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2009年9月

2009年9月25日 (金)

トイレで食事を!ひどい世の中になったものだ!

 朝日新聞の9月14日号(日)朝刊の学生欄に、こんな記事が載っていた。「一人で食堂入りにくい・6割=法大教授調べ『便所飯』経験も2%」という見出しで。

 「一人で食べる姿を見られたくないから、トイレで食事をとる〝便所飯〟。
 学生の間で広がっているとされることから、実態を探ろうと法政大学の尾木直樹教授が、同大の487人にアンケートした。
 400人から回答があり、〝便所飯をする〟と応えた学生が2.3%(9人)いた。ほかにも〝一人で食堂に入れない〟〝いつも友達と一緒じゃないと落ち着かない〟という回答もあった。

 尾木さんは毎回、講義の最後に、学生に質問や悩みを自由に書かせている。その質問の一つに〝トイレに食事禁止の張り紙があるって本当ですか〟とあった。
 〝大学のトイレで昼食をとる便所飯〟について〝よくある〟という回答は0.3%、〝少しある〟の2、0%と会わせて、2.3%が便所飯の経験者だった。
 また〝一人では学生食堂に入りにくい〟が〝よくある〟と〝少しはある〟をあわせて6割近くに上った。〝昼食は友達と一緒でないとみじめだ〟が〝よくある〟で31.8%、〝少しはある〟も13、3%あった。
 〝いつも友人と一緒でないと落ち着かない〟は、〝よくある〟〝少しはある〟を合わせて23、5%になった。
 最後に〝学生生活を充実させるために大学へ何を要望しますか〟と聞き、自由記述で答えてもらった。授業料減額を求める声が多い一方、〝たまりば〟〝楽しくしゃべるスペースがほしい〟というものも少なくなかった。
 尾木さんは数年前から〝大学生が変わってきた〟と気になっていた。調査で〝一人でいられない学生の姿が浮かび上がって来た。その突出した現象が便所飯ではないか〟。
 東大や早大で聞き取りをしても同じ傾向が見られるという。〝依存度が高く、他人の目が気になるのは思春期の発達の特性だが、それは小5から、中3の発達段階。高校時代、人との交わりや、生活体験が抜け落ちてしまっているのではないか〟と指摘している。(数字はいずれも速報値)」

 トイレの中で食事をしている学生がいるなんて、昭和一ケタの人間には考えられないことだ。

 今の世の中、一人っ子があまりにも多いということ。我々の時代には、兄妹が4人、5人というのは当たり前だったから、便所飯など考えもつかない。

 この調査では便所飯をしている人が、男なのか、女なのか記していないが、恐らく男子学生に違いない。女子学生には、そんな気の弱い学生はいないのでは。

 一人っ子の男子学生も、母親に可愛がられて、ひ弱な男になってしまうケースも多いが、一姫二太郎の家族も多いから、長女は男っぽく、しっかりとするが、二太郎の方はひ弱に成長してしまうケースが多い。
 
 ひとりで学生食堂で食事をする方が、わずらわしくなくて落ち着いて食事ができていいと思うけれど、それが嫌だという。なんとも情けない話だ。

 今の大学は勉強をしに行くところではなくて、女性の友達を見つけに行くところ、友達とわいわいおしゃべりをするところになってしまっているのだろうか。

 女性に声をかけられない男も多いというし、友達になれてもセックスができない男も多いという。

 今こそヤマジュンの「やらないか!」精神を普及させなければ。積極的に行動を起こそうではないか!

Photo「ひまわり」のようにたくましく。


★伊藤文学〜第1回「やらないかの集い」
 山川純一君が残してくれた、呼びかけの言葉「やらないか!」。これはエッチな言葉ではなく、日本中の人たちが、うつむき加減で、元気をなくしている今の世の中。元気を出して行動を起こせと呼びかけているのではなかろうか。
 
 1971年、日本で最初の同性愛者に向けての雑誌『薔薇族』を創刊した伊藤文学と熱く語り合おう!
 
 すべて日本で最初の仕事を次から次へと実行した男。男性ヌードの写真集、少年の写真集、ビデオの製作、「薔薇と海と太陽と」「白い牡鹿たち」「愛の処刑」などの映画の製作。同性愛の世界をリードし続けた35年を語ります。ぜひ、みなさんでお出かけください。

日時:9月28日(月曜日)夜7時から9時
場所:下北沢南口「ONE LOVE BOOKS」
会費:1000円(ワンドリンク付き)

〒155-0031 東京都世田谷区北沢2-1-3
       ☎03(3411)8302

★下北沢の改札を出て、左の階段を降りる。南口商店街を5分ほど歩くと、右側に「餃子の王将」があり、その前の「膳場八百屋」の横を左に曲がると4、5軒目。「足立屋酒店」の前。

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2009年9月23日 (水)

純喫茶は生き残れるだろうか?

 今時の若者は、びんに入ったコーラをガチャガチャいわせて運んでいる光景を知らないだろう。

 昭和40年代は、喫茶店に入ると、みんなコーラを飲んだ。「邪宗門」も女性のウエイトレスが何人もいて、お客さんも1日に何百人も入ったものだ。その頃が喫茶店の全盛期だった。

 雑誌「税」に前田秀夫さんは、こんなことを書いている。森茉莉さんの話は、あまりにも有名すぎるので、その話は省いて喫茶店の良き時代のことを紹介しよう。

 「昼間は電気、ガスなどの集金人、訪問販売のセールスマンのお休みどころ。この地域は学生相手の下宿屋が多かったので、夜になると東大の教養学部、駒沢大学、国士舘大学、明治大学などの学生さん、その他、常連さんから〝あの人は有名な○○さん〟と教えられた方々も常連になってくれたそうだ。
 電話を引いている家がまだ少ない時代だ。学生たちは『邪宗門』の電話で、地方の親と連絡を取り合う。彼女とデートの約束もする。
 冬は『邪宗門』でからだを暖めてから下宿に帰って行く。その頃は学生の下宿にクーラーなんてあるわけがないから、クーラーの効いた『邪宗門』で、閉店になるまで居座わり、そしてそれぞれの下宿に帰って行く。
 そんな学生たちが年末には、お店の大掃除を手伝ってくれ、帰省できなかった学生たちは、大晦日を『邪宗門』で、新たな年を迎えたという、今は昔の物語である。
 当時の常連さんだったお客さんが、時折りしばらくぶりに訪れてくれて、当時とひとつも変わっていない、店内の至るとことに染み込んでいる思い出に浸っている。
 時には子供を連れて来て、子供に若かりし頃の話を聞かせていたりする。
 誰もが時間に追われ、供される商品そのものにしか価値を見いだしにくくなってしまった今の時代、心が安らぎ、落ち着いた居心地のいい空間を見つけることは難しい。
 安くておいしいコーヒーを飲ませるチェーン店が街にあふれている今の世の中。おいしいコーヒーや紅茶を自宅でも味わえるようになってしまった。
 味とムードを楽しめる空間、接客のサービス、そして店独自の特徴で勝負してきた純喫茶の辿る道は険しい。
 〝もうからないですよ〟と、ひとりで店を切り盛りしている作道さん。それでも〝できる限り店を続けていきたい〟と、お店に来られたお客さまに満足して頂くために、一杯ずつ丁寧にコーヒーを、紅茶を淹れる。そして、サービスに得意のマジックを見せてくれる」

 三軒茶屋の改装したスーパーの「西友」では、お弁当がなんと280円だそうだ。500円出せば食事ができてしまう。コーヒー代500円は、なんとも高く感じてしまう。それでも「邪宗門」を訪れるのは、マスターの作道さん、奥さんと話ができるからだ。それに和物の骨董品が、ずらりと並んでいて、それを眺めているだけでも、心がなごむからだ。「邪宗門」は自宅だから家賃がかからないが、下北沢のお店は、あまりにも家賃が高すぎる。まるで大家のために働いているようなものだ。

 次から次へと店がつぶれ、下北沢のようににぎやかな街でも、シャッターを閉めたままの店が目立つようになってきている。
 
 少しでも景気が上向くように、民主党さんに頑張ってもらうしかないようだ。

Photoこのムードが心をなごませてくれる。


●「邪宗門」世田谷区代田1-31-1 ☎03(3410)7858 木曜日定休

★伊藤文学〜第1回「やらないかの集い」
 山川純一君が残してくれた、呼びかけの言葉「やらないか!」。これはエッチな言葉ではなく、日本中の人たちが、うつむき加減で、元気をなくしている今の世の中。元気を出して行動を起こせと呼びかけているのではなかろうか。
 
 1971年、日本で最初の同性愛者に向けての雑誌『薔薇族』を創刊した伊藤文学と熱く語り合おう!
 
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日時:9月28日(月曜日)夜7時から9時
場所:下北沢南口「ONE LOVE BOOKS」
会費:1000円(ワンドリンク付き)

〒155-0031 東京都世田谷区北沢2-1-3
       ☎03(3411)8302

★下北沢の改札を出て、左の階段を降りる。南口商店街を5分ほど歩くと、右側に「餃子の王将」があり、その前の「膳場八百屋」の横を左に曲がると4、5軒目。「足立屋酒店」の前。

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2009年9月22日 (火)

天井が抜けて、人が次々と落ちて来た!

 9月8日は親父が86歳で亡くなった命日だった。すでに18年という年月が過ぎ去っている。72歳で脳軟化症で倒れてからは、母の介護が続いていた。

 手押し車を母が押して、毎日のように訪れていたのが、純喫茶の「邪宗門」だった。店主の作道明さんは、富山県の高岡市の生まれ、高校を卒業して、創業者の青井忠治さんが高岡市の出なので、上京してクレジット(当時は月賦の)「丸井」に就職した。

 「丸井」に長く勤め、退職時には吉祥寺店の副店長だったが、職場結婚した奥さんの実家に建てていた自宅を改装して、喫茶店を始めたいと言い出したが、奥さんは「丸井」を辞める理由がわからない。絶対に反対というのを押し切って「邪宗門」を開業した。

 「邪宗門」は、明治の文豪、森鴎外の長女の作家、森茉莉さんが通いつめた店として、知る人ぞ知る有名なお店だ。

 僕の親父とおふくろが生前、お世話になった「邪宗門」なので、最近はどん底生活の僕はコーヒー500円のお店は、たまにしか立ち寄らないのだが、親父の命日なので寄ってみた。

 平日の夕方ということもあって、客はひとりしかいなかった。作道さんが見せてくれた雑誌「ぎょうせい」刊行の『税』64巻第7号と第9号、そこに営業コンサルタントの前田孝夫さんが書かれた「撤収マン講座・トップセールスマンに見る=挫けない男たちの物語」が2号に渡って「邪宗門」を紹介する記事が載っている。

 『税』という雑誌は、64年の歴史を持つ雑誌で、税務署の人とか、税理士さん、会社の経理担当の人が読む雑誌で、一般の人には目に触れない雑誌だ。

 ところが前田孝夫さんの「挫けない男たちの物語」は、読んでみたら実に面白く、一般誌に載せて、多くの人に読んでもらいたいような読み物なので、その一部を紹介してみたい。中野駅前の「丸井」で、作道さんが働いていた頃の話である。

 「戦前から建っていた古い、木造二階建ての店舗は、ボロっちい建物だ。
伊勢丹と比べものにならない店舗だったが、『伊勢丹で売っているのだから、うちでもと扱うことにした』のが、当時の〝夢の機械〟であったテレビである。
 一般サラリーマンの年収の数倍という、テレビ受像機を買うのは、お金持ち、その他、客寄せに使うためのそば屋や喫茶店など。
 駅や繁華街などに街頭テレビが設置され、そこにはいつも人だかり。『丸井』にもテレビがある、それだけで凄い宣伝になった。
 そのような時代に作道さんは、入社2年目。昭和29年、戦後、ニッポンの大ヒーローである、ボクシング世界チャンピオン、白井義男の4度目の防衛戦(対戦者はレオ・エスピノザ)がテレビで放映された。
 『丸井』中野本店2階に60名以上のお客様が殺到し、売り場は両者の打ち合いに歓声を上げて興奮して足を踏み鳴らしていた。そして、第3ラウンドの開始直後に床が抜け落ちたのだ。
 一階の紳士売り場にいた作道さんは、次々と落ちてくる人を目の当たりにしたのであった。すぐに救急車を要請、一方で社員も救急に全力を尽くし、手分けをして近隣の病院にケガ人を運び込んだ。
 オート三輪の荷台にケガ人を載せ、作道さんが行った先の診療所では、『うちは産婦人科だぞ!』と怒鳴られたが、手当はしてくれたそうだ。」

 そんなことがあって、社員一丸となって頑張り、その後、伊勢丹の真ん前に進出したのだ。僕も下北沢の「丸井」で若い頃、家具を月賦で買いそろえたが、我が家の前に「丸井」のクルマが停まると、気恥ずかしかった思い出がある。

Photo喫茶「邪宗門」とマスターの作道明さん


●「邪宗門」世田谷区代田1-31-1 ☎03(3410)7858 木曜日定休

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日時:9月28日(月曜日)夜7時から9時
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2009年9月15日 (火)

伊藤文学〜第1回「やらないかの集い」

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日時:9月28日(月曜日)夜7時から9時
場所:下北沢南口「ONE LOVE BOOKS」
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Photo_4山川純一の「もっこり抱き枕」


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さびれゆく北沢八幡宮の祭りを嘆く!

 僕の父、祷一が平成3年9月8日、86歳で亡くなってから、すでに18年になる。

 地元の北沢八幡宮の祭礼の日が、何時の頃からか、9月の第1土曜日、日世彌になっていって、平成3年の9月8日は日曜日で、祭礼の日だったと記憶している。

 今年は9月6日が祭礼の日だった。その日、女房の久美子と僕が運転するクルマで、多磨墓地にお墓参りに行って来た。そのために北沢八幡宮には、行かずじまいになってしまった。

 今年が創立130周年を迎えるという歴史のある代沢小学校に、戦時中に僕は通っていたが、お祭りの日は、教室で授業を受けていても太鼓のどん、どん、という音が聞こえてくると、僕ら子ども達は、早くお祭りに参加したいとそわそわしていたものだ。

 子ども達だけでなく、大人達も祭礼の日を待ちわびていて、その日は朝からお赤飯を炊いて、ごちそうを作り、嫁いでいる兄妹達も、子ども達を連れて集まって来た。それは我が家だけではなくて、ご近所のどこの家でもそうしていた。だからしばらく会わないでいた人たちと出会うこともできた。

 もう10年近くになるだろうか。パチンコ屋の景品のことでもめたのか、下北沢のパチンコ屋のシャッターに、ピストルの銃弾が撃ち込まれるという事件があった。

 警視庁の暴力団担当の人が、北沢警察署に署長として赴任して来て、祭礼にお店を出して来たテキ屋を暴力団の資金源になるということで、すべてしめ出してしまった。

 北沢八幡宮のお祭りが、にぎやかだった頃は境内はもちろん参道の茶沢通りにつながる狭い道の両側にも、お店がずらりと並んだものだ。

 みこしの宮入りの時間になると、各町会の大人みこし、子どもみこしが次々とくり出してくる。茶沢通りは、交通止めになって、それを見物する人たちが歩道にあふれたものだ。

 テキ屋がいなくなって、出店するのは、ボーイスカウトやPTAの父兄達、法人会の会員達とか素人達になってしまった。

 みこしをかつぐ人たちも、角刈りの威勢のいい若者ではなく、女性が多くなってしまったから、迫力を全く感じられなくなってしまうのは当然のことだ。

 テキ屋が醸し出す何とも言えない崩れたムードは、素人に出せるわけがない。祭りが魅力を失い、年々寂れていくのはテキ屋を追い出してしまったからだ。

 国民的英雄のような「寅さん」だって、テキ屋だし、テキ屋を追放するということは、「寅さん」を否定するようなものではないか。

 商店街の人たちも、寂れていく北沢八幡宮のお祭りをうれえて、テキ屋を呼び戻すことを願っている。

 都内でも多くの人が集まることで有名な麻布十番のお祭りは、警察の警告を無視して、東京だけでなく、関西のテキ屋も出店しているそうだ。

 麻布十番に事務所を持つ宇野亜喜良さんは、7、8年前から商店街の人たちのため、街のために、ポスター、うちわ、Tシャツ、電信柱に付けるのぼりのデザイン、イラストを担当している。

 宮司さんが決めるのか、北沢八幡宮の総代のような街の有力者が決めるのかはわからないが、このままでは寂れていくばかりだ。なんとか、みんなが楽しめる活気あふれる祭礼にしたいと願っているのは僕だけだろうか。

Photoかつぎ手は女ばかり。男もひ弱で迫力がないことおびただしい。
Photo_2麻布十番のお祭りで配られた宇野亜喜良さんイラストのうちわ


★『薔薇族』の注文の方法は、郵便局で千円の定額小為替を作ってもらってお送りください。155-0032 東京都世田谷区代沢2-28-4-206 伊藤文学

399

★新しく『薔薇族』を置いてくれる古本店・「ビビビ」が下北沢にあります。〒155-0031 東京都世田谷区北沢1-45-15 スズナリ横丁1F・北沢タウンホールの筋向いです。読者好みの古書が沢山置いてあります。電話03-3467-0085です。

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2009年9月12日 (土)

今も昔も同じことが・・・・。

 終戦後、おそらく昭和20年代の後半のカストリ雑誌だろう。「風俗科学」(第三文庫版)の誌名のサブタイトルに「愛と夢を文化人のため」とある。定価は100円だ。コピーしか今見つからないので、正確な発行年月日はわからない。

 ペンネームだろうが、古田春生さんという方が、「そどみあは貴方の隣りにいる!」という記事を載せている。「そどみあ」って、今の人には何のことかと思うだろうが、その時代には、ホモという言葉もなかったし、ゲイという言葉もなかった。

 見出しに「こんなにも多いのか、なつかしいソドミアの休息あふれる東京の街々、ランデブーの場所をリレー探訪する」とあり、都内のトイレや映画館で、ゲイたちが発展する姿を探訪していて興味深い。  「新宿は『そどみあ』の集る場所として有名である。ここにはこの世界の有名なバアの草分け『夜曲』があり、『イブセン』『グレー』もある。
 映画館が三軒並んでいるうちの『B』、日活封切館の三階『M』、紀伊国屋書店の附近の『S』、駅近くの同じく『S』など、なかなかさかんである。
 この他、昔、ムーランのあった通りの突き当たりの土手際のトイレが事務所(ゲイの人が集まるところ)だったそうだが、今はあまり来ないらしい。
 浅草と違って、新宿はサラリーマン・タイプが圧倒的であることが特長と言えよう。うわさによると、保安隊(自衛隊)の若い人たちも来るという。
 ある土曜日の午後、私は『B』へ入った。そどみあ席は例によって、後ろの立ち見席である。扉を開けると、はみ出そうな超満員(当時の映画館は、娯楽が少なかったのでどこも満員だった)なので、次の休憩時間まで三階へ行く。ここも後部は『そどみあ』席である。
 二列横隊式の立ち見席、一見してプロらしいハンサムな若者も多い。神田駅近くの『S』にいて、有名な作家に愛されたとかいうC君も、そもそも、この『B』で、はじめて『そどみあ』の世界に入ったという。
 最近『S』から『グレー』に移ったというが、ギリシャ彫刻のように、彫りの深い美少年だった。
 土曜、日曜は、この二列横隊が、三列にも四列にもなり、両隅の扉のところなど、フェラチオをしているのを見たことがある。
 映画は何をやっていようと、一切無関係である。用が済めば、さっさと出て行くし、好みの相手が見つからない時は、一日中だってねばっていられる。
 『流し込み』興行のありがたいところである。どちらかに金と時間があれば、今入ったばかりでも、二人連れだって出て行く。おそらく近くのホテルの一室へと急ぐのであろう。
 どこの誰だかわからない男と、ろくに言葉も交わさないのに、直ちに肉体的交渉を持つことの悲しさ。性の一種のははけ口としての処理ならば、やむを得ないが、それでいいのだろうか。
 『そどみあ』たちは、世上の普通の恋愛と違って、相手を求めるのに困難を極める。人柄、容貌、年齢、地位、その他いろいろ一致しなくてはならない。かりにそれらがぴったりしているとしても、もうひとつの最も重大なものが好みに合わないとダメなのだ。形と色彩と肌触りとその強大さ(オチンチンのことである)。こうしたものが完全にそろうことは、およそ不可能なのだ。だから『そどみあ』たちは、次から次へと理想の男を求めて、さまよい歩く。」

 何十年も昔のゲイ達の生態とは言えない。今も同じことが繰り返されているのかもしれない。

Photo


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2009年9月 7日 (月)

40年間、よくぞ残せた宇野亜喜良さんのポスター

 「ポスターハリスギャラリー」から「宇野亜喜良60年代ポスター展」のチラシと招待券が送られて来た。

 日本が高度成長期にあって、活気に満ちあふれていた時代、三池炭坑のストライキ、日本社会党の委員長の浅沼稲次郎さんの演説会での右翼の若者による刺殺事件、1964年には「週刊平凡パンチ」が創刊、東京オリンピックが開催される。

 1968年には、金嬉老事件、3億円事件、翌年には米・宇宙船アポロ11号が月面着陸。

 そんな時代に若い芸術家が次々と現れた。広告、デザイン関係では、宇野亜喜良、横尾忠則、和田誠、演劇関係では状況劇場の唐十郎、寺山修司など、数えきれない若者たちが活躍した時代だった。

 明治通りと表参道の交差点に、米軍関係者のために建設されたという純西洋式の高級賃貸アパートだったセントラルアパートに、宇野さんのアトリエはあった。

 昭和30年代後半から、カメラマン、コピーライター、イラストレーターなどが事務所を構え、当時のクリエイターたちのステイタスともいえた。

 宇野さんは「マックスファクター」の専属デザイナーでもあり、一番輝いていた時代だった。

 わが女房の舞踏家、伊藤ミカも、60年代後半に活躍した。邦千谷舞踏研究所から独立し、1966年に「伊藤ミカ ビザール バレエ グループ」を結成し、1967年の10月30日、31日と新宿厚生年金会館小ホールで旗揚げ公演として、フランスの地下文学の最高傑作といわれる「O嬢の物語」を上演した。

 その時のポスター、チラシ、チケット、プログラムなどのデザインを宇野さんが引き受けてくれた。

 セントラルアパートの宇野さんの事務所には、何人もの若者が働いていて、扉は開きっぱなしになって、BGMが廊下まで聞こえ、ものすごい熱気にあふれていた。

 12月26日には再演。マスコミに取り上げられて話題になった。

 翌年の1968年12月16日から3日間、栗田勇原作の「愛奴」を舞踏化、同じく新宿厚生年金会館小ホールで700名収容の客席を満員にした。

 1969年には、赤坂のクラブ、スペースカプセルでのショウ、「静かの海の恐怖」のポスターも宇野さんがデザインしてくれた。「ポスターハリスギャラリー」から送られて来たチラシには、60年代の宇野さんがデザインし、イラストも描いたポスターがずらりと並んでいる。

 伊藤ミカの舞踏公演のポスターは3点。いずれもシルクスクリーンという印刷で作られている。今時のオフセットのような印刷でなく、職人の技術で一色、一色を積み重ねていく印刷手法で大量には作れない。

 なんと今から40年前に印刷された作品だ。僕はこれらのポスターを大変な思いをして保存してきた。

 なにしろミカが事故で33歳で亡くなって、1周忌を待たずに再婚し、保存していた場所も2、3度変わってしまった。自分でもよく残せたものと感慨深いものがある。

 3点の作品を会場で展示し、即売することにしている。ぜひ、ご購入の上、額装して飾ってもらいたいものだ。もちろん、僕の著書「裸の女房」(彩流社刊、定価2100円)もサイン入りで販売している。

 ★「宇野亜喜良60年代ポスター展」2009年10月7日(水)まで。入場料300円。13時〜19時、9月7日・14日・27日、10月5日は休廊。渋谷区道玄坂2-26-18 朝香ビル103号、電話080-2023-0499 http://posterharis.com/gallery.top.html

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