼って、新聞、雑誌、書籍を読まなくなってしまっている。新聞社だって悪いことだと思っているに違いないが、なんと言われようと、そうしなければ生き残れないという現実があるのだ。

 「週刊新潮」だって、同じように売れなくなっている。他人様のことを暴くのは止めてもらいたいものだ。みんなあがき苦しんでいるのだから。

 僕の著書「裸の女房」(彩流社刊、定価2100円)の初刷りは2000部だそうだ。共同通信が取材してくれて、7月早々から、全国の有力地方紙、30紙に写真入りでインタビュー記事が載る。これはネットが出て来る前ならすごい威力を持つだろうが、今の時代、どのくらいの効果があるのだろうか。

 60代以上の人は、新聞を朝夕読むことが日課になっているから、この年代の人に期待するしかない。

 本をヒットさせること、難しい時代になってしまった。

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2009年7月 8日 (水)

人々を夢心地にした美術館が消えてしまう!

 『薔薇族』の編集の良き「相棒」だった、藤田竜君によく注意されたものだ。「奥さんの話、女の話は書かない方がいいよ」と。

 その教えをずっと守り続けて来たが、しかし、苦労に苦労を重ねて、やっと本になった先妻との出会いから事故死するまでの15年間の話を綴った「裸の女房」(彩流社刊・定価2100円)の話を書き過ぎてしまった。この辺で止めておかないと、僕のブログを見てくれている人が見なくなってしまうと思うので、話を次からもとに戻そうと思う。

 その前にひとつだけ書いておきたいことがある。「テレビ朝日」の、20日午後7時からの「美空ひばり旅立ち20年」の映像を見たが、日本を代表する写真家の篠山紀信さんが登場して、ひばりに気に入られ、東京ドームでの最後のコンサートでの撮影秘話などを語られていたが、彼は、先妻の舞踏家、伊藤ミカの稽古場に来てくれて、お弟子さんたちとの練習風景を激写してくれ、美術雑誌の「芸術生活」に載せてくれた。

 そのときの1点を、見開きで「裸の女房」の文中に入れられたことは、すごいことで光栄なことだと思っている。

 僕は、この本の中で、ミカの舞踏理論とか、なぜ「性」をテーマに創作したのかを知ってもらいたいという考え方も、もちろんあったが、僕は『薔薇族』の編集長を長いこと続けて来て、くどいようだけど日本の芸術や文化を支え、引っ張ってきたのはゲイの人たちだという誇りを、若い人たちに持ってもらいたいということをこの本で伝えたかったからだ。

 新潟県の弥彦村に、僕がオープンさせた「ロマンの森美術館」。平成5年の11月3日にオープンした、この美術館は、『薔薇族』を出し続けて来て、多くの知り合ったゲイの人たちから自然に学び取った感性と美意識の集大成だと僕は思っている。

 ゲイ感覚で造った美術館だからこそ、女性たちに好意を持って受け入れられたのだろう。

 かつての美術館の欠点をすべてなくした美術館にしたいという理想を掲げ、年中無休、朝10時から夜9時まで営業と。

 そのためにはまず人件費がかかり過ぎてしまう。みんなができないということはそれだけの理由があるからだ。

 オープン当時は、あらゆるマスコミが取り上げてくれて、1日に500人以上も入館したことがあった。レストランなども椅子に座るのに1時間待ちは当たり前だった。

 しかし、時代は急速に変わっていった。インターネットの普及が雑誌の首を絞め、雑誌の売れ行きは落ちるばかり。それに長引く不況は、人々のサイフのひもを固くするばかりだった。

 大きな痛手は新潟を襲った地震だ。これの影響で人々の出足は遠のき、それと100年に一度という経済不況で、弥彦を訪れる客は少なくなるばかり。

 そして、雑誌は廃刊に追い込まれ、3年前に美術館も閉館したが、「新潟日報」に書いた僕の記事を読んだ、新潟市内の1社が声をかけてくれ、営業を引き継いでくれた。

 しかし、その会社も赤字になり、5月末日で投げ出されてしまった。2億5000万円を建築資金に投入して建てた美術館。その代償として、75年住み慣れた家と土地を信用金庫に取られるという痛い目にあったが、なんとしてもこの美術館を廃墟にはしたくない。

 また、「新潟日報」が文化欄に、僕の記事を載せてくれるという。どなたか後を引き継いでくれるお金持ちはいないものだろうか。

Photo_2ルイ・イカール画「青春」(1930)

☆お知らせ☆ 

このたび発売となりました「ヤマジュンTシャツ」をお買い上げいただいた皆さんに、製品の取扱いに関するお願いをさせていただきます。

(1)シルクスクリーンのプリントは熱に弱い為、乾燥機やアイロンの使用はお避けください。

(2)洗濯時は裏返して洗っていただくと日持ちがよくなります。

という注意書きが製作業者のほうより来ております。どうぞ皆様、この2点にご注意のうえ、末永くご愛用ください!


★『薔薇族』の注文の方法は、郵便局で千円の定額小為替を作ってもらってお送りください。155-0032 東京都世田谷区代沢2-28-4-206 伊藤文学

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★新しく『薔薇族』を置いてくれる古本店・「ビビビ」が下北沢にあります。〒155-0031 東京都世田谷区北沢1-45-15 スズナリ横丁1F・北沢タウンホールの筋向いです。読者好みの古書が沢山置いてあります。電話03-3467-0085です。

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2009年7月 6日 (月)

「週刊新潮」さん、新聞社をいじめるな!

 「新聞業界・最大のタブー・押し紙を斬る!第1回・ひた隠しにされた部数水増し衝撃の調査データ」

 見出しには、「押し売りされる新聞、押し紙ーー。部数を水増しすることで広告料金を吊り上げるという〝サギ的商法〟を、新聞業界は長年続けてきた。深い闇に包まれてきた最大のダブー「押し紙」を斬る集中連載。第1回は、ジャーナリストの黒薮哲哉氏が、その実態を抉り出す。」

 これは「週刊新潮」の6月11日号に載った記事の見出しだ。

 6月18日号には、第2回が連載され、「今朝も販売店から配られずに棄てられた〝部数水増し〟の動かぬ証拠」と、トラックで新聞を棄てている写真まで載っている。

 「新聞社が〝実売〟だと言い張る部数のうち、かなりの割合が、実際には読者に配られないまま棄てられている〝押し紙〟問題。連載第1回に対し、大手新聞各社は猛烈な抗議文を送りつけて来た。ならばお見せしよう。これが〝部数水増し〟の動かぬ証拠である。」と、鬼の首でもとったような見出しをつけている。

 僕も、戦後の昭和23年に父が第二書房を興し、学生時代から父の仕事を手伝い、77歳になるまで、出版の仕事を続けてきたから、かつての新聞、週刊誌の威力をまざまざと実感してきている。

 昭和20年代の後半には、「週刊新潮」の記事のおかげで「匪賊と共に・チチハル脱出記」はベストセラーになった。

 妹の心臓病との闘いを描いた「ぼくどうして涙がでるの」も、ベストセラーになったきっかけは朝日新聞の記事からだ。

 最近、売り出した彩流社刊の僕の著書、「裸の女房」(定価2100円)の、舞踏家の女房、伊藤ミカを有名にしてくれたのも「週刊新潮」のお陰だ。

 昭和46年に日本で最初に創刊した同性愛専門誌『薔薇族』だって、徐々に部数をのばし、実売で3万部も売れ、広告も頁数の半分もうずまっていた。

 創刊10周年のときに「週刊文春」が取り上げてくれ、その見出しに「ホモ界の朝日新聞薔薇族」と付けたものだから、朝日を怒らせて広告を訂正させられてしまった。それは営業活動をしなくても、スポンサーの方から広告を載せてくれと頼まれるということだ。

 6月9日の夜、新潟の弥彦村の弥彦神社の門前にある、ホテルみのやで、僕が創立した「ロマンの泉美術館」の閉館のお別れの会が開かれ、多数のお客さんが集まってくれた。

 僕の隣の席には、新潟県前知事の平山征夫ご夫妻、そして新潟大学教授の栗原隆さんが座っておられたので、今の学生が新聞を全く読まないという話をしてくれた。平山さんは現在は、大学の学長をされている。

 『薔薇族』もインターネット、携帯電話の普及が広がるにつれて部数が落ち、最後は3000部にまで追い込まれ、廃刊になってしまった。

 新聞各社もみんなネットに押されて部数が落ち、「週刊新潮」の書いている通りかも知れないが、みんな生き残りをかけて頑張っているのだ。週刊誌だってみんな落ち込んでいて、その刷り部数は誰もわからない。

 中国産のウナギというと売れないから、国内産と偽って売るのは悪いことだけど、新聞を余計に刷っているってなんてことは、目をつむるべきだと僕は思うけれど。そんな新聞に「週刊新潮」の広告を載せなければいいと思うが、そうすればもっと売れなくなるだろう。

 誰が悪いわけではない。世の中、全く変わってしまった。新聞社をいじめたって、得することはないのでは。もっと、もっと悪い奴を見つけ出して記事にしてもらいたいものだ。

☆お知らせ☆ 

このたび発売となりました「ヤマジュンTシャツ」をお買い上げいただいた皆さんに、製品の取扱いに関するお願いをさせていただきます。

(1)シルクスクリーンのプリントは熱に弱い為、乾燥機やアイロンの使用はお避けください。

(2)洗濯時は裏返して洗っていただくと日持ちがよくなります。

という注意書きが製作業者のほうより来ております。どうぞ皆様、この2点にご注意のうえ、末永くご愛用ください!


★『薔薇族』の注文の方法は、郵便局で千円の定額小為替を作ってもらってお送りください。155-0032 東京都世田谷区代沢2-28-4-206 伊藤文学

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★新しく『薔薇族』を置いてくれる古本店・「ビビビ」が下北沢にあります。〒155-0031 東京都世田谷区北沢1-45-15 スズナリ横丁1F・北沢タウンホールの筋向いです。読者好みの古書が沢山置いてあります。電話03-3467-0085です。

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