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2010年5月16日 (日)

『バイロス挿絵展』に寄せて

 19年前、1991年(平成3年)3月15日発行の『アール・ヌーボー・アール・デコ』(第5集・読売新聞社刊)に、神戸に住んでおられた世紀末の美術研究家、山本芳樹さんが、「侯爵フランツ・フォン・バイロス」のタイトルで作品を紹介されていた。

 偶然にも同じ雑誌に、僕がその頃コレクションしていたパリの抒情画家、ルイ・イカールのことを「イカール追想=人との出会い、モノとの出会い」と題して原稿を寄せている。

 蔵書票(エクスリブリス)にも関心を持ちはじめていた頃で、蔵書票の最高の画家であるバイロスのことを知りたかったので、編集者の小川利夫さんに山本さんの電話番号を聞いて連絡を取ることができた。

 上京された山本さんと、赤坂のホテルで出会ってからは、急速に親しくなり、何度も神戸にもお邪魔した。それからというものの、バイロスの作品のコレクションにも夢中になってしまった。

 バイロスは、日本では同じ時代の画家、ビアズレーは有名だが、バイロスの知名度は無きに等しかった。

 1979年4月、神戸の奢 都館から出版された『バイロス画集』が、同年10月、神奈川県警から猥褻図画の疑いで摘発(発禁)押収されてしまった。

 刊行者の広政かほる、編集・翻訳者、故生田耕作(京大名誉教授・当時は京大教授)資料提供者、山本芳樹の3名は取り調べを受け、広政氏に至っては逮捕されて、横浜の警察署に3日間、留置までされた。

 この事件は、横浜在住のサラリーマンが会社の帰りに寄った、東京駅八重洲の書店で、『バイロス画集』を手に取り、陰部が描かれているのを見て、これはけしからんと神奈川県警に訴え出た。

 県警では、神奈川の美術館の学芸員に、、バイロスのことを問い合わせたが、誰もバイロスのことを知らなかった。美術史には載っていない画家だから、当時としては仕方が無いことだった。

 この事件がマスコミによって、大きく報道されたことで、バイロスの存在を世間に広く知らしめるという皮肉な結果になってしまった。

 関西の知識人が、こぞって警察に抗議したので、1980年、横浜地検は〝起訴猶予〟と決定せざるを得なかった。

 当時の新聞論調は「日本の官憲は、70年前の〝道徳心〟でバイロスをとがめている」と揶揄した。

 今回の『バイロス挿絵展=背徳のシンホニー』、銀座「ヴァニラ画廊」での展示は、世界でも珍しい、これを見逃したら二度と見ることができない画期的な催しと言えよう。

 おそらくバイロスの水彩画の原画を持っている人はいないと思われる貴重な作品も展示される。

 初めてバイロスの作品に触れた人は、とりこになることは間違いない。山本芳樹さんもすでにこの世にいないが、きっと天国で喜ばれているに違いない。

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