中国、上海から茉莉さんがファンが!ーー純喫茶「邪宗門」、いつまでも続いてほしいお店だ!ーー
明治の文豪、森鴎外の長女、森茉莉さんは1903年(明治36年)に生まれた。1951年(昭和26年)48歳の時に世田谷区下代田町(現在では代沢)の倉運荘アパートに越してきた。
1968年(昭和43年)頃から喫茶店「邪宗門」に通うようになる。1973年(昭和48年)70歳の時に、22年住み慣れた倉運荘アパートが老朽化したために、建て替えることになり、すぐ50メートルほど先のマンション代沢ハウスの2階に引っ越した。
1978年(昭和53年)75歳の時の4月に、渋谷西武劇場で美輪明宏さん演出の「枯葉の寝床」が上演されたが、そのパンフレットに嬉しさと期待を込めてエッセイを書いたが、その芝居を観て茉莉さんが描いていた主役の少年があまりにも違っていたので、途中で席を立って帰ってきてしまった。
それまでは美輪さんのことを賛美して書いていた茉莉さんは、がらっと変わって美輪さんの悪口を書きまくった。
その頃、第二書房から「夢みる女性のファンタスティックマガジン 薔薇の小部屋」を創刊した。「内藤ルネ企画特集 なつかしの少女雑誌」と題する夏の号には、森茉莉さんは「砂」という詩を寄せてくれている。そして、内藤ルネさんが挿絵を描いていてそれがなんともかわいらしい。
秋の号は、「特集/おもいでの少女小説 松本かつぢ画集」だが、茉莉さんは「秋によせてーー柿の色と柿色」と題してエッセイを寄せてくれている。
この2冊で廃刊になってしまったが、内藤ルネさんと先日亡くなった本間真夫さん(ペンネーム・藤田竜)さんが、企画編集した傑作といえよう。ところが今、2冊しか手許に残っていないが、古書店ですごい高値になっているようだ。茉莉さんの秋の号の自筆の原稿は見つけ出すことができて手許にある。
この2冊の雑誌のおかげで茉莉さんとすぐ近くに住んでいるので、代沢ハウスを訪ねて原稿執筆の依頼に伺った。「邪宗門」のご主人でさえ、部屋に入れてくらなかったのに、なぜか僕と通ずるものがあったのか、部屋に入れてくれて、初対面なのに何時間もおしゃべりしてしまった。
そのときのことは雑誌「ユリイカ」(青土社刊)の「森茉莉特集号」に原稿を寄せているので、図書館にでも行って見つけて読んでほしい。
コーヒー500円もする喫茶店は次々と姿を消している。「邪宗門」は自宅なので、家賃がかからないのでお客が減ってもなんとか人を使わずにマスターひとりで切り盛りしている。
マスターの作道さんは、森茉莉さんが、開店してから閉店するまで紅茶いっぱいしか注文しないでいても、イヤな顔ひとつしなかった。
冷房など学生の部屋になかった時代、近所に住む学生たちは、長時間本を読んだり勉強していても文句を言われたりしない。
森茉莉さんが終日、過ごしていた喫茶店ということで有名になり、森茉莉ファンが全国から訪れている。
先日は、なんと上海に住む女子学生が、森茉莉さんのファンで、ふたりでネットで場所を調べて訪ねてきて「邪宗門」でしかない、あんみつにコーヒーをかけてという珍しいメニューを食べて帰ったという。
僕も、500円出して毎日のようには「邪宗門」に通えないが、もやもやしたことがあると、うさばらしにマスターとおしゃべりに行っている。
マスターとおしゃべりしたり、初対面のお客さんに声をかけて仲良くなった人も何人もいる。ネットで探して、地図を見て、ぜひ行ってみてほしいお店だ。http://www.jashumon.com/index.htm(木曜日・定休)
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コメント
2月24日邪宗門がテレビで放映されてました。
お誕生日は邪宗門で,されるそうですね。
是非出席させていただきます。
紅白の慎ましい薔薇の花束を,用意させて頂きますね^^
投稿: ももちゃん | 2011年2月24日 (木) 16時04分