昔話ばかりでブログ見なくなり...
今から23年前の『薔薇族』の「編集長から」は、小さい文字で2ページに渡ってこまごまと書いている。
72歳で自宅で自殺をされてしまった推理小説家の石沢英太郎さんのことだ。この方は僕のことを尊敬しているとまで言ってくれた。
僕から聞いた話を参考にして「少数派」という推理小説を講談社から出された。
エイズがいよいよ日本にも入ってきた頃で、帝京大学の松田重三先生の協力で、雑誌をあげてエイズを食い止めるべく懸命になってもいた頃だ。終わりの方に僕はこんなことを書いている。
「下北沢に昭和7年から住んでいると子供の時から知っている近所のおじいさん、おばあさんが次々と亡くなっていく。
また、あのおばあさんが亡くなったということが最近多くなってきている。知らないうちに自分もそれだけ歳を取っている。
我が家のじいさん、ばあさんもめっきり老け込んできて、『俺の目の黒いうちは活字1本でも俺に見せろ!』といばっていた親父も新聞も見なくなってしまった。
新聞がポストに入っていなかったりすると怒って新聞屋に電話をかけて持って来させていたくせに。
いねむりや、横になるなんてしたのを見たことがなかった親父が、椅子に座ったままで眠りこけているのを見ると悲しい思いがしてしまう。
老人を抱えている家は、どこも大変でしょうが、家の中が小便臭くて梅雨時の今はたまりません。
順繰りにそうなっていくのだろうが、歳を取っても楽しく生きていけるような世の中にしたいものだ。
1月に煙草を7、80本も吸っていたので、富田英三先生は、最期は肺がんで死ぬかな、なんて言っていたのが、先生も最期は本当に肺がんで亡くなってしまった。煙草はほどほどにしないと」
ーーなんて書いていたのが、今やその時代の親父の歳になってしまって、テレビを見ながらソファに座っていて、知らないうちに眠り込んでしまうようになってしまったとは。
あのいばりくさっていた親父が椅子に座って眠り込んでいるミジメな姿を見た時、あんなぶざまなことをしたくないと思っていたのが、同じようになってしまったなんて。
『薔薇族』の相棒を長く続けてくれた藤田竜君、最期はどんな死に方をしたのか、養子にした芳っちゃんに聞いてみないとわからないが...。
昨日、先妻の友人の南湖美奈子さんから電話がしばらくぶりにかかってきて、舞踏の先生だった邦千谷(ちや)先生が100歳で亡くなったと知らせてくれた。
日本女子体育大学1年生の時に、養父母を捨てて我が家に転がり込んできて大学を卒業し、中学校の体育の教師になってから駒場にあった邦千谷舞踏研究所に通い出した。
先生は左翼の方だったので、若いご主人は「社会新報」の記者でお子さんはいなかった。
お弟子さんもたくさんいたが、独立して活躍したのはミカだけだった。先生は歳を取られて老人ホームで暮らしておられたようだが、南湖美奈子さんが訪ねていくと「ウチの嫁です」と他の老人たちに紹介していたそうだ。
身寄りがなくて誰も訪ねてこない先生は寂しかったのかも。関越自動車道を走らせて新潟に入ると小千谷市を通る。先生はそこの出身だったので、邦千谷と名付けたと聞く。
100歳、スゴイ生命力を持った先生だった。
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