ストライキの戦場が、居酒屋に!
女房の古里、弥彦村の倉庫を片付けに行って、山のように積まれた段ボールをひとつひとつ開けて、必要なものだけを選び出す仕事は容易なことではない。
なにしろ75年も住み慣れた家を明け渡したのだから、時間もなく、なにもかも選んでいることができず、トラックで運び込んでしまったからだ。
僕が自分の目で確かめながらの仕事だから、段ボールの箱をきりくずすのは、2、3日、泊まってのことでは、はかどるわけがない。
そのひとつの段ボールの中から、こんなものを見つけ出した。昭和34年9月2日発行(1959年)今から51年前のものだ。
昨年、出版した先妻の舞踏家、伊藤ミカとの出会いから事故死するまでの15年間を描いた『裸の女房』(彩流社)に使わせてもらった、若き日の写真は、すべて当時、主婦と生活社のカメラマンだった橋本信一郎さん(現在は古里の熊本県で娘さんと一緒に暮らしている)が撮影してくれたものだ。
橋本さんとは永福町にあった朝顔園で、夏休みにずっとアルバイトで働いていたときに、写真大学の学生だった橋本さんが花の写真を撮りにきて知り合った。
ミカと出会った夜汽車の中でも同行してくれたのは橋本さんだった。橋本さんは写真大学を卒業してから写真雑誌を発行している出版社に勤め、その後、主婦と生活社のカメラマンになった。
段ボールの中から見つけ出した雑誌のようなものは、『ざ・くら・ばんーーわれわれはかく闘う』主婦と生活労働組合「闘争200日特集」だ。
橋本さんは、組合員100人の中のひとりで、もうひとり竹内達さん(すでに亡くなっている)は、「週刊女性」に僕ら夫婦をモデルに使ってくれたり、初めて記事を書かせてくれた忘れられない方だ。
今の若者たちは、働くもののストライキの光景を目にすることはないが、都内のあちこちで赤旗がひるがえり、資本家と労働者はすさまじい対決をしていた。
『主婦と生活』『週刊女性』を買わないで下さいと組合側は訴える。
「闘争200日。ロックアウト、暴力殴り込み、官憲の弾圧をひとつひとつはね返された会社が、今はただ一つ頼りにしているスト破り雑誌。文化人の執筆中止を受け、売れ行きが定価し、卑劣な非組合員とスキャップ共によって必死の発行を続ける、この会社の最後の脉膊に、私たちはいま集中攻撃を加えつつあります。ストを長引かせ組合崩壊の幻想を会社に抱かせる拠り所となっている、この雑誌の息の根を止めねばならないのです。(後略)」
当時の『主婦と生活』と『週刊女性』は、かなりの売れ行きだった。会社側は編集部をどこかに移して、組合側が「買わないでください」と都内のあちこちにビラ配りをしたり、チラシを巻いたりしたが、結果的には一号も雑誌の発行を止めることはできなかった。
水道橋にある『主婦と生活社』の建物に組合員を入れさせないので、縄梯子をかけて3階まで上り下りしていた。
資産家と労働者との対決。その憎しみもすさまじいいものがあり、この雑誌を読むと、当時の光景が思い出される。
僕も橋本さんと一緒にビラ配りをして、あっちこっちと駆け回ったこともあった。
まさかネットの出現で、『主婦と生活』は廃刊になり、『週刊女性』も部数を落としているとは世の中、変わってしまったものだ。そして、その建物が居酒屋になっているとは。
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