美輪明宏さんの男と寝た数は?
昭和49年発行の「面白半分」(5月臨時増刊号)が出てきた。編集長は佐藤嘉尚さんという方だ。特集・大対談とあって、いろんな人が対談をしていて、その中に美輪明宏さんと小中陽太郎さんの対談「男と女の岸で」が目にとまった。
小中陽太郎さんは昭和9年生まれ。東大仏文科卒でNHKに入社、昭和39年に退社して、雑誌のコラムやルポタージュ執筆の傍ら、ベ平連の活動に参画とある。
美輪明宏さんは昭和10年生まれ。僕が昭和7年生まれで78歳だから75歳になる。あの若々しさはオバケとしかいいようがない。いくつになるまで歌い続けるのだろうか。
小中さんと美輪さん、こんなことをしゃべっている。
小中 僕は大学生のとき、よく「銀巴里」(銀座にあったシャンソン喫茶で今はない)へ行ったの。28、9年ごろ。あのころは週刊誌で美輪さんが女便所に行くっていうんで大変だった。
美輪 ところがね、あそこは男も女も同じなのよ。小さいから。あれはまだ週刊誌ブームになる前で「週刊新潮」にバッチリ書かれちゃったの。今でも覚えている。よく調べもしないで、この馬鹿がと思って...(笑)。
小中 美輪さんは、そのころシルクのフアフアしたのを着ていて...
美輪 そうなの。まだ、芸能人がホモを隠していたころ。なぜあんな格好をしたかっていうと、当時はまだホモが社会に認められていなくて、新宿の「夜曲」(ゲイバー)なんかに入るのに大の男が辺りを見回さなきゃならなかったの。
見つかると会社をクビになったりして。それで、これじゃいけないと思った。だって男も女も同じ人間でしょ。異性を愛しても同性を愛しても悪いことをしているわけじゃなし、別にどうってことないと思うのよ。だから、これはひとつ世の中へ出さなきゃいけないと思って。あの格好で出て、「ええ、どうせホモでございますよ。わたしの恋人だけで6大学の野球ができるくらい」といっていたら、取材に来た記者が口あんぐりよ(笑)。そうしたら次々と同じようなのが表に出てきて、ゲイバーに行ったからって、会社をクビにならなくなったの。まあ、ひとつの目的が達せられたわけ。
小中 美輪さんは女とは一度もやったことないの。
美輪 ない。まるっきりきれいなからだですよ。マリア様よ。これは一生、通そうと思っているの。だって約2000人の男と付き合ってきて、それこそ、その人たちへの冒涜ですよ。
小中 2000人っていうと、いろんな人がいるでしょう。
美輪 ええ、焼き芋屋さん、大学教授から、経済屋さん、政治屋さん、いろいろ。
小中 それは書いておくの?
美輪 忘れちゃうのよ、わたし。
小中 それじゃ、2000人って数字はどこから出てきたの?
美輪 ある日、そばにずっといてくれた連中と数えたことがあるのよ。そうしたら300何人まではその子が覚えていたのよ。わたしより。でも、とにかく数えきれないのよ。それで、1年365日で、毎日やるわけでもなし。毎回、相手が違うわけでもないし、おおざっぱにどんぶり勘定で数えると2000人以上ってことになっちゃったのよ(笑)。
小中 どんぶり勘定はよかったね(笑)。
随分前の話だから、美輪さんが男と寝た数は、今では1万人を越しているのでは。いつまでも元気で歌い続けてほしいものだ。
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