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2010年9月

2010年9月29日 (水)

美輪明宏さんの男と寝た数は?

 昭和49年発行の「面白半分」(5月臨時増刊号)が出てきた。編集長は佐藤嘉尚さんという方だ。特集・大対談とあって、いろんな人が対談をしていて、その中に美輪明宏さんと小中陽太郎さんの対談「男と女の岸で」が目にとまった。

 小中陽太郎さんは昭和9年生まれ。東大仏文科卒でNHKに入社、昭和39年に退社して、雑誌のコラムやルポタージュ執筆の傍ら、ベ平連の活動に参画とある。

 美輪明宏さんは昭和10年生まれ。僕が昭和7年生まれで78歳だから75歳になる。あの若々しさはオバケとしかいいようがない。いくつになるまで歌い続けるのだろうか。

 小中さんと美輪さん、こんなことをしゃべっている。

 小中 僕は大学生のとき、よく「銀巴里」(銀座にあったシャンソン喫茶で今はない)へ行ったの。28、9年ごろ。あのころは週刊誌で美輪さんが女便所に行くっていうんで大変だった。

 美輪 ところがね、あそこは男も女も同じなのよ。小さいから。あれはまだ週刊誌ブームになる前で「週刊新潮」にバッチリ書かれちゃったの。今でも覚えている。よく調べもしないで、この馬鹿がと思って...(笑)。

 小中 美輪さんは、そのころシルクのフアフアしたのを着ていて...

 美輪 そうなの。まだ、芸能人がホモを隠していたころ。なぜあんな格好をしたかっていうと、当時はまだホモが社会に認められていなくて、新宿の「夜曲」(ゲイバー)なんかに入るのに大の男が辺りを見回さなきゃならなかったの。
 見つかると会社をクビになったりして。それで、これじゃいけないと思った。だって男も女も同じ人間でしょ。異性を愛しても同性を愛しても悪いことをしているわけじゃなし、別にどうってことないと思うのよ。だから、これはひとつ世の中へ出さなきゃいけないと思って。あの格好で出て、「ええ、どうせホモでございますよ。わたしの恋人だけで6大学の野球ができるくらい」といっていたら、取材に来た記者が口あんぐりよ(笑)。そうしたら次々と同じようなのが表に出てきて、ゲイバーに行ったからって、会社をクビにならなくなったの。まあ、ひとつの目的が達せられたわけ。

 小中 美輪さんは女とは一度もやったことないの。

 美輪 ない。まるっきりきれいなからだですよ。マリア様よ。これは一生、通そうと思っているの。だって約2000人の男と付き合ってきて、それこそ、その人たちへの冒涜ですよ。

 小中 2000人っていうと、いろんな人がいるでしょう。

 美輪 ええ、焼き芋屋さん、大学教授から、経済屋さん、政治屋さん、いろいろ。

 小中 それは書いておくの?

 美輪 忘れちゃうのよ、わたし。

 小中 それじゃ、2000人って数字はどこから出てきたの?

 美輪 ある日、そばにずっといてくれた連中と数えたことがあるのよ。そうしたら300何人まではその子が覚えていたのよ。わたしより。でも、とにかく数えきれないのよ。それで、1年365日で、毎日やるわけでもなし。毎回、相手が違うわけでもないし、おおざっぱにどんぶり勘定で数えると2000人以上ってことになっちゃったのよ(笑)。

 小中 どんぶり勘定はよかったね(笑)。

 随分前の話だから、美輪さんが男と寝た数は、今では1万人を越しているのでは。いつまでも元気で歌い続けてほしいものだ。

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2010年9月23日 (木)

同じ年齢の人が亡くなるのは辛い...

 クレイジー・キャッツの谷啓さんが9月11日、午前5時7分、脳挫傷のため東京都内の病院で死去した。

 谷さんは、10日午後6時前、東京三鷹市の自宅で階段を上る際につまずいて転倒し、顔面を強打して、近くの病院に運ばれていたという。

 谷啓さん、テレビで楽しませてもらっただけのことだが、僕と同じ年齢の78歳、それに転倒して顔面を強打したことが原因の死であるということ、ショックだった。

 忘れもしない、下北沢の茶沢通りに面したマンションの一室を保証協会にとられ、越してきた代沢3丁目のマンションでの初日のことだ。

 玄関を表に出たとたん、すべって前のめりに転倒してしまった。週に2回、共有の場所を掃除にくる業者がいて、玄関先のタイルの部分に水を撒いていた。底がつるつるにすり減っている履き古しのサンダルで出たのもいけなかった。一瞬の出来事だ。注意するしないなんて言っているひまもない。

 ぺたっと這いつくばってしまったのに、顔も打たないし、人口膝を入れている左膝もそれほど痛くはない。すぐに立ち上がることができた。

 東京医大での膝を手術してくれた正岡先生の診察でも異常なしということだった。

 永六輔さんも、転んで顔面をけがしたり、肋骨を折ったというのに、僕の場合、運が良かったとしか言いようがない。

 それにしても同じ年齢の人が亡くなったという話は、あまりいい気持ちではない。若ぶってはいるが、身体の衰えは感じている。昨日、二科展の最終日、六本木の国立新美術館に新潟の三浦梨加さんが、作品を展示しているので見に行ってきた。

 ガラス張りの巨大な建物で、絵画、彫刻、写真、、デザインと、ところ狭しと展示されていて、とっても全部を見るなんて言うことは、肉体的にできるものではなかった。

 三浦さんの作品だけは、探し当てて見ては来たが、こんなに画家がいることも驚きだ。9月15日から27日まで、友人の池田茂雄君が、行動展に作品を出しているので、これも見に行かねばならない。

 この他にも絵画の団体は数多くある。この中で、絵画を売って生活が成り立っている人はどのくらいいるのだろうか。

 下北沢の画材屋さんのご主人が、絵の具が全く売れないとこぼしている。こんなに大きな絵を書いても日本の家屋では飾るところはない。ずらっと並んでいる作品のうち、売れる作品があるのかと心配になってくる。

 年に一度の展覧会だから、目立たなければいけないから、大きな作品ばかりになる。小さくたっていい絵はある、かえって小さい絵を展示したら、目立つのでは。

 二科展に入選できない画家もたくさんいるのだから、大変な世界だ。何の世界でも一歩先んじるということは運もあるのかも。

 この年になって、何となく先が見えてきている。残された年月をどう生きればいいのか。

 駒澤大学の名誉教授の田上太秀さんが、東京新聞に佛教談話として、いいことを書かれている。

 「釈迦は神を信仰しなくても、人は本当の安らぎを得られる道を教えた人である」

 キリスト教とイスラム教が争ってコーランを焼くとかで大騒ぎしていた。宗教って恐ろしい。神にはなれないが、ブッダにはなれるという釈迦の教えが正しいのでは。

 まだまだ頑張っていい仕事を残したいものだ。

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2010年9月22日 (水)

ドイツの少年たちが下北沢に!

 講談社発行「昭和二万日の全記録」(平成元年2月発行・全19巻)の昭和13年〜15年を見ると、「ヒトラー・ユーゲント来日=日本の青少年団統合に一石」の見出しがある。

 ドイツの独裁者、ヒトラーの名前を知らない人はいないだろうが、日本は昭和11年11月に日独防共協定を結んでいる。

 「昭和13年8月16日、横浜に入港したナチ党公認のドイツの青少年組織、ヒトラー・ユーゲントの一行30人は翌日、午後零時半、グナイゼウナ号から上陸した。
 横浜港で歓迎を受けた一行は、その日、列車で東京に向かい、小橋一太東京市長、竹下勇大日本海洋少年団連盟総長、鈴木孝雄帝国少年団協会理事長、二荒芳徳大日本少年団連盟理事長、オット駐日独大使らの待ち受ける到着ホームに着いた。
 ヒトラー・ユーゲントは、この日以来、11月12日に神戸港から帰国するまでの90日間、日本に滞在し、各地を巡遊して交歓会を開いた。
 ユーゲントの来日は、11年11月に結ばれた日独防共協定に付随した文化交流の一環だった。
 ヒトラー・ユーゲントは、1922年(大正11年)、ヒトラーが提唱したナチ党青少年運動に端を発し、1926年(大正15年)、ナチ党公認の唯一の青少年組織とされた。
 15〜18歳の青少年からなり、10〜14歳までは少国民隊(ユングフォルク)として組織され、ユーゲントへの準備訓練を受けた。
 1936年(昭和11年)には、ヒトラー・ユーゲント法が成立して、全ての青少年の参加が義務づけられ、1939年には、10〜18歳までの青少年800万人が組織された。
 ユーゲントではナチズムの教育が徹底して行われ、軍事訓練、集団スポーツ、野外訓練、労働奉仕が課せられた。
 来日したユーゲントは、その軍隊式の規律と統制された行動、スマートな制服で強い印象を与えた。」

 ユーゲントは、日本の青少年の一つの目標とされた。昭和6年生まれの作家、山中ひさしさんは「ヒトラー・ユーゲントは、栄養になるものなら、一滴のスープも残さないし、ひとかけらのビスケットも残さない。われわれは、それを見習うべきである」(ボクラ少国民)と教育された経験を記している。

 そのヒトラー・ユーゲントの一行が、なんと下北沢を訪れたという記録が残されている。なんで下北沢を訪れたのかはわからないが、駅前の商店街で歓迎され、整列している写真を見たことがある。

 僕も中学1年生のとき、軍事教練を受けたことがある。それは厳しいものだった。今どきの若者は、全く強制されて訓練を受けることなどまったくない。嫌なら学校に行かなくてもいい。

 何をするのも個人の自由で行動できる。どっちがいいのかは、自分で考えるしかない。

 戦前にドイツのナチスが宣伝用に作られたものだろう。手のひらに入ってしまうぐらい小さな写真集を、僕は2冊持っている。

 ヒトラーという人は、子供が好きだったのだろう。子供たちに囲まれたヒトラーは、にこにこしている。なんでこんなものを僕は買ってしまったのか。どこで買ったのかは全く記憶にないが値段が小さく書いてあった。

 1冊1万数千円、7、80年も前に作られた豆本だから、決して高いとはいえないだろうが...。

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2010年9月20日 (月)

セピア色の古びた写真

 小杉敏雄君(子供の頃は、としちゃんと呼んでいた)は、代沢小学校時代の同級生だが、男子のクラスが2クラスあったので、一緒になったことはない。

 昭和7年から住んでいたわが家(芝信用金庫にとられてしまったが)の筋向かいに、としちゃんの家はあった。

 としちゃんは親父の家業を継いで、大工さんで、親父さんもおじいさんも大工さんだった。

 まだ家をとられる前のことだが、としちゃんの家の前を通ったら、古びた写真の束を焼こうとしているところに出くわしてしまった。

 セピア色の古びた写真は、おじいさんの時代のもので、大正時代か昭和の始めの頃のものらしい。あわてて僕は焼くのをやめさせて、その写真の束を貰い受けた。

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 9月1週目の土曜、日曜は、僕が住んでいる町の北沢八幡宮のお祭りだ。その中の1枚は、北沢八幡宮が建てられたとき、建て前のお祝いで、関係者が晴れ着で屋根の上にまでずらっと並んでいる写真だ。

 現在の建物は、鉄筋コンクリート造りなので、その前に建てられたときのものだろう。おそらく大正時代か昭和初期のものと思われる。

 他にも建て前のときの写真があるが、家を新築するときって盛大にお祝いをしたようだ。

 北沢八幡宮のお隣に森巌寺というお寺がある。僕の息子や孫たちもお世話になった淡島幼稚園は、その境内の中にある。

 徳川のあおいの紋がつけられているから、徳川のゆかりのお寺なのだろう。徳川時代に植えられたと思われるイチョウの大木が2本そびえている。

 その門前に、僕の子供の頃には茶屋があった。明治時代からあったようで、としちゃんの家で経営していたようだ。としちゃんのお兄さんも大工さんだったが、お兄さんの嫁さんとは親しくさせてもらっていた。その嫁さんの話だと、当時、茶店で使っていた氷菓子を入れるガラスの器。僕もコレクションしていたことがあったが、かなり高価で貴重品だ。

 嫁さんの話だと、縁の下にそのガラスの器を埋めてあるということだった。家を建て替えるときに、ガラスの器が、続々出てくるのではと、僕は期待していた。

 としちゃんにも会うたびに、その話をしてあって、掘り出したらゆずってほしいとお願いしていた。

 お兄さんの嫁さん、お兄さんよりも10歳ぐらい年上の女性だったので、すでにかなりの年齢だ。ボケはじめてもいたようだ。

 としちゃんの家は、昭和のはじめ頃、建てられた平屋で、かなり老朽化していた。としちゃんの息子たちも成人してきたので、いよいよ建てかえられることになった。

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 僕は期待に胸を躍らせていたが、土台作りをして掘り起こしても、何にも出てはこなかった。

 この前、しばらくぶりにとしちゃんの家の前にさしかかったら、としちゃんが多摩川に釣りに行っての帰りだった。

 あゆを何匹か持たせてくれた。青っ鼻をいつもたらして、それを洋服の袖口でふくものだから、こべこべになっていたとしちゃん。

 もう近所にも子供の頃の友達って、みんな死んでしまっていない。八幡さまの祭礼の日、太鼓の音を聞くと、そわそわ、わくわくしたものだが、もう、そんな気持ちはなくなっている。いつの間にか年を取ってしまったということか。

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2010年9月17日 (金)

弥彦村で不思議な出会いが...

 女房の古里、新潟県弥彦村を訪れる時の楽しみが一つ増えた。弥彦山の麓の杉の大木の中に囲まれて建つ「レストラン・マジックディッシュ・森」である。丸木小屋だ。

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 弥彦山の木を切り出した材木を使っているわけではない。全てカナダから持ってきた丸太だ。

 12、3年ほど前、弥彦神社の門前にある旅館、「冥加屋」さんが、カナダから大工さんを3人ほど呼び寄せて何ヶ月もかけて作らせた。

 この「冥加屋」さんは、戦前からある古い旅館で、2階に上がる階段の踊り場の壁面に100号ぐらいの大きな油絵が飾られていた。

 少年が3人、ふんどし姿で海岸の砂浜に座って、カニと戯れている絵だ。少年愛の読者に喜ばれるのではと、この絵を写真に撮って『薔薇族』に載せたことがあった。

 戦時中、戦火を逃れて弥彦に滞在していた画家(お名前をどうしても思い出せない)が、お世話になったお礼にとこの絵を残していかれたそうだ。

 少年の姿が生々として可愛らしく、いい絵だったが、保存が悪かったのか、かなりひび割れていた。ふとこの絵のことを思い出したが、今はどうなっているだろうか。

 ここ、12、3年というと、日本の景気が落ち込むばかりで、僕がオープンさせた「ロマンの森美術館」も、昨年6月、閉館に追い込まれてしまった。

 この8月の孫の夏休みに、次男の運転で弥彦を訪れたおりに、この丸木小屋のレストランがどうなっているのかと気になったので、ちょっと横道に入って訪ねてみた。

 入り口に営業中の札が下がっていたので、扉を開けたら女の人が出てきた。「お茶だけでもいいのですか?」と聞いてみたら、「どうぞ!」ということで椅子に座った。

 ここを訪れるのは何年ぶりだろうか。オープンした頃は、「冥加屋」の息子さん夫婦が切り盛りしていたが、今は経営者が変わったそうだ。

 ひととき丸太で作った「ログハウス」が流行ったことがあった。木のぬくもりっていいものだ。何となく心が落ち着く。

 ご主人が出てきて、「伊藤さんですか?」と声をかけられてびっくり。さっきの女の人は奥様だそうで、ふたりでお店を任せられているそうだ。

 東京でデザイン会社に勤めていたが、ふたりで台湾に旅行したおりに、屋台の料理を食べてからコックになろうと思い立った。

 それから東京のレストランで修行をしてから、この弥彦に縁があってきたそうだ。翌日も昼のランチを食べに行き、僕の著書をプレゼントした。

 僕の長男と同じ、東京オリンピックの年に生まれたとか。「伊藤さんと出会ったこと、奇跡のような気がします」という。

 僕も通り過ぎてしまえば、会うことはなかったろうに、不思議な出会いだった。弥彦温泉も不景気のどん底で、今年になって4軒も旅館が店を閉めたようだ。

 地ビールが話題になって行列ができるほど賑わっていたお店も、「三條新聞」によると倒産したとか。

 何とかレストラン「マジック・ディッシュ・森」が長続きするように、弥彦に行くことがあったら立ち寄ってもらいたいものだ。きっといい思い出になることは間違いないから。

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2010年9月16日 (木)

サインのない、寺山修司君の原稿を発見!

 この夏、息子夫婦と小3の男の子の孫と女房と5人で女房の古里、新潟県弥彦村の別荘にしばらくぶりに息子の運転で行ってきた。

 ありがたいことに、ひざに人口ひざを入れる手術をしたおかげで、東京都から身体障害者手手帳を頂いている。

 「変形性関節症による左下肢機能障害4級」と記されていて、この手帳を持って自分名義のクルマで高速道路を走ると料金が半額になる。

 燕三条インターチェンジまでの料金は6500円なので、、その半額の3250円ですむ。自動車税も免除され、都バス、都営地下鉄は無料、タクシーは1割引だ。本当にありがたい話ではある。

 息子たちは海水浴に行ったり、釣りに行ったりのお遊びだが、僕は暑さの中を汗水流して積み上げられた段ボールの山をくずして、捨てるものと残すものを選り分けなければならない。

 75年も住んでいた家と土地だ。親父の代からの荷物で引っ越しを急がれていたので、選んでいる時間はなく、段ボールに積み込んでトラック何台もで運び込んだものだ。

 中にはお宝もあるので、いちいち確かめながら選り分けるのだから、なかなかはかどらない。

 『薔薇族』が50号を出した時に、寺山修司君が、「薔薇族50号によせる読者へのオマージュ。世界はおとうとのために」という詩を贈ってくれた。
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 この詩は、読者のためというより、日本のいや、世界中のゲイのために贈ってくれた詩といえるお宝だ。

 そのナマ原稿が二度も引っ越しをしたので、どこかにしまい込んでしまって、、どうしても見つからない。ずっと探し求めていたのだが。

 50号というと、1977年3月号だから、なんと33年も前のことになる。寺山修司君が41歳の時のことだ。年譜を読むと、この年には、西武劇場プロデュース「バルトークの中国の不思議な役人」を作・演出。映画「ボクサー」公開。スイス、オランダ、アムステルダムで「寺山修司写真展」開催とある。

 寺山君、まさに多才で、いろんなジャンルの仕事をこなし続けている。
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 京都大学の大学祭に呼ばれて行ったおりに寺山君に出会ったが、そのとき、すでに顔色が土色だった。1983年、47歳という若さで亡くなってしまった。この詩を寄せてくれた6年後のことだ。

 寺山君とは、そう何度も出会っていないが、古里の青森を18歳の時に高校を卒業、早稲田大学に入学した。

 「短歌研究」に応募した50首が編集長、中井英夫さん(この方はゲイの人だ)の目にとまり、特選になった。「チェホフ祭」(原題は父還せ)だ。

 その頃、僕も短歌を作ることに夢中で、仲間たちと「大学歌人会」を興し、僕の企画で「十代作品を批評する会」を共立女子大学で寺山君を招いて開いた。

 1954年12月11日のことだ。記念写真には、前列に寺山君と並んで目をつぶった僕が写っている。

 そんな因縁のあった寺山君。ナマ原稿を見つけることに執念を燃やしていた。それがなんと段ボールの山の中から見つけ出すことができたのだ。

 ちゃんと清書をして、原稿用紙のマス目いっぱいに濃い鉛筆で一字、一字、丁寧な文字で書いている。寺山修司と印刷された原稿用紙に書かれているが、なぜかサインがない。これは意識してサインしなかったと僕は彼の心の中を想像しているが...。

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2010年9月13日 (月)

ホモでない男でも、若い子にはチヤホヤ。

 刑務所の話が続くと、どうかなと思うけれど、22ページも使ってのインタビュー記事、これは貴重なものだ。『薔薇族』だからできたことで、刑務所の中での話など、語ってくれる人なんているものではないから。

 いよいよ刑務所の中での囚人同士のセックスの話を聞いてみた。

 ーー拘置所生活が1ヶ月で、府中刑務所に移され1年間いたわけですね。前のある人なんていうのは、医者でいえばカルテみたいなものがあるわけですか?

 ●ええ、あの世界では身分帳というんですよね。身分帳が残っているはずだから、前の身分帳で分類すれば、一番簡単だと思うけれど、またやるんですよ。
 東京拘置所で分類をして、それによって舎房がみな替わるわけです。雑居に入れるか、独居に入れるかを決める。独居というのは、一人で入る独房ということね。雑居というのは、だいたい8人から10人が一緒に入るところなんです。

 ーー自分はこういう人間だと言っちゃうわけですか?

 ●言っちゃうんです。そうすると当然、お前はカッパか、アンコかということになります。刑務所でいうカッパというのは、この世界でいえば、タチ、アンコというのはオネエということです。
 本当のことをいったら、雑居へ入れられちゃいますからね。身体に刺青か何か入っているのを見ると、ムラムラッとくるんですよね。もうこれで自動的に独居ですね。

 ーー26、27歳の人って少ないでしょう。

 ●少ないです。50人から70人ぐらいいる工場の中に、1人か、2人いるかです。

 ーーそういう若い子は大変ですね。狙われちゃう。

 ●ああいうところへ行ってみると、よくわかるんですけど、シャバでは絶対にホモでない人ね。本人が意識しているかどうかわからないけれど、26歳の坊やにはチヤホヤしますよ。

 ーーかわいがっちゃう。

 ●ええ、あらゆる面で。

 ーー不思議な感情ですね。

 ●我々が狙う目とは、また違いますけれど、でも、一種の同性愛的感情ではあると思います。

 ーー中でセックスするとかはできるんですか?

 ●やっぱりできますよ。

 ーーどうやってやるわけ?

 ●夏は難しいですよ。冬場ですと、とにかく布団をべったりとくっつけて寝ますでしょ。掛け布団は当然重なり合いますからね。

 ーー手を入れてもわからないですね。

 ●府中では、ちょっと規律が厳しいから手をあそこに伸ばすぐらいならできますが、尺八をやるとか、バックをやるだということはちょっと難しいんじゃないですか。よその刑務所ではありますよ。

 ーー刑務所って、全国にいくつぐらいあるんですか?

 ●県庁所在地には必ずあるんじゃないですか。面白いですよ。豚を飼っているところは豚とやるというから。トンシャというんですよ。

 ーービデオだと看守とデキちゃうなんてストーリーがあるけど、そういうことはあるんですか?

 ●看守に多いんですよ。

 ーー本当に多いんですよ。ある刑務所で若い看守とキスじゃないけど、あめ玉を口移しでもらってましたよ、私。かわいいんですね。当然出てからやりましたよ。関係を結びました。出てから。

 まだまだ話は、これから佳境に入るんだけど、刑務所の話はこのへんで。

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2010年9月12日 (日)

作りたいときだけに作る僕の詩

 心臓病で亡くなってしまった妹が、フジテレビで「テレビ結婚式」を挙げた時に読んだ詩。東京女子医大の心臓病棟に妹が入院していた時に出会った5歳の坊やとのふれあいも詩にした。

 最初の孫が1歳の誕生日に「おじいいさんの孫自慢」という写真展を開いた時に作った詩。

 新潟県の弥彦村の村長さんが亡くなった時、告別式の時に読み上げた詩は、多くの参列者を泣かせた。あとは大学生の時に、片想いの女性のことを詩にした甘ったるいもの。

 70年を越す人生の中で、何かあったときだけに作る詩。詩と言えるかどうかわからないが、作り続けていれば、もっといい詩が残せただろうが。

 この後は、この世におさらばする時に最後の傑作を残して死にたいと思っているが、その時にそんな気力があるかどうか。

 引っ越しで片付けていたら、8年前に孫の運動会の写真展を開いた時に、いくつかの詩らしきものも展示したが、その時のものが出てきた。偶然にも8月8日、2002年とある。その中のいくつかを紹介しよう。

 下北沢の南口の通りに、まだ数軒しかお店がなかった時のことだ。

 閉じたままの扉

 下北沢の南口、3、4軒しか店がなかったころ、いつも扉を閉めたままの「ロリガン」というバアがあった。

 大人しか入れない店だということは、子供心にも分かってはいたが、その中にどんな世界があるのかと、謎めいた扉の中を想像していた。

 昔の子供は、夜は外に出ないから、見ているのは昼間の閉じたままの扉

 大人になったら入ってみたい。神秘の扉を開いてみたい。そう、いつも、いつも思い続けて通り過ぎていただけの扉。

 それがいつの間にか、大人になってしまっが、その時には、もう「ロリガン」は消えていた。

 あの扉の向こうに、どんな世界があったのだろう。記憶の底に閉じたままの扉だけが、今も頭の片隅に残っている。

 女の匂いに

 「茶沢通り」じゃりだらけの道に、そんなしゃれた名前はついていない。その道に面して小さな床屋さんがあった。

 僕が中学生の頃だったろうか。その床屋さんには、目のぱっちりした小太りの若い女主人が、ひとりで髪を刈っていた。

 その目は、僕しかお客はいない。椅子に座って、髪を刈ってもらっていたが、すぐそばにいる女の匂いに、僕の体の底から突き上げてくるものがあった。息が荒くなってきた。

 抱きついてしまいたいとさえ思った。白い布がかけられていなかったら、どうなっていただろう。女主人の瞳もうるんでいたような。

 早く終わってほしい。そう思う反面、いつまでもこのままでいたいとも。

 それからというもの、女性だけの床屋さんには行ったことがない。

 78年も下北沢に住んでいるのだから、街の変わりようはめまぐるしいばかりだ。下北沢の駅前の北口に、人力車が何台も待っていた、のどかな光景を今の若い人には想像もできまい。

 今は、南口の商店街の方が活気があるが、昔は、北口の一番街がにぎやかだった。消えてしまったお店のことを思い出そうにも、思い出せないぐらいの変わりようだ。

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★新しく『薔薇族』を置いてくれる古本店・「ビビビ」が下北沢にあります。〒155-0031 東京都世田谷区北沢1-45-15 スズナリ横丁1F・北沢タウンホールの筋向いです。読者好みの古書が沢山置いてあります。電話03-3467-0085です。

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2010年9月 5日 (日)

お女郎さんは、囚人よりもひどい生活を!

 僕の祖父は、救世軍の軍人として、吉原などのお女郎さんを大正時代に1000人近い人を自由廃業させた闘士でした。
 
 この伊藤冨士雄さん、ユーモアのあった人だったようで、こんなことを書き残している。

 刑務所に収監されいる人たちは、何らかの法を犯している人たちだ。ところが吉原や洲崎などの廓で働かせられている女郎たちは、家が貧しいがために親に売られた女たちだ。

 人を傷つけたわけでもなく、ましてや人を殺したわけでもない。本人に何の罪もないのに貧しさ故に苦界にほうりこまれた女たちだ。貧しいが故に小学校すら出てない女も多く、廓の樓主の言うがままに、身体を売って働き続けている。

 祖父は女郎たちと囚人との生活を比較している。誰にでもこの非道さを理解できるだろう。

 1.懲役人(罪を犯した人)は柿色(当時の囚人服の色)のお仕着せが別段、借金にもならず、暑さ寒さに着せてもらえるのに、娼妓の着物は、下着の果てまで高利の借金をしなければ着ることができない。

 2.懲役人は四分六(白米と麦などを混ぜた割合)の食物ではあるが、1日に3度は頂けるが、娼妓は1日2食で、しかも昼夜働かねばならない。

 3.懲役人は堅固な一室を無料で拝借できるが、娼妓は部屋代を遊客から払ってもらえなければ、自分の座敷にも入ることができない。

 4.懲役人は夜分静かに眠ることができ、祝日には教誨師の教話を聞くことができるが、娼妓は夜分安眠の時間がなくて、祝日は平日の数倍働かなければならない。

 5.18人の妊娠した娼妓は、みんな8ヶ月まで稼がせられている。在監中、妊娠した女性は自動車にすら乗せず(揺れるので)、人力車で静かに裁判所に通わせている。

 6.在監中に逃走しても、48時間以内に逮捕されたときは、罰則の手心があるが、娼妓は自由廃業して真人間になりたいために、救世軍を訪問したとしても、7日の拘留処分を受けたものが数多くある。

 7.在監人は逃亡しても、柿色の囚人服の衣服横領の罪にはならない。娼妓は廃業して廓外に出るときは、その着衣をすべて樓主にとられてしまう。もし、羽織などを着て出るときは衣服横領の訴えを受ける。

 8.在監人は刑務所の中でも精勤次第で刑期の3分の2で、仮出獄を許されるが、娼妓には、この待遇法がないばかりか、働いても、働いても借金が増えるような仕組みになっている。

 9.在監人は、所内で5、6年働けば5、60円のお金をもらって出所できる。しかし、娼妓には、そんな望みはない。

 日本で売春防止法が全面施行され、売春業者に懲役10年以下、罰金30万円の罰則を規定されたのが昭和33年(1958年)4月のことだ。

 徳川時代から明治、大正、昭和と貧しいというだけで、奴隷以下の生活を強いられていたことを忘れてはいけない。

 安部譲二さん(ヤクザの世界から作家に転向)の「塀の中の懲りない面々」がベストセラーになり、映画にもなった時代。

 もう23年も前のことだが、『薔薇族』No.178、1987年11月号に入獄3回、計8年の獄中びっくり話をウリセン・マスターと22ページもついやして僕が対談している。よくもまあ、こんな話をしてくれたものだ。

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