服役者よりもひどい生活を!
調べなければならないころがあって、祖父、伊藤富士雄の廃娼運動の働きが書かれている沖野岩三郎著『娼妓解放哀話』(中央公論社刊・昭和5年6月発行)を読み直してみた。
祖父、富士雄は大正12年に53歳で病気で亡くなっているが、この本は沖野さんが直接、祖父から話を聞き出して書いたものだ。
森田一朗編による写真集『遊廓』(筑摩書房刊)に、こんなことが書かれている。
「不思議なことに明治、大正、昭和を通してみて、遊廓内の写真は極めて少ない。生活の匂いのするものは皆無に等しい。写真撮影されることを拒んでいたのではないだろうか」と。
何にも悪いことをしたわけもないのに、ただ生活が貧しいがために親にお金で売られてしまった。その廓の中での生活は悲惨なものだった。
小学校もろくに出ていないような無学な女たちだから、樓主の言うままに地獄のような生活を強いられていたのだ。
世間の人たちも廓の中でのことを全く知らされていないから、花魁道中のような派手なものだけを想像していたに違いない。
今の北朝鮮の人民の暮らしみたいなものかもしれない。
祖父はユーモアのあった人のようだ。僕の親父もその血を受け継いだのか、川柳作家として作品を残しているが、僕まではその血はつながらないようだ。
どんなに娼婦が辛い生活を強いられていたかということを、罪を犯して刑務所に服役中の服役者と比較している。
1.服役者は柿色の服を着せられるが、それが借金にはならない。夏、冬に対応した服を与えられるが、娼婦はじゅばんの果てまで高利の借金をしなければ着ることができない。
2.服役者は三度食事を与えられるが、娼婦は1日2食で、昼夜働かねばならない。
3.服役者は部屋を無料で与えられるが、娼婦は部屋代を遊客から払ってもらわなければ部屋にも入れない。
4.服役者は決まった時間に、夜は静かに眠ることができるが、娼婦は夜分、安眠の時間もなく祝日には平素の数倍働かねばならない。
5.18人の妊娠した娼婦は、みな8ヶ月まで稼がせられているが、服役者は妊娠した女性に対し、自動車に乗せず人力車で静かに裁判所に通わせられている。
6.服役者は逃亡しても柿色の衣服横領の罪には問うまい。しかし、娼婦は廃業して廓の外に出るときは、その着衣は全て樓主に奪われる。もし、羽織など着て出るときは衣服横領の訴えを受ける。
7.服役者は刑務所内での精勤次第で刑期の3分の2で仮出獄を許されるが、娼婦には、この待遇法がないばかりか、働いても、働いても借金は増えるばかり。
8.服役者は刑務所内で働けば、少なくとも5、60円の金を得ることができるが、娼婦にはそんな望みは全くない。
祖父の、服役者と娼婦との比較は、説得力がある。相手を傷つけたわけでなく、ましてや人を殺したわけでもない。貧しさ故に本人の意思を無視して親に売られてしまった女たちだ。
祖父、富士雄は、体を張って、これらの女たちを自由な身にするために働き、1000人近い女たちを救い出したのだ。
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コメント
furiconnde
投稿: ha | 2014年2月 3日 (月) 19時20分