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2009年12月

2009年12月31日 (木)

MとMでは、どうにもなりません。

 藤田竜君(僕の良き『薔薇族』編集の相棒だった。)から内藤ルネ展の案内状のハガキが送られてきた。

 「ルネはまだまだ、がんばっております」と添え書きがあって。

 「内藤ルネ展 ロマンティックよ、永遠に」2010年1月27日(水)〜2月8日(月)・東京駅大丸ミュージアム・東京・大丸東京店10階。「昭和の少女生活を夢みるものとし、後に斬新なアイデアを創作した内藤ルネのイラストとリビング・デザイン。

 現在もさまざまな分野に影響を与え続ける不滅の全貌を回顧します。JR京都伊勢丹他で大当たりした本展が、内容も新製品を充実させて、東京では9年ぶりのお目見えです。ご期待下さい。とある。

 ルネさんのファンは、ルネさんが活躍していた時代にめぐりあった人たちだけでなく、その時代を知らない若い人たちにも愛されている。それに男性のファンも多い。

 東京では9年ぶりということなので、この機会にぜひ、多くの人に見てもらいたいものだ。

 ちょっと話がそれてしまうけれど、今年の6月に先妻の舞踏家、ミカとの出逢いから風呂場で酸欠死するまでの15年間を描いた『裸の女房 60年代を疾風のごとく駆け抜けた前衛舞踏家・伊藤ミカ』を彩流社から出版した。

 ミカはマスコミから「被虐の舞踏家」とか、「マゾヒスト」とレッテルをはられてしまっていたので、僕なりに「SM」ってどういうことなのかということをいつも考えてきた。

 ミカが「伊藤ミカ ビザール ガレエ グループ」の旗揚げ公演に選んだ原作は、SMの極地といえる、フランスの地下文学の傑作「O嬢の物語」(澁澤龍彦訳)だった。

 この作品を何度も読み始めたが、すぐに投げ出してしまって、僕は未だにこの本を読みきっていない。

 他人様の書いた本をほとんど読まない僕は、図書館などに足を踏み入れたこともないし、書店にも月に一度ぐらいしか入ることはない。

 それが先日のことだ。珍しく書店をのぞいたら、幻冬舎新書で鹿島茂さんの「SとM」という本が目についた。

 パラパラとめくって見たら、易しく書かれた本のようなので、買い求めてしまった。(本体価格720円)

 エピローグを読んだら、僕の著書『薔薇族編集長』を文庫化してくれた、幻冬舎編集部の山田京子さんが、この本も企画して「SMの文化史的な本を作ってみたい」という誘いにのって本を出したと鹿島さんは書いている。

 もう一度ゆっくりと一字一句読んでみないと、よく理解できないが、SMというものがなんとなくわかってきたような気がする。

 「SMというのは、両者の「合意」がなければ成立しないものであって、この「合意」はある種の「契約」といってもよいものなのです。」

 ルネさんのことを思い出してしまった。ルネさんって幸せな人だったと。SとMの理想の相手を見つけることって、そうザラにあるものではない。ルネさんは僕にだけ語ってくれた話だけど、「黄金の6年間」とも「奇跡の6年間」ともいうM君という美青年との6年間だ。

 「私が上官なの。あるときは女王であり、謎の伯爵であり、ね。私の命令はなんでも聞いてくれたの。あのマンションの黒い部屋にMを住まわせてーー。」

 僕とミカとの関係はというと、僕もミカもMで、SMの関係は成立しなかったのでは。ルネさんがうらやましい。

★新年から月曜日と木曜日にブログを更新します。よろしくお願いいたします。

★『薔薇族』の注文の方法は、郵便局で千円の定額小為替を作ってもらってお送りください。155-0032 東京都世田谷区代沢2-28-4-206 伊藤文学

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★新しく『薔薇族』を置いてくれる古本店・「ビビビ」が下北沢にあります。〒155-0031 東京都世田谷区北沢1-45-15 スズナリ横丁1F・北沢タウンホールの筋向いです。読者好みの古書が沢山置いてあります。電話03-3467-0085です。

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2009年12月29日 (火)

『薔薇族』的な親友との出会い

 1カ月ほど、僕のブログが更新されなくなって、心配された方も多かったと思う。自分でワープロを打ち、更新できるにこしたことはないのですが、それができません。「お父さん、ブログをやってみませんか」と、次男の嫁が声をかけてくれて、ずっと続けてくれていたのですが、仕事が忙しくなって投げ出されてしまった。

 途方にくれていたときに、「僕がやります」と声をかけてくれた、僕のファンがいて、その方にボランティアでお願いしていたのだ。

 今の世の中、何が起きるかわからない。その方が急に会社を辞めることになってしまって、僕のブログの手助けなどしている状態でなかったようだ。

 やっと落ち着かれて、「今まで通りやります」と力強くありがたい言葉をかけてくれた。

 僕も長い間、執念を燃やして書き上げた『裸の女房』が、全国の有力地方新聞、そして朝日新聞が大きく取り上げてくれたにもかかわらず、売れなかったことにがっくりしてしまって元気をなくしていた。

 時代が変わってしまって、本が売れない時代になり、ネットで本を読むようになるだろうと言われている。今では本になっただけでも満足すべきだとあきらめてはいるが。。。

 
 年の暮れになると過ぎ去りし日のことが思い出される。国学院大学の教授だった阿部正路君、無二の親友といえる友人だが、すでにこの世にいない。

 僕が卒業論文の斉藤茂吉論を書けないことを心配して代筆してやるよとまで言ってくれた。頭のいい阿部くんなら、いとも簡単に書いてしまっただろうが。

 その後、『薔薇族』を創刊してからは、何度も原稿を寄せてくれた。ただし、恩師の折口信夫のことだけは書かないよと言われてしまっていた。

 創刊5年後に、新宿に「伊藤文学の談話室」をオープンさせたときに、「祭」という店名を考えてくれた。目の前の美輪明宏さんのお店が「巴里」だから、「巴里祭」で、いい店名で本当に祭の日のように多くの読者が集まってくれた。

 『薔薇族創刊百号』の記念号に、阿部くんは「若葉の風ー伊藤文学君のこと」と題して文章を寄せてくれて、初めて彼と出逢ったときのことを書いている。

 「まさに若葉の風だった。彼はとっても新鮮で、そして、いつも不意にあわられる。
 伊藤文学。彼は、いつのまにか、僕の青春の、ほとんどすべてだった。
 伊藤文学。彼は、、僕の青春の友であったばかりではなく、今では一層たしかに、僕の壮年の友であり、生涯の友でありつづけるに違いない。
 伊藤文学君と初めて逢ったのは、昭和25年の5月、東京大学の三四郎池のほとりだった。ーーじっといて池の面を見詰めてゐると、大きな木が、幾本となく水の底に映って、其又底に青い空が見える。
 これは夏目漱石の小説『三四郎』の一節だ。僕もまた、あのとき、じっとして、池の面を見つめて、大きな木が、幾本となく水の底に映っているのをながめていた。池の底に青い空が見え、たくさんの鳥たちのように木の葉が遊んだ。まさに若葉の季節だ。すると美しい水の底の青い空に、白い若者の顔があらわれた。いかにも美青年であった。あたかも夏目漱石のえがいた三四郎のように、田舎から出てきたばかりの僕の目に、その美青年の瞳がひどくまぶしかった。それが伊藤文学君であった。」

 なにか『薔薇族』的な、美しく、ドラマチックな出逢いだった。もう半世紀以上も前の話だ。

 友人たちが次々と、この世にいなくなって冷たい風が身にしみるようだが、年が変わってもブログを書き続けるので、ぜひ、見ていてください。

Photo阿部正路君と出逢った頃の僕。

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2009年12月22日 (火)

全裸でくさりをまきつけて。

 僕の先妻の女房、ミカが風呂桶の中で、酸欠死したのは1970年(昭和45年)の1月11日のことだった。享年33歳という若さでだ。

 1967年(昭和42年)10月30日、31日、「オー嬢の物語」の初演、そして12月26日に再演。

 翌年の1968年(昭和43年)12月16日から3日間、新宿厚生年金会館小ホールでの「愛奴」の公演と大きな舞台を作り上げた。

 そして翌年の1969年(昭和44年)、亡くなる前の年がミカが次々と新しいことに挑戦して一番輝いていた年だ。

 日本で初ということで世間をあっと驚かせたのが、1969年(昭和44年)の5月10日から30日まで上野の東京都美術館で開催された、毎日新聞社主催の「第9回現代日本美術展」でのことだ。

 五月女幸雄さん(31歳の無名の新人)の作品「商品1969・5A・B」だ。一昨年の秋、ミカの舞台を観て感動した五月女さんが手紙を出した。それがきっかけで、ふたりは知り合った芸術活動の同志。「私は肉体に対する嫌悪感がとても強い。踊りは肉体を超えるためにある。五月女さんが〈商品〉として展示と言った時、ぴったりの役だと思って引き受けた。」

 五月女さんはミカの他に、10人ほどの女性に出演を頼み承諾を得ていた。ケースはふたつ。ひとりがケースに入っている時間は3時間。その間は水も飲めず、トイレにも行けない。おまけにライトの熱で蒸れる。空気の流通は4センチほどの扉の隙間だけ。

 ミカは「愛奴」に出演したときの薄地のレースに鳥の羽根をつけた幻想的な衣装でケースの中に入っていた。

 五月女さんとミカが裸の展示を考えたのは、展覧会も半ばを過ぎてから。なにしろ美術館にナマの人体が展示されたのは前代未聞のこと。それだけでも、いろいろ問題があったのに、裸となったら除去命令がおりかねない。そうなったら「美術界への肉体を通しての反抗、美術の概念を突き破る」という五月女さんの意図も水の泡。そこで最終日に決行しようと腹を決めていた。

 最終日、ミカは全裸にくさりをまきつけただけで、ケースの中に入った。中に入っていて一瞬ライトをつけ、そして消す。大勢の観客がケースの周りを取り囲み、同じ部屋に展示された作品には誰も見向きもしない。

 照り映える光を浴びて、ミカの肌とくさりが輝く。最前列にいた中年の男性が一心にバタフライの部分を覗き込む。それでも物足りなくなったのか、乗り出すように顔を近づけた。とたんにライトが消える。テレたように顔を引っ込める男の周りで失笑が起こる。

 このときの写真は「芸術生活」(1969年7月号)に載っているが、文章で書くよりは、1枚の写真の方がすべてを物語っている。

 3時間にわたるハプニングを終えて、白衣をまとって控え室へ引き上げるミカの後ろをぞろぞろと観客が追った。控え室で着替え中のミカを覗こうとする、興奮冷めやらぬ男性たちもいた。

 画期的な作品は、人々のドギモを抜いたようだ。

 これは40年も前の話だが、なんと五月女さんは、71歳になっていて24年間もパリで奥さんと一緒に滞在しているという。フィレンツェに住んでピアニストとして活動している娘さんが偶然に僕のブログを見て両親に知らせたそうだ。

 五月女さんはネットをいじらない。奥さんが僕にメールをくれて「なつかしくて感動しています」と。メールで返事を送ったので、間もなく電話がかかってくるだろう。

★『裸の女房』(彩流社刊・定価2100円)に詳しく載っています。アマゾンに申し込むか、書店で取り寄せてもらって、ぜひ、お読みください。

Photo


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2009年12月20日 (日)

無残!切り倒された桜の老木!

 桜の木の「染井吉野」の樹齢は、人間と同じくらいで7、80年ぐらいだそうだ。我が家のすぐそばに緑道があって、再生した下水の水を流して小川のようになっている。その両側には桜の木が植えられていて、春ともなるとお花見で大変な人手でにぎわっている。

 環状7号線の通りから、淡島の東急のバスの車庫のあるところまで、何百本という桜の木が植えられているが、そのルーツを知っている人は少ない。

 僕が生まれたのは昭和7年の3月19日で、青山の隠田(おんでん)というところだそうだが、生まれて百日目ぐらいに代沢の地に越して来たようだ。

 その頃の父が撮った写真には、桜並木が植えられたばかりで、倒れないようにくいで支えられている。僕が今年で77歳だから80年ぐらいの樹齢と考えられる。

 この桜の木を寄付した人は、鎌倉通りに面した豪邸に住んでいた松崎さんという方で、昭和の初期に建売住宅で財を成した人で、鎌倉橋のたもとに記念の石柱が建っていた。それが倒されって川の中に投げ込まれていた光景が、僕のまなこに焼き付いている。

 松崎さんの豪邸は、戦後、何人かの手に渡って、今ではマンションに変わってしまった。

 桜の木も寿命がきているものもあって、区の土木課では、切り倒して新しい苗木に植え替えている。

 木に空洞ができているものもあって、風で倒れたりして、けが人でもでたら大変だということで、何本も無残にも切り倒されてしまった。

 77歳の僕も、桜の木と同じような運命にあるので、切り倒された桜の木を見ると、自分の首を切られたような気持ちになってくる。

 まだまだ桜の木も、春になれば花を咲かせ人々を楽しませてくれるだろうに。どん底に落ちた僕だって桜の老木に負けないように、もう一花もふた花も咲かせようと頑張っているのに。

 あちこちにある切り倒された桜の老木の切り株を見て、心ある人は嘆いているに違いないのだ。

 この緑道をボランティアで草を抜いたり、花を植えたり、掃除もしている「代田川緑道保存の会」の会長の林清孝さんに話を聞いたら、今年、区で桜の木を若木に植え替える予算がとれているので老木を切り倒しているのだそうだ。1本植え替えるのに35万円かかるというが、まだまだ5年や10年は生きられる桜の木を切り倒す必要があるのだろうか。

 お役所はなんでもかんでも、年度内に予算を使い切らないといけないようで、予算をとっておくということをしない。

 お役所の犠牲になってしまった桜の老木たち、怨んで化けて出てくるかもしれないぞ。

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2009年12月19日 (土)

挫折乗り越え出版した本が朝日に!

 今年の日本シリーズで優勝した巨人軍の阿部捕手がお立ち台の上で「最高で〜す!」と叫んだ、あの気持ちが僕にも当てはまる。

 1970年(昭和45年)の1月11日、33歳の若さで酸欠死してしまった先妻の舞踏家、ミカ(本名・君子)。あれから39年の長い年月が流れ過ぎている。

 マスコミに多くの話題を提供したミカが亡くなった時、週刊誌やスポーツ紙がその死を報道してくれた。

 それらを読まれた女流作家の丸川加世子さんが、ミカのことを小説にしたいという申し入れがあり、日記、写真、週刊誌などの切り抜き帖などをお貸しした。

 仙台の七夕祭りに行く超満員の夜汽車の中でのミカとの出会いから事故死するまでの15年間を何日もかかって話をした。

 1971年(昭和46年)の8月1日発行の『小説現代』(講談社刊)に、「被虐の舞踏家」というタイトルで掲載された。

 その後、1周忌も待たずに再婚し、日本初の同性愛誌『薔薇族』を創刊させたことで忙しさにまぎれて、丸川さんに資料をお貸ししていたことなど、すっかり忘れてしまっていた。

 しかし、ミカにとっては作品の芸術性よりも「裸」ということだけに、マスコミのスポットが当てられてしまったことを気にして、なぜ、裸で踊るのか、なぜ、性をテーマにした踊りを創作するのかということを世の中の人に訴えたかったに違いない。

 それができるのは僕しかと思うと、なんとしても本として残しておきたいという思いがつのるばかりだった。

 なんとすっかり忘れていた丸川さんにお貸ししていた資料が数年前に戻って来たではないか。まさにタイム・カプセルのふたを開けるような思いだった。

 しかし、それからが僕にとって、次から次へと多くの試練が待ち受けていた。『薔薇族』の廃刊、左膝の人工膝をつける手術。75年住み慣れた家と土地を信用金庫にとられての狭いマンションへの引っ越しと。

 6畳2間だけの狭いマンションでは、机に向かって原稿を書いているすぐそばに女房が座っている。

 女房の久美子が知らんぷりしてくれていなければ、この本は生まれなかった。世界大不況の中、ネットの出現で、今や出版界は苦境に追い込まれている。2社に断られ、やっと彩流社が出版を引き受けてくれたが、初刷りはたったの2000部だ。

 6月に出版され、共同通信社文化部が、すぐさま僕の写真入りでインタビュー記事を全国の有力地方紙、30紙に配信してくれたというのに、ほとんど反響がなかったそうだ。

 朝日新聞社会部の小泉信一記者、10年ほど前に、初めて『薔薇族』を紹介してくれた人だ。小泉さんは人情に熱い人で、下町の売れない芸人などを記事にしたりしている。著書に『東京下町』(創森社刊)があり、最近、朝日新聞出版から『お〜い、寅さん』(本体900円)も出された。

 自ら志願して日本最北端の稚内におもむき、支局長を勤めるなどの変わり者だ。そこで記事にした高倉健の話を読んで、朝日新聞の社長さんが感動して小泉さんに電話をかけてきたそうだ。

 小泉さんは自分が書いた『裸の女房』の記事のゲラ刷りを読んで、涙を流したと電話をかけてくれた。短い文章の中に、全身全霊をこめて書く。心のこもったいい記事を書く記者は少ない。そんな小泉記者が記事にしてくれた僕は幸せ者だ。

 もう本は売れなくてもいい。朝日が記事にしてくれたということは大変なことなので、まさに「最高で〜す!」と叫びたいぐらいだった。。

 銀座のキャバレー「白いばら」での出版記念会、この不況のおりに、、大枚1万円の会費を払って集まってくれた多くの友人、知人たち。出席できないのにカンパしてくれた人たち。こうした僕を支援してくれる良き友人、知人たちがいる限り、いい仕事を残して多くの人たちの友情に報いたいと思っている。

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2009年12月18日 (金)

ちいさい秋みつけた

 誰もが口ずさむ、サトウハチロー作詞(1903〜1973)・中田喜直作曲(1923〜2000)の童謡だ。

 2009年12月5日(土)の朝日新聞に、この歌の誕生秘話が載っていた。

 「風変わりなハゼの木が1本、東京都文京区の礫川(れきせん)公園に立つ。中央の幹は切り株となり、周囲から5本の枝が天に伸びる。
 樹齢約80年のこの木は8年前まで、約2キロ離れた同区弥生の家の庭にあった。家の主だったのは詩人のサトウハチローだ。
 1955年の秋、ハチローは1階の書斎の床に敷いた万年床に寝そべったまま、西向きの窓を見上げた。目に映ったのは、夕日を浴びて深紅に染まる高さ8メートルのハゼの木の葉だ。この年の秋は寒気の訪れが早く、陽光に透けた葉の赤色が鮮やかだった。」

 ハチローはNHKの作詞の依頼で、「大人も子供も歌える叙情歌を書きたい」と考えていた。「全山紅葉の秋でなく、我が家の小さな庭に忍び寄る秋を書こう」とも思っていて、その時、このハゼを見て作詞したのが「ちいさい秋みつけた」だった。

 文化の日に13歳の伴久美子の声でラジオに流れた。放送は1回きりで歌はそのまま忘れられていた。

 だがラジオを聞いて「背筋に電流が走った」ほど感激した人が、キングレコードのディレクターだった長田暁二さん(79)だ。

 ところがハチローはコロムビアの専属、ハチローがフリーになるのを7年も待って、62年にレコード化を持ちかけた。

 長田さんが手がけたボニージャックスが歌った「ちいさい秋みつけた」は、同年のレコード大賞童謡賞を受賞した。その後、長田さんは倍賞千恵子の「下町の太陽」もヒットさせている。

 昭和39年の秋頃だったろうか。この長田さんと僕とは駒沢大学での同期生で、僕は国文科で、長田さんは佛教学部だった。僕は文芸部の部長、長田さんは児童教育部の部長、わずかな予算だったが、いくつかの部で予算をふりわける会議は、夜遅くまで続いた。

 卒業後、キングレコードに入社した長田さんを訪ねて、文芸部の集会室みたいなとことに、歌手や作曲家、作詞家などが団らんしているとことへ良く行ったものだ。

 その頃、『ぼくどうして涙がでるの』を出版しようと思い立っていたときなので、序文をサトウハチローさんにと思い、長田さんに紹介を頼んだ。

 丁度、サトウさんの庭にハゼの木が深紅に染まっていた頃だ。東大裏のサトウさんの家に長田さんと一緒に訪ねて序文をお願いしようと思ったのに、長田さんとサトウさんは仕事の話ばかりして、僕が話を切り出すいとまがなかった。

 結局は詩人の竹内てるよさんに序文をお願いしてしまった。

 「こんど文学さんが出すこの本も、病気をする苦しみは、病んだことのない人にはわからないからといって序文を頼まれました。」と言って素晴らしい序文を書いてくれた。

 「文学さんのすることは、どんなことでも、一つの大きい愛につながっている場面があるのだという信念です。」とも書いてくれた。

 しかし、長田さんは僕の願いを聞いてくれて、僕が作詞して(藤井弘補作)、レコード化してくれた。歌は6人の女性コーラスグループの「ヴォーチェ・アンジェリカ」が歌ってくれた。

 日活で映画化されたとき、タイトルの文字は僕の字で、歌も流れていい気分だった。

 昭和40年の秋の芸術参加作品で、この映画のビデオが出て来たので、「高円寺NOHOHON」で、26日9の3時から見る会を開くので、特に女性の参加を待っている。ネットで「高円寺NOHOHON」を検索して場所を見つけてください。

Photo吹き込み中の長田さん。


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2009年12月16日 (水)

いつの世も庶民税金で苦しがり

 僕の父は美しい文字を書く人だった。僕は母親似なのか、文字を書くのは苦手だ。自ら鉄筆を使って、謄写版で小冊子を作っていた。

 昭和52年(1977年)4月27日発行とある『川柳から見た、税の戦後30年史』がみつかった。父の肩書きは、日本川柳協会常任理事・番傘川柳本社同人で、ペンネームは柳涯子と号していた。晩年は川柳家として活躍し、草津のハンセン病の患者たちにも、ボランティアで川柳を指導していた。

 あとがきにこんなことを記している。
「川柳というものは、今から二百年ちょっと前に、江戸の浅草に起こったもので、今日では関東より、関西から九州の方で盛んであります。
 風刺とか、ユーモアとか、うがちといったものが主となった、俳句の弟分に当たる短い17文音字の文芸であります。
 税と税務署に関する句を並べて、戦後30年の歴史を辿ってみましたが、川柳って面白いなとおわかり頂ければ幸いです。
 私は世の中を明るく、かつ楽しくするために川柳を作り、川柳を広める努力をいたしております。」とある。
 
 古希近くしてマイホームやっと建ち

 美術館を造ってしまった、僕の道楽で父がやっとの思いで建てた家も土地も失ってしまった。その上、右から左に素通りして、信金にとられてしまったというのに固定資産税がどかっとかかってきて苦しんでいる。

 しかし、税務署は悪代官のような信金と違って、しぼりとろうとはしない。払う意思があって、少しずつでも払っていれば無理なことは言わない。

 「昭和25年、シャウプ勧告(アメリカからの勧告だろう)によって税制改正、厳しい税金に怨嗟の声起こる。税金苦から一家心中を図る者あり。中小企業の倒産続出。)と父は解説している。

 死ぬものは死ねと税金取りたてる(笑草)

 税務署の方へ人魂今日も飛び(桟司)

 税務署の方かと親父火事を聞き(種太郎)

 こんな時代を会社の経営者や商店の親父さんたちは、逞しく生き抜いて来たということだ。今時税務署の差し押さえも強引ではないようだが、この時代、差し押さえのトラックが街中を走っていたようだ。

 引越しのように積んでいる差押え(夜潮)

 差押えされて病人飛び起きる(梅隠居)

 投票をした内閣の税で死に(柳葉女)

 微税書生かしておかぬように来る(日の丸)

 税金を飲んで税金忘れよう(圭佑)

 僕は煙草を吸わないからいいようなものの、煙草の税金をあげようとしている。煙草を吸う人ってやめられるわけがないから、今に戦後のようにモクひろいでもすることになるかも。父の句にこんなのがある。

 税務署の敷居だんだん低くなり(柳涯子)

 父は税金を払うのが好きで、僕には給料をくれないくせに、税務署はいい顔をしていたようだ。僕の即挙の句。

 税務署親切すぎて気味悪い(文学)

 Photo父と僕と写っているのは、この写真だけ。


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2009年12月15日 (火)

『ぼくどうして涙がでるの』が45年ぶりにまた新書版になる!

 僕の末の妹、紀子(みちこ)が、二度目の心臓手術の甲斐なく亡くなったのは、昭和48年12月20日(1973年)、享年32歳だった。

 翌日の朝日新聞の社会面のトップに、10段抜きで「死の宣告から11年・愛の生きて・『限りある日を愛に生きて』の草薙さん死ぬ・結婚、二児を産み、二度の心臓手術むなし」の見出しで取り上げられた。

 一庶民の死が朝日新聞の社会面のトップに取り上げられることは異例なことだ。その下段には、関西の大物女優、浪花千栄子さん死去と報じられている。

 昭和40年1月(1965年)僕と妹の共著で出版した『ぼくどうして涙がでるの』が話題になり、日活で十朱幸代、佐藤英夫主演で昭和40年度の芸術祭参加作品として映画化された。

 その頃は、S学会の折伏活動がすごかった時代で、病気で悩んでいる人たちを信仰に引き込もうと、我が家を訪ねてくる人が多かった。僕も信者の会合に連れて行かれ、我が家は曹洞宗だと言ったら、さんざん禅宗の悪口を言われてしまった。

 浪花千栄子さんも信仰にこっていて、お誘いを受けたこともある。『ぼくどうして涙がでるの』の試写会を見に来られた、代議士の松谷天光光さんのお宅にお邪魔したこともあった。ご主人は厚生大臣を勤められた方だったが、九州の方で地元の名水を飲むと心臓病に良く効くとすすめられていただいたことがあり、あきれかえってしまったことがある。

 いろんな宗教の人に誘われたが、病気をしたりして弱気になっている人の心の中に入り込もうとするのは許せない。

 僕は、まったくの無宗教で、神とか霊などを信じない。長いこと妹が東京女子医大の心臓病棟に入院していたので、多くの心臓病の人たちと知り合うことができた。

 人間、心臓が停止すれば、その時が死だ。

 今から45年も前のことで、、日本で心臓手術が行われるようになってから、そう時間が経っていない頃だったから、医療器具もそれほど進歩していなかったのだろう。手術後、亡くなる患者が多かった。

 前の日に会って、次の日に病室に行ったら名札がつけかえられ、新しい患者さんが寝ていたなんていうことが度々あった。

 そんなことが度重なって死というものに達観してしまったようだ。先妻の舞踏家、ミカが風呂桶の中で酸欠でこと切れていても、「ああ、死んでしまった」と思っただけだ。父や母が死んでも涙を流すということはなかった。

 それだけに生きている今を大切にと思い続けている。どんな電話がかかってきても、がちゃっと切ってしまうようなことはしない。できるだけ誠実に答えるようにしている。

 初めて出会って人でも、お茶をおごったり、食事をしたりしている。『薔薇族』の読者はやっとの思いで電話をかけてくる人だし、訪ねてくるのも勇気がいることなので、できるだけ親切に応対するようの心がけてきた。

 妹が長い間、心臓病棟に入院していたので、様々な人たちに出会い、広く世間に目を向けるようになってきた。それが『薔薇族』の誕生につながっていったというわけだ。

 45年も前に出版した『ぼくどうして涙がでるの』を新書版にして出したいという、ある出版社から依頼があった。本当にしばらくぶりに読み返してみたら、自分で言うのもおかしいが感動させられてしまった。

 この時代の患者たちが、みんな助け合って病気と闘っている姿は胸を打つ。妹の日記もすさまじいものだった。今の時代に生きている人たちが失ってしまったものが、この時代にはあった。早く本になってもらいたいものだ。

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