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2011年5月

2011年5月30日 (月)

『薔薇族』は2代目、竜超君へ!

 1971年(昭和46年)7月に『薔薇族』創刊号を出してから今年で40年になる。なんとしても今年の夏頃に400号を出して、僕は編集長の座を降りようと思っている。

 先日、復刊号を手がけてくれた竜超君が相談事があるというので電話がかかってきた。

 渋谷の東急プラザの5階にある「CAFE SHALIMAR」で待ち合せて会った。

 何事かと思ったら400号の最終号を出して、その後は竜君が編集長になり続けて出したいという。

 今の時代、パソコンを使えずネットも見たこともない人間には、もはや雑誌を続けることはできない。時代が変わってしまったのだから、僕はすでに過去の人間になってしまっている。

 『薔薇族』は、2代目編集長として竜超君が続けていくことを僕は喜んで承諾した。良き相棒だった内藤ルネさん、本間真矢(ペンネーム藤田竜君)もすでにこの世にいない。

 あの頃、この顔と思い出せば、多くの人たちが僕の仕事を助けてくれた。本当に僕は幸せ者だった。

 それと、多くのすばらしい読者が『薔薇族』を支持して応援してくれた。こんな読者をもった雑誌ってそうあるものではない。感謝の気持ちでいっぱいだ。

 創刊号の編集後記の「薔薇族だより」に、僕はこんなことを書いている。

 「最初、5月頃創刊号を出すということをちょっと書いてしまったら、早く出ないのか、まだ出せないのかと読者から矢の催促。
 ところが最初、簡単に考えていたのが原稿を集めているうちに、だんだんいいものを出さなければという気持ちが強くなってきて、あれこれ考えているうちにだいぶ遅れてしまった。
 雑誌作りは初めてで、まごまごして立ち往生している僕を見かねて、何人かの友人が助っ人に駆け付けてくれて、やっと日の目を見ることができた。
 出来不出来はとにかく、日本で最初にホモ専門誌を出すという仕事をやり遂げて、うれしくてうれしくて仕方がない。
 カメラマンの原栄三郎さんも、日本最初ということで千葉の海岸にロケをして力作を撮って下さった。
 とにかく『薔薇族』は、みんなで創る雑誌だからみんなの応援なしでは成り立たない。実感のこもった原稿をどしどし送ってほしい。プロの作家に依頼せずに、みんなが発言する雑誌にしたいと思っている。
 この雑誌の創刊によって、地方にいて孤立しているホモたちに、少しでも連帯感を持たせて、寂しい思いをなくすことができれば本望だし、今まであまりにも暗かった日本のホモたちが、少しでも明るい方向へ前進するステップになればうれしい」

 このとき僕は38歳だった。元気いっぱいで希望に満ちあふれていた。

 『薔薇族』が創刊した頃も、いろんなメディアが取り上げてくれて、存在を知らせるのは早かった。

 廃刊になった時も、朝日新聞の小泉信一郎記者が、「薔薇族廃刊」のニュースを報道してくれた後のメディアの反応は凄かった。

 廃刊のニュースが、こんなに取り上げられたことはなかったのではなかろうか。いい相棒に巡り会えていい仕事を残せて本当に良かった。

 2代目の竜超君の『薔薇族』も、ぜひ、応援してほしいものだ。薔薇の季節の5月をもって、僕の〝編集長〟としての名前は消える。本当に長いことご支援をありがとう!!

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★『薔薇族』の注文の方法は、郵便局で1000円の定額小為替を購入し、下記までお送りください。155-0032 東京都世田谷区代沢3-9-5-202 伊藤文学宛

★下北沢に『薔薇族』を置いてくれる古本店・「ビビビ」があります。〒155-0031 東京都世田谷区北沢1-45-15 スズナリ横丁1F・北沢タウンホールの筋向いです。読書好きにはたまらない古書がたくさん置いてあります。電話03-3467-0085です。

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2011年5月28日 (土)

始めて載った「同性愛」の文字!〜哲学者・中島義道さんの記事に感動〜

 たった7行の記事に、僕の心はふるえた。

 2011年5月17日(火)の東京新聞の夕刊に載った哲学者、中島義道さんの「震災への『なぜ』今こそ 美談が覆う真実もある」の記事の一節にだ。

 三沢典丈さんという東京新聞の記者が、中島義道さんから話を聞いてまとめた記事だ。

 三沢典丈さんは、冒頭にこう記している。

 「東日本大震災から2ヶ月がたった。震災を契機に戦後の日本が歩んできた道を見直そうというかけ声をよく耳にするが、その具体像は見えて来ない。
 被災地の復興も遅々として進まない今、〝新しい日本〟のために何をどう考えればいいのか。『不幸論』などの著書で知られる哲学者・中島義道さんに聞いた」とある。
 
 震災後、僕が心を痛めていたのは、何十万人という被災者の中に、何千人、何万人もの同性愛者もいるに違いないと思っていたからだ。
 
 年配のゲイの人たちは、地方のことでもあるから、ほとんどの人は結婚しないわけにはいかなかっただろうから、奥さんや子どももいたかも知れない。

 結婚をしないで独身を通してきた人も数多くいるに違いない。地方のことだから、ゲイだということを隠して暮らしてきた人がほとんどだろう。

 その人たちが体育館などの避難場所で、家族で避難している人たちとたったひとりで生活しているとしたら、その苦しさは耐えられないのでは...。

 この2ヶ月、新聞には被災者たちの様子が、連日報道されている。週刊誌は売らんがためだろうが、不安を募らせるような記事ばかりだ。

 僕はもう、そうした記事は読まないことにしている。そんな中で、始めて中島義道さんの記事の中で「同性愛」という文字を見つけた。

 「目下メディアをにぎわしているのは、心温まる家族間の話であり、そこに登場してくるのは原発の作業員と妻、妻を失った被災者の夫、祖母と声を掛け合って助かった孫など、法的に認められた家族だけです。
 不倫相手を失った愛人とか、同性愛の恋人を亡くした人などは、全く抹殺され、天涯孤独な人も家族を激しく憎んでいる人も切り捨てられた「健全な」家族の美談だけです」

 こんなことを考えてくれる人は中島さんしかいなかった。今の僕には、被災されたゲイの人たちのために、何にもしてあげられないがどうしたらいいのだろうか。

 残念ながら東京新聞は読んでいる人が少ない。この記事を読んだ人は、僕のブログを見てくれている人の中にいないだろう。

 長い記事なので、要約することは難しいが、ぜひ全文を読んでもらいたいものだ。ネットで見ることってできるのだろうか?

 最後に中島さんは、こう締めくくっている。

 「今回の大震災で日本人の良い面、悪い面が全て出たのではないでしょうか。被災者たちの品格ある穏やかな態度、全国からの励ましの声などに改めて日本の良さを確認する一方で、日本人の『哲学的なものを見る目』、すなわち『繊細な精神』は、全く育っていないように思われます」と。

 「繊細な精神」の持ち主はゲイ特有のものだと思う。

 日本を復興させていくために、今こそゲイの人が知恵をしぼって、「繊細な精神」を大きく育てていくべきだろう。

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2011年5月25日 (水)

団鬼六さんって、幸せな人だった!

 団鬼六さんとのお付き合いは、30年を越えるが、たまにパーティの折りにお会いする程度だったから、深いお付き合いというわけではない。

 それに、団さんのSM小説や映画も、読んだことないし、見たこともない。そんな僕が団さんを語れるわけがないが、2011年5月27日号の「週刊ポスト」が「官能小説家が晩年、ついに見つけた最後の女性。団鬼六・最後のインタビュー〝私が愛した最後の女〟」という5ページの写真と記事が載っているのを読んで感じたことを書いてみたい。

 昨年の11月、12月と銀座のキャバレー「白いばら」でのお互いの出版を祝う会で、お会いする機会が続き、それに自伝エッセイ集「死んでたまるか」(講談社刊)を読んだので、団さんという人間に興味を持ち出したところへ突然の訃報だった。

 僕は、昭和23年に親父が第二書房を創立させてから、ずっと出版の仕事を続けてきたので、いわゆる官能小説作家といわれる人にも何人かお会いしてきた。

 それらの作家たちが、多くの女性と性行為をもっていたかというと、そうではないと思う。妄想で書いているのではないだろうか。

 女遊びに徹している人は、小説など書かないだろう。性豪作家といわれていた作家ともお付き合いしていたが、女性関係はそれほどでもなかった。

 一時期、官能小説作家として一世を風靡した作家と、最後にお付き合いしていた女性はレズビアンの女性で、その人の話しだと彼は女性好きではなかったという。

 団さんはこんなことを記者に語っている。

 「SM小説の巨匠という立場は、これまで肌を合わせた女性たちに多くの幻想を抱かせてきた。団氏は、それが苦痛でたまらなかったという。
 僕のことをね、みんな〝性の大家〟や〝SMの神様〟ゆうて持ち上げるでしょう。あれが困るんですわ。さも女性経験が多いようにいわれるけど、実際はそんなことはない。
 確かに愛人はおりました。それかて片手の指で足りる人数です。50歳を過ぎた頃から、どうも私は女とやるのが怖くなってね。小説のイメージが強いもんやから、した後で、〝団さん、口ばっかしやね〟って、女がいうんですよ。
 これがこたえてね。テクニックにも、あそこの大きさにも自信はありません。プライベートでは、SMも、縛りもやったことはないしね。だから年を取ってからは、〝愛人〟といっても肉体関係はなく、その姿を愛でるだけでよくなった」

 団さん、これは本音で語っている言葉だと思う。それに団さんの作品は、何本も映画化されているから、多くの女優さんともお付き合いできたことは幸せなことだったのでは。

 「死んでたまるか」の最後の章、亡くなる年の79歳の時に書かれた文章は、僕も同じ年齢なので、ぐさっとくるものがある。ただ、僕は老化しているとはいっても、今のところ元気だということだけだが。

 「恋愛の恍惚に今一度、浸りたいという願望について、あなたは事実上不可能であると妻にもいわれているが、そんなことは人にいわれなくったって、自分でもよくわかっているのだ。
 ただ女を愛するという気持ちだけは、いや、女を愛すなんて格好をつけたいい方ではなく、単に女好き、というか、色好み、助平さ加減というか、これだけは喜寿を通り越したおじんになっても、インポじじいと蔑まれても、変わりようがないということを私はいいたいのである」

 僕は、団さんのお通夜にも告別式にも行かなかった。参列したところで団さんはもうこの世にいないのだから...。

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2011年5月24日 (火)

今年も銀座のキャバレー「白いばら」で!

 いつも後ろを振り向かず前向きに生きてきたつもりだが、最近、続けざまに大事なものを無くしたりしたものだから、ちょっと年のせいかなどと思ったりもしてしまう。

 「今でも青春!」と、次々と新しいものに挑戦してきたつもりだが、耳が遠くなってきたり、今年始めて花粉症だなんて医者に言われて、目薬をもらって付けたりしている。

 昨年、一昨年と本を出すことができて、銀座でただ一軒生き残って頑張っているキャバレー「白いばら」で、出版を祝う会を催すことができた。

 二度の会に出席してくれてスピーチをしてくれた作家の団鬼六さんも、暮れの12月28日に「死んでたまるか」の出版を祝う会を「白いばら」で開いたばかりだというのに亡くなってしまった。団さんと年が同じだということもあって、僕もそろそろかなと少し弱気になったのかもしれない。

 銀座が節電でネオンも暗く、人通りも無くバーなどもつぶれているということを耳にすると、「白いばら」もお客が減っているのではと気になって山崎店長に電話をかけてみた。

 ところが電話に出た山崎店長は、いつものように元気で大声で、「今年もお元気でパーティをお願いします!」と言われてしまった。

 40年以上も続けてきたのだから、今度の震災の自粛ムードも乗り切ることだろう。

 さて、本を出すとなると、この出版不況の中で売れる本を創るのは難しい。出すとしたら全て書き下ろしということになる。

 ずっと考え続けていたのだが、2011年5月13日(金)の朝日新聞の「天声人語」に面白い記事が載っていた。「天声人語」はベテランの記者が執筆しているのだろうから、なるほどと思わせることが多い。

 相撲の話しなのだから、僕が本にしようと思っていることと関係のない話しだが、その出だしのところがヒントになった。

 僕はアンティークのいろんなものをコレクションしてきた。恩人の内藤ルネさんに感化されて、「かわいい!」と思わず口にしてしまうようなものが多い。

 「かわいい!」と女性に言われるようなものばかりを集めて本にしようと思っていた。それでは当たり前過ぎて面白くない。

 「天声人語」の書き出しに、こんないいことが書いてあったのだ。

 「いかついものと可愛いものの取り合わせは醍醐味を醸す。例えば、弁慶が手毬をつき、仁王様が千代紙を折っているような図には、絶妙のちぐはぐ感がある。
 今の世に探すなら、失礼ながらお相撲さんがケータイをいじる図と相成ろうか」と。

 これを読んでビビビときたものがある。かわいいものばかりを並べるのではなく、その中に卑猥なエロス、そして、退廃的なものを織り交ぜる。これで行こうと思い立った。

 混沌としてわけのわからない今の世の中、何が正しいのか、正しくないのかもわからない世の中。

 『薔薇族』を面白い雑誌にしたのは、僕のマジメさと藤田竜君の不良っぽさが入り交じっていたことだろう。

 何かこうした本にしようというものがやっと見えてきた。本を出してくれる出版社の編集長がどう考えているのか判然としないが夏までには原稿をあげよう。

 老眼鏡も度を測り直したものができあがってきたのでよく見える。何としても今年も本を出して「白いばら」で3年連続の出版を祝う会を催して、友人、知人に集まってもらい、楽しんでもらおう。僕がこの世におさらばしての告別式なんて開いてもらいたくない。生きているうちに会えればいいのだから...。

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2011年5月18日 (水)

昔と今では笑いが違う?

 自分が年を取ったせいだろうか。テレビに出ている若いお笑い芸人がべらべらしゃべっているのを聞いても笑えない。バカバカしくさえなってくる。

 我が第二書房では、『薔薇族』を創刊する以前に、艶笑小話の本を何冊も出している。昭和30年代のことだ。

 小話というと西洋の小話が主流だが、それに反発して日本でも創作小話を作ろうという男がいた。寄席の仕事をしていた芝山はじめさんだ。

 僕がひとりで企画して出し続けていた「ナイト・ブックス」に、芝山さんのコント集を入れたいと思った。そして出したのが「365日しびれる本」だ。

 昭和39年8月発行で定価は280円。

 「あとがき」に芝山さんはこんなことを書いている。

 「偉大な江戸小話作家たちを祖先に持っている、この国の人々が、戦後の、このコントブームにもどうして輸入品にばかり頼っているのだろうかということであった。
 しかも、近頃は舶来品といっても同じ題材の蒸し返し、二番煎じばかりで読む方はいい加減うんざりする。
 チクショウ、僕もひとつ創ってやろうてなことになって始まったのが、この新作小話集なのであるが...。
 数年かかった。仕事は夜、自宅に限られたから、原稿用紙に向かう数時間は、それこそものすごい血の出るような緊張であった。創ったコントの数は、この本に選ばれた550話のゆうに数倍を超えているに違いない」

 芝山はじめさん、大正14年生まれとあるから、87歳ぐらいになるだろうが、今でも執筆を続けておられるようだ。

 僕が『薔薇族』を出すようになってから「江戸男色考」を長い間執筆してくれたし、ゲイのための「コント69」も続けて書いてくれた。

 奥ゆかしい

 Q君がP君に言った。
 「君は何でも知ってるのに控えめに話すから、奥ゆかしいって評判だね。たまに知っていることをすっかり話せよ」
 するとP君はちょっと考え込んでいたが、「奥ゆかしいのは、君の奥さんだと思うな」
 「えっ、僕の家内だって?」
 P君は静かに言った。
 「そうだよ。君の奥さんは洋服はひどく粗末だが、人目につかない下着はいいものを着てるからね」

 胸毛

 母親がテラ子を呼んで言った。
 「お前、Pさんとゆうべなにをしてたの?」
 「だから言ったじゃないの。胸毛をさわらしてもらっただけだって!」
 「でも、みんなが変なうわさしてるわよ。それ以上は本当になんにもしないのね」
 「でも、あの方の胸毛って、ずっと下の方までつながってるのよ」

 ある推理

 妻が外出から帰ってきて、主人の部屋のソファーに腰をかけた。
 「まあ、このソファーはあたたかいわね。誰か、今までここに座っていたのね」
 「うん、家政婦のM子が世間話をしていたんだよ。さっきまで...」
 「あら、そう」
 彼女は、次に夫の膝の上に腰を移して言った。
 「まあ、ここも熱っぽいわね。M子、きっとここにも腰をかけていたのね」

 みるからに謹厳実直で、浮気などしたことがないであろう、芝山さん、仕事から帰って夜、机の前で妄想でコントを書き続けてくれたのかと思うと笑うに笑えません。

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                装画は富田英三さん

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2011年5月17日 (火)

昔話ばかりでブログ見なくなり...

 今から23年前の『薔薇族』の「編集長から」は、小さい文字で2ページに渡ってこまごまと書いている。

 72歳で自宅で自殺をされてしまった推理小説家の石沢英太郎さんのことだ。この方は僕のことを尊敬しているとまで言ってくれた。

 僕から聞いた話を参考にして「少数派」という推理小説を講談社から出された。

 エイズがいよいよ日本にも入ってきた頃で、帝京大学の松田重三先生の協力で、雑誌をあげてエイズを食い止めるべく懸命になってもいた頃だ。終わりの方に僕はこんなことを書いている。

 「下北沢に昭和7年から住んでいると子供の時から知っている近所のおじいさん、おばあさんが次々と亡くなっていく。
 また、あのおばあさんが亡くなったということが最近多くなってきている。知らないうちに自分もそれだけ歳を取っている。
 我が家のじいさん、ばあさんもめっきり老け込んできて、『俺の目の黒いうちは活字1本でも俺に見せろ!』といばっていた親父も新聞も見なくなってしまった。
 新聞がポストに入っていなかったりすると怒って新聞屋に電話をかけて持って来させていたくせに。
 いねむりや、横になるなんてしたのを見たことがなかった親父が、椅子に座ったままで眠りこけているのを見ると悲しい思いがしてしまう。
 老人を抱えている家は、どこも大変でしょうが、家の中が小便臭くて梅雨時の今はたまりません。
 順繰りにそうなっていくのだろうが、歳を取っても楽しく生きていけるような世の中にしたいものだ。
 1月に煙草を7、80本も吸っていたので、富田英三先生は、最期は肺がんで死ぬかな、なんて言っていたのが、先生も最期は本当に肺がんで亡くなってしまった。煙草はほどほどにしないと」

 ーーなんて書いていたのが、今やその時代の親父の歳になってしまって、テレビを見ながらソファに座っていて、知らないうちに眠り込んでしまうようになってしまったとは。

 あのいばりくさっていた親父が椅子に座って眠り込んでいるミジメな姿を見た時、あんなぶざまなことをしたくないと思っていたのが、同じようになってしまったなんて。

 『薔薇族』の相棒を長く続けてくれた藤田竜君、最期はどんな死に方をしたのか、養子にした芳っちゃんに聞いてみないとわからないが...。

 昨日、先妻の友人の南湖美奈子さんから電話がしばらくぶりにかかってきて、舞踏の先生だった邦千谷(ちや)先生が100歳で亡くなったと知らせてくれた。

 日本女子体育大学1年生の時に、養父母を捨てて我が家に転がり込んできて大学を卒業し、中学校の体育の教師になってから駒場にあった邦千谷舞踏研究所に通い出した。

 先生は左翼の方だったので、若いご主人は「社会新報」の記者でお子さんはいなかった。

 お弟子さんもたくさんいたが、独立して活躍したのはミカだけだった。先生は歳を取られて老人ホームで暮らしておられたようだが、南湖美奈子さんが訪ねていくと「ウチの嫁です」と他の老人たちに紹介していたそうだ。

 身寄りがなくて誰も訪ねてこない先生は寂しかったのかも。関越自動車道を走らせて新潟に入ると小千谷市を通る。先生はそこの出身だったので、邦千谷と名付けたと聞く。

 100歳、スゴイ生命力を持った先生だった。

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            サインをしてくれている団鬼六さん

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2011年5月16日 (月)

理想の男を求めて果てしなく...

 先日、亡くなった映画会社「東映」のドンと呼ばれた岡田茂さんが映画製作者には不良っぽい感性が必要と言っていたとか。

 『薔薇族』は、僕がマジメ路線、相棒の藤田竜君は不良っぽい感じで雑誌を作っていた。

 僕は、マジメさをつらぬいたが、読者がアソコをもろ丸見えの写真を見たがっているのを百も承知していたから、アソコを黒く塗りつぶすのを消し忘れたことにして、何点か見えるようにしろとスタッフにそれとなく指示していた。

 警視庁の風紀係に呼ばれて頭を下げて始末書を書いてくるのは僕なのだから、それを恐れていては雑誌は売れない。

 誌上にドギツサを要求する読者も多かったが、その反面、ロマンチックな読者も多い。寺山修司君のように詩を作り投稿してくる読者も多かったので、イラストを付けて誌上になるべく詩を載せた。

 1988年の9月号にこんな詩が載っている。

 昔の男  渚

 お前と酒を飲めば
 心だけ帰郷し 父母に会える
 はるかなる山河に帰れる
 お前とコーヒーを飲めば
 底冷えする心が暖まり 
 あしたの太陽が昇る
 二度とヨリを戻せぬほどに
 傷つけて別れてしまった 今
 俺のララバイ

 おまえを愛すれば愛するほどに 
 おまえの肉体に不満がつのり
 いらだちと混乱の世界を彷徨した
 おまえの肉体をむさぼる最中に
 昔の男の尻が俺の頭に現れ苦しめた
 浮気な俺
 そんな俺を手放せば
 いのち失うとばかりに
 白く長い蠕動(ぜんどう)する指と舌で
 俺の股と菊座を
 限りなく愛撫するおまえ
 髪ふり乱して腰をおまえに
 あずけてもリフレッシュせぬ
 俺とおまえは
 悲劇のカップル
 美しい瞳のおまえ
 孤独の精のようなおまえ
 そんなおまえが喉につかえて
 呑みこめぬ
 罰当りな俺
  
 棄ててしまった今 おまえは他人の男
  
 死に場所を捜すように
 故郷を求めてさまよう旅人の俺に
 夜ごと安堵を与えてくれた
 昔の男
 凍てついた愛を胸に秘めて
 きょうも人生を紡ぐ
 暖めてくれる部屋もなく 
 あしたの太陽も昇らない
 俺の果てしまい旅ーー

 ゲイの男って理想の男を求めて果てしない旅を続ける。理想の男ってそう簡単にみつかることはないのだけど。

 男女の愛だと器量が多少悪くても(女房が怒るかな...ネットなんて見ないから大丈夫か)、他にいいところがあれば我慢してしまうものだけど。

 人間って若いときばかりではない。年月の経つのは早い。あっという間に年を取ってしまう。どっちが幸せなのかはわからないけど。

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2011年5月14日 (土)

長田暁二君という偉大な友人

 「ユーキャン」という通販の会社から「決定版 昭和の演歌」のカタログが送られてきた。以前、「天童よしみの世界」というCDを買ったことがあったからだろう。

 「あなたにお贈りする2大プレゼント」とあり、金色の鷲を刻印した腕時計と演歌カラオケ集が付いている。それに木製の収納ケース付きだ。

 ベスト演歌216曲大演歌スター166人(組)とあって、一括払価格2万9800円もする。まず値段で買おうか買うまいか考えてしまった。

 学生時代に1週間働いて得た収入で、腕時計を買った記憶があるから腕時計というとつい高いものだと思ってしまうが、今の時代、時計なんて1000円もしない。時計につられたわけではないが、テレビはろくな番組がないので見ないから、心の癒しにと思ったからだ。

 最近は時代劇専門チャンネルにはまりこんでいて、「剣客商売」「鬼平犯科帳」などをかかさず見ているが、孫が学校から帰ってくるとすぐにマンガに占領されてしまう。

 机に向かってブログの原稿を書いたりしている時、寝る前などになつかしい演歌を聞いていると、ヒットした頃のことをなつかしく思い出されてくる。

 えいっ!と思って買ってしまった。

 「鑑賞アルバム 歌ひとすじ」と立派な歌詞集が付いていて、1曲ごとに解説がついている。その解説を書いた人は、駒沢大学時代の同期生の長田暁二君ではないか。

 その略歴には音楽文化研究家。1930年(昭和5年)岡山県笹岡市生まれ、1953年駒沢大学英文科卒業と同時にキングレコード入社。童謡担当ディレクターを振り出しに22年間ディレクター一筋。(中略)

 日本の歌の歴史の研究、メディアの発達と歌の変化についての研究では第一人者的存在である。著者は100数十冊を超える。

 僕より2歳年上だから81歳になるが、今でも元気で活躍している。学生時代は、児童教育部という文化部では一番力のある伝統的な部の部長をしていた。

 僕は、文芸部の部長をしていたので、顔を合わすことが多かった。なにしろ全学で学生数が700人ぐらい、クラブ活動をしている学生は200人ぐらいだから知らない者はいなかった。

 長田君を恩人だと思っているのは、昭和40年の秋の芸術祭参加作品になった、僕の書いた「ぼくどうして涙がでるの」が日活で映画化が決まったときに主題歌を作ってくれたからだ。

 詩を書いて長田君のところに持って行ったら、このままではレコードにならないと横井弘(川は流れるの作詞家)という作詞家が補作をしてくれて、作曲は鎌田俊夫(はっきり覚えていない)さんで、歌は女性コーラスグループの「ボーチェ・アンジェリカ」が歌ってくれた。

 映画のタイトルが映し出されると、バックに歌が入る。あのときの感激は忘れることは出来ない。もちろんレコードにもしてくれた。

 長田君が77歳の喜寿のお祝いが赤坂プリンスホテルで盛大に開かれたが、駒大からは僕だけの出席だった。

 女房の古里の新潟の日本海の海辺に「遠藤実記念館」があるが、遠藤さん、このときはお天気だったので、写真を一緒に撮らせてもらった。その後、間もなく亡くなってしまったので貴重な写真になってしまった。

 遠藤実さん、ご自身が作曲した曲もたくさんあってわからなくなっているのを全部整理して展示したのは長田君だそうだ。

 昭和も遠くなってしまったけれど、作詞家も詩人が多かったので、まず詩がいい。もちろん作曲もいい。

 歌を聞きながら、昭和っていい時代だったと思うが、平成も前向きにこれから良くしていかなければ。

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2011年5月12日 (木)

人間っていつ死ぬかわからないから困ったものだ!

 痴呆症とまでいかないようだけど、とにかく物忘れがひどくなっている。かなり親しい人の名前を思い出せないことがある。少し時が経つと思い出してくるから不思議だ。

 文字はいつも書いているせいか意外と忘れてはいない。これは長いこと出版の仕事をしてきたからだろうか。ちょっとあぶないなと思うと辞書を引いて確かめている。

 最近忘れものがひどい。大事な銀行の通帳がどうしても見つからない。それと身体障害者手帳だ。そして、今度は時計と眼鏡がどうしても見つからない。

 下北沢南口の阿部質店で、ウインドウの中に飾ってあったテクノスの時計、定価7万5000円とあるのが8500円とある。質屋の親父は僕と同じ歳なので話が合うので、8000円に負けてくれた。

 老眼鏡もメガネギャラリーで2万3000円も取られてしまった。もうこれ以上は忘れないようにしなければどうにもならない。

 会合の日とか誰かと約束した日時は、すぐにカレンダーに大きく書いておくからまずは大丈夫だ。

 団鬼六さんの通夜と葬儀が芝の増上寺で行われるようで、ファックスが地図とともに届いた。通夜は5月15日(日)午後6時から、告別式は翌16日(月)午前11時から12時半。

 奥様から「とうとうお先に参りました。大変お世話になりました。厚く御礼申し上げます」と添え書きがあった。

 昨年の11月の「やらないか」のスナップ写真を団さんに送ったが、返事がなかったので身体の調子が悪かったのではと想像していたが、「死んでたまるか」の本を最期に亡くなってしまった。

 今年も何とか本を出して団さんにスピーチをお願いしようと思っていたのに。

 それにしても芝の増上寺で告別式とはスゴイ。いつか新潟の弥彦村に僕が経営していた「ロマンの泉美術館」の売店の商品は、馬喰町の「エトワール海渡」という日本でも有数の問屋さんから仕入れていたが、その会長さんが亡くなったときの葬儀も増上寺だった。

 日本中に仕入れ先のお店があるのだから、参列者が雨の中を並んで、万を越したと思われる盛大なものだった。

 団鬼六さん、生前から派手好きの方だったそうだから、息子さんや奥さんが増上寺に決められたのだろうが、にぎやかな葬儀になることだろう。

 人それぞれに考え方が違うから何とも言えないが、僕が死んだら葬儀など一切しないでくれと息子たちには言っている。幡ヶ谷にある焼き場で骨にしてもらって、多磨霊園に埋葬してもらうだけにしてもらえばいいと。

 それと忘れずに相続税を弁護士に頼んで財産を放棄してもらうようにと。

 僕はかつてどれだけパーティを開いていたことか。10数冊出した本の出版記念会はホテルの宴会場で盛大に催してきた。

 下北沢の喫茶店「イカール館」と新潟の「ロマンの泉美術館」で開いたパーティは数知れずだ。その度に1万円の会費を払って駆け付けてくれた友人、知人には感謝の言葉もない。

 生きているうちにしばらく会えなかった友人、知人と巡り会う。それが最高の楽しみだった。

 死んでしまったら多くの友人、知人が来てくれたとしても本人はいないのだからどうにもならない。

 銀座のキャバレー「白いばら」がまだ生き残っていたら、僕の偲ぶ会でもやって1万円分でみんなが楽しんでもらえれば本望だ。

 人間っていつ死ぬかわからないので、これだけは困ったものだとしか言いようがない。

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2011年5月10日 (火)

僕の恩人、いその・えいたろう君

 2010年12月28日、作家の団鬼六さんは、自伝エッセイ『死んでたまるか』(講談社刊、本体価格1500円)の出版を祝う会と忘年会を銀座のキャバレー「白いばら」で催した。

 そのとき、いただいた著書にサインをお願いしたら、「伊藤文学先生へ 一期の夢よ ただ狂え 団鬼六」と記してくれたが、それは力のないよたよたの文字だった。

 「一期の夢よ ただ狂え」、誰かが残した言葉なのか、団さんご自身の思いで記したものかは、僕にはわからないが、狂気の世界に生き抜いてきた団さんの思いを記してくれたのだろう。

 まだまだこの世に生きていたかったのではと、団さんの思いを考えていたら、「いその・えいたろう」君のことが思い出されてきた。

 彼の単行本の最初の本は、僕が出したことは覚えているが、確か「●●●のカレンダー」という書名で、エッチなことを書いた本なのに書名まで忘れてしまっているとは。

 なぜ、いその君のことを思い出したのかというと、いその君も「ただ狂え」そのもので、女との性のことしか考えていない人だったからだ。

 1970年(昭和45年)1月11日に先妻の舞踏家、ミカが33歳で突然の事故死をとげたあと、半年は何もする気がなくなっていた。 人間、不思議なもので、時が経って元気を回復してくると、夜になると欲望が突き上げてきてどうにもならなかった。

 そんな時、井の頭線の東大原の駅前に住んでいたいその君を電話で呼び出すと、イヤな顔をしないで付き合ってくれた。

 いその君の奥さんは美人でやさしい人で、確か小さな男の子と女の子がいた。

 その頃、「11PM」という深夜番組があった。エッチな内容だったが、時代の流れを捉えた教養番組でもあり視聴率も高かった。

 いその君はレポーターとして、性産業を探訪したりしていた。女房のミカも60年代は活躍していたので何度も出演させてくれた。

 僕が出演するようになったのは女房が亡くなって、『薔薇族』を創刊してからのことだ。録画でなくナマ番組だったので、照明が強くて大きなカメラがぐっと寄ってくると最初はあがってしまった。

 大橋巨泉さんが司会をやっていて、打ち合わせなしで話をぶつけてくるというやり方で、ぶっつけ本番の方が話が新鮮だからという考え方のようだった。

 いその・えいたろう君はその後、「性人伝」など、著書もたくさん出しているが、平成10年に「好色魂・性のアウトロー列伝」という本を幻冬舎アウトロー文庫から出していて、18人の中に僕のことも取り上げてくれている。

 日本一のAV男優・日比野達郎、キャバクラを発明した男・新富宏、本番女優の自画像・愛染恭子などだ。

 前書きにいその君はこう書いている。

 「私は取材対象をこの十数年間に性における人間の営み一点に絞込み、それを追いかけるようになった。なぜ、そうなったかといえば、ひとついえることは、性そのものに対する畏敬の念を強く抱くようになったからである」と。

 いその君とは、もうかなり長い間会っていない。いろんな女性を追求しすぎたのか、あの美しい奥さんとも別れてしまったようだ。子供たちはそれぞれ成人しているとは思うが。

 僕の恩人、僕を立ち直らせてくれたいその君。「ただ狂え」と言わずに別の女性と幸せに暮らしているのだろうか。

 「11PM」もいその君のことも覚えてくれている人は少なくなっているだろう。

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2011年5月 9日 (月)

「死んでたまるか」と叫んでいたのに!

 2010年の12月28日、銀座のキャバレー「白いばら」で、団鬼六さんは自伝エッセイ『死んでたまるか』(講談社刊、本体価格1500円)の出版を祝う会を開き、元気な姿を見せてくれた。

 11月6日、僕の『やらないか』(彩流社刊、本体価格1800円)の出版を祝う会に出席してくれた団鬼六さん。スピーチをお願いしてしまった。

 2009年の6月に「白いばら」で催した『裸の女房』(彩流社刊、本体価格2000円)の出版を祝う会のときも、奥様と一緒に団鬼六さんは出席してスピーチをしてくれた。

 団さんとお付き合いは長く。昭和50年代に僕が経営していた「伊藤文学の談話室・祭」での講演会にお招きしたのが最初だった。

 1931年生まれの団鬼六さんと僕は、同じ年齢で79歳、同じ歳の知人が亡くなるというのはつらいものだ。僕も今は何とか元気だけど、そろそろかなと思ってしまう。

 2012年5月6日金曜日の午後2時頃、団鬼六さんが亡くなったと友人が電話をかけて知らせてくれた。

 『死んでたまるか』の第19話「瘋天老人」と題する79歳、平成22年のエッセイを読み直してみた。

 「別に自慢するわけではないが、私は身体障害者1級を獲得しているのである。この障害者手帳を提示すれば、新幹線だってかなりの割引料金で利用できるし、タクシーなら月3万円くらいの無料切符が配布されるので、老人としてはその便利さ加減に喜んでいる」とある。

 僕は到底、団さんにはかなわない。身体障害者手帳は4級で最低だ。こんなこと比べても自慢にもならないが、都営のバス、地下鉄はタダ、タクシーは1割引、高速道路は半額、自動車税の4万3000円は免除。

 膝に人口膝を入れたぐらいで、自分では身体障害者とは思ってもいないのに。

 団さんは腎臓が悪く、その他の五臓六腑は健在なので、人工透析を医師に勧められて、透析を始めて3年、すっかり健康を取り戻し、あれほど、死にたがっていたのがウソのようにかき消えて、命の大切さを思い知るようになっていた。

 「やむを得ず透析を導入し、3年間、無事生き長らえてきた人間に、やっぱりお前は死んだ方がいいと、今度はガンという鉄槌を下してくる天は、何という残虐な真似をしてくるものかと腹も立ってきた」

 食道ガンということで、おそらく今年に入って大手術を受けたのだろう。ついに帰らぬ人となってしまった。

 『死んでたまるか』の、若い頃からの団さんの生きてきた道をみていると、やりたいことをやってきた団さんって幸せな人だったと思う。「しかし、老人になったとはいえ、私のように悟りきれない人間は、いろいろなところに惑わしいところが出現して、チャンスがあればすぐに若い女性に近づこうとし、その点では20代の若い青年と何の変わりもないところがある」

 団鬼六さんは、80歳を目の前にしても、青年のままの気持ちを持ち続けてきた。僕も団さんのようにまだまだ若い女性と恋をしたいものだ。最後に団さんはこう書いている。

 「そう簡単に死ぬものか、と最近の私は開き直りを見せている。その齢で笑われそうだが、まだ、やらねばならぬ事、書かねばならぬ事がこの世にたっぷり残されていると思うからだ」

 僕はあの世とか霊魂なんてものを信じないが、団さんは僕の心の中に何かを残してくれたことは確かだ。

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本に残されたサインとスピーチをしてくれた団さん。

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2011年5月 4日 (水)

弱い者にも目が届く政治を!

 戦前から戦時中にかけて、日本人が嫌がる仕事は、ほとんどといっていいほど韓国の人が従事していた。いや、させられていた。

 この前に書いたトイレの汲み取りの仕事、くず屋さんなどだ。僕が小学校4、5年の頃だったろうか。母の古里へ連れられていったことがある。上野駅を夜発って翌日の昼過ぎに岩手県の沼宮内に着くのだが、途中のどこの駅かわからないが、停車している列車に多くの男ばかりが乗っていた。

 なんとも暗い表情をしている男たちだが、顔つきを見て韓国の人たちだ。おそらく北海道の炭坑に送られていくに違いないと思った。

 山室軍平という名前を知っている人は少ないだろう。明治5年(1872年)岡山に生まれ、15歳の時にキリスト教に入信した。苦労して同志社に学んだ後、伝道に従事、救世軍の渡来とともにかねてよりその創立者、ブース大将の著書に親しんでいたところからこれに従い、以後、救世軍の社会事業に生涯を捧げ、東洋人として最初の救世軍の司令官となった人だ。

 この人の著書に中公文庫「社会廊清論」(昭和52年発行)がある。

 第1章・現存の奴隷制度にこんなことが書かれている。

 「明治5年6月、南米ペルーのマルヤルスという船が支那(中国)から来て横浜港の沖に着いた。これは230人の支那人を乗せてペルーに帰り、奴隷として鉱山の事業に使役しようとするものであった。
 そのうちの一人アタクなるものが、逃げて附近に停泊中の英国艦アイロン・デューク号におもむき、哀れみをこうたので、それらの事情が明白になった。
 彼が言うには、『私どもが支那を出る時には、ただ船中にて労働に服してれば、それ相当の給料を与えられるという話であったが、そのつもりで乗船してみると、私どもは船底に追い込まれて、ろくに食物も与えられず、水を求めれば鞭で打たれる有様、この分では行く末がどうなることかと案じられ助けを求めた』。
 英国公使は捨ておけないと日本の外務卿に彼らを解放するようにすすめた。こんな事件に関わらない方がいいという反対意見もあったが、時の外務卿、副島種臣氏は奮然として起ち、県令、大江卓氏を裁判長に任じ、審問数次の後、『マルヤルス船主の所為は、奴隷売買にして国際公法の禁を犯すものなり』と認定し、すなわち右230人の支那人を取り上げてこれを支那政府に引き渡した。
 ペルー政府はこの判決に服せず、特派全権公使を送って不服を申し入れたゆえ、ついに仲裁裁判をロシアのニコラス帝に仰ぐことになったが、帝はわが国を是としてペルーを非としたので、ことは首尾よくその局を結ぶに至ったのである」

 明治の初期にも気骨のある人がいたものだ。党の中での派閥争いをしている。現在の政治家の中に気骨のあるリーダーはいないものだろうか。

 戦時中、北海道の炭坑に連れて行かれた韓国の人たちも、半ば強制的に連れて行かれたに違いない。

 山室軍平氏は日本にも奴隷がいると娼妓芸妓の解放に力を注いでいった。その先頭に立って活躍したのが、僕の祖父の伊藤冨士雄だった。

 80数万人の人口がいる世田谷区の区長を選ぶ選挙、なんでこんな人たちだけなのかと情けなくなってきた。

 今こそ、政治家が私利私欲にとらわれず、日本人全体のために頑張ってもらいたいものだ。

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2011年5月 3日 (火)

なんともかゆい話

 渋谷行きのバスの停留所「淡島」まで、我が家から歩いて4、5分というところだ。下北沢の駅までゆっくり歩くと20分程かかってしまうので、最近は買い物なども渋谷へ出ることが多い。

 渋谷へ行くバスの窓から外を見ていたら皮膚科が近日オープンと大きく窓ガラスに描いてあった。

 僕のいんのう(オチンチンの袋)がかゆくなるのは、もう10数年にもなるだろうか。皮膚科にもずいぶん長いこと通った。下北沢の南口の裏通りにある皮膚科の医者は、僕よりも年上の先生だったが、医者の方が先にお亡くなりになってしまった。

 僕のいんのうが気に入って長いこと住みついている菌も、ここまでお付き合いしたのだから、僕もそう長くはこの世にいられるわけはないのだから、我慢するしかないかと思っていた。

 バスの車窓から見た皮膚科の文字が頭にこびりついていたので、今日、思い切って訪ねてみた。駒場学園を通り過ぎるとすぐ右側にあった。

 開業したばかりなので、何から何まで新しい。「駒場皮膚科」(世田谷区代沢1-23-1、電話03-5779-1020)は、受付の女性も美人で感じが良かった。

 女医さんだと困るなと思っていたら、まだ若い優しい男性の先生だった。いんのうの皮を削り取って顕微鏡で見てくれたら、「これは菌ではありませんよ。年を取ると皮膚がかゆくなる病気です」という。難しい病名を聴いたがすぐに忘れてしまった。

 菌が住みついているものとばかり思っていたのが年寄りの病気だというので拍子抜けしてしまった。

 今、クスリを塗ったばかりだから、すぐに効果が出るかはわからないが、飲みグスリももらったので、今度は完全に治るかもしれない。

 10数年もかゆかったが治ってしまうのも何か寂しいものだ。

 受付の女性から刺激性のない「ノブソープD」という固形の石鹸のサンプル品を二個ももらってしまったので、ちょっと宣伝めいてしまったが、皮膚科ってあまりないので、どこかかゆくて困ったら、どうぞ駒場皮膚科へ!

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