作りたいときだけに作る僕の詩
心臓病で亡くなってしまった妹が、フジテレビで「テレビ結婚式」を挙げた時に読んだ詩。東京女子医大の心臓病棟に妹が入院していた時に出会った5歳の坊やとのふれあいも詩にした。
最初の孫が1歳の誕生日に「おじいいさんの孫自慢」という写真展を開いた時に作った詩。
新潟県の弥彦村の村長さんが亡くなった時、告別式の時に読み上げた詩は、多くの参列者を泣かせた。あとは大学生の時に、片想いの女性のことを詩にした甘ったるいもの。
70年を越す人生の中で、何かあったときだけに作る詩。詩と言えるかどうかわからないが、作り続けていれば、もっといい詩が残せただろうが。
この後は、この世におさらばする時に最後の傑作を残して死にたいと思っているが、その時にそんな気力があるかどうか。
引っ越しで片付けていたら、8年前に孫の運動会の写真展を開いた時に、いくつかの詩らしきものも展示したが、その時のものが出てきた。偶然にも8月8日、2002年とある。その中のいくつかを紹介しよう。
下北沢の南口の通りに、まだ数軒しかお店がなかった時のことだ。
閉じたままの扉
下北沢の南口、3、4軒しか店がなかったころ、いつも扉を閉めたままの「ロリガン」というバアがあった。
大人しか入れない店だということは、子供心にも分かってはいたが、その中にどんな世界があるのかと、謎めいた扉の中を想像していた。
昔の子供は、夜は外に出ないから、見ているのは昼間の閉じたままの扉
大人になったら入ってみたい。神秘の扉を開いてみたい。そう、いつも、いつも思い続けて通り過ぎていただけの扉。
それがいつの間にか、大人になってしまっが、その時には、もう「ロリガン」は消えていた。
あの扉の向こうに、どんな世界があったのだろう。記憶の底に閉じたままの扉だけが、今も頭の片隅に残っている。
女の匂いに
「茶沢通り」じゃりだらけの道に、そんなしゃれた名前はついていない。その道に面して小さな床屋さんがあった。
僕が中学生の頃だったろうか。その床屋さんには、目のぱっちりした小太りの若い女主人が、ひとりで髪を刈っていた。
その目は、僕しかお客はいない。椅子に座って、髪を刈ってもらっていたが、すぐそばにいる女の匂いに、僕の体の底から突き上げてくるものがあった。息が荒くなってきた。
抱きついてしまいたいとさえ思った。白い布がかけられていなかったら、どうなっていただろう。女主人の瞳もうるんでいたような。
早く終わってほしい。そう思う反面、いつまでもこのままでいたいとも。
それからというもの、女性だけの床屋さんには行ったことがない。
78年も下北沢に住んでいるのだから、街の変わりようはめまぐるしいばかりだ。下北沢の駅前の北口に、人力車が何台も待っていた、のどかな光景を今の若い人には想像もできまい。
今は、南口の商店街の方が活気があるが、昔は、北口の一番街がにぎやかだった。消えてしまったお店のことを思い出そうにも、思い出せないぐらいの変わりようだ。
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コメント
はじめまして。
突然失礼ですが、もしかしたら『限りある日を愛に生きて』の紀子さんのお兄様でしょうか?
私の母が心臓病で、この本をこどものころから知っていました。
実さんとふたりのお子さんたちは、お元気でしょうか。
ちょうど今、本を読み返していたところで気になっていました。
失礼しました。
投稿: 詩音 | 2010年9月20日 (月) 20時51分