僕の恩人、いその・えいたろう君
2010年12月28日、作家の団鬼六さんは、自伝エッセイ『死んでたまるか』(講談社刊、本体価格1500円)の出版を祝う会と忘年会を銀座のキャバレー「白いばら」で催した。
そのとき、いただいた著書にサインをお願いしたら、「伊藤文学先生へ 一期の夢よ ただ狂え 団鬼六」と記してくれたが、それは力のないよたよたの文字だった。
「一期の夢よ ただ狂え」、誰かが残した言葉なのか、団さんご自身の思いで記したものかは、僕にはわからないが、狂気の世界に生き抜いてきた団さんの思いを記してくれたのだろう。
まだまだこの世に生きていたかったのではと、団さんの思いを考えていたら、「いその・えいたろう」君のことが思い出されてきた。
彼の単行本の最初の本は、僕が出したことは覚えているが、確か「●●●のカレンダー」という書名で、エッチなことを書いた本なのに書名まで忘れてしまっているとは。
なぜ、いその君のことを思い出したのかというと、いその君も「ただ狂え」そのもので、女との性のことしか考えていない人だったからだ。
1970年(昭和45年)1月11日に先妻の舞踏家、ミカが33歳で突然の事故死をとげたあと、半年は何もする気がなくなっていた。 人間、不思議なもので、時が経って元気を回復してくると、夜になると欲望が突き上げてきてどうにもならなかった。
そんな時、井の頭線の東大原の駅前に住んでいたいその君を電話で呼び出すと、イヤな顔をしないで付き合ってくれた。
いその君の奥さんは美人でやさしい人で、確か小さな男の子と女の子がいた。
その頃、「11PM」という深夜番組があった。エッチな内容だったが、時代の流れを捉えた教養番組でもあり視聴率も高かった。
いその君はレポーターとして、性産業を探訪したりしていた。女房のミカも60年代は活躍していたので何度も出演させてくれた。
僕が出演するようになったのは女房が亡くなって、『薔薇族』を創刊してからのことだ。録画でなくナマ番組だったので、照明が強くて大きなカメラがぐっと寄ってくると最初はあがってしまった。
大橋巨泉さんが司会をやっていて、打ち合わせなしで話をぶつけてくるというやり方で、ぶっつけ本番の方が話が新鮮だからという考え方のようだった。
いその・えいたろう君はその後、「性人伝」など、著書もたくさん出しているが、平成10年に「好色魂・性のアウトロー列伝」という本を幻冬舎アウトロー文庫から出していて、18人の中に僕のことも取り上げてくれている。
日本一のAV男優・日比野達郎、キャバクラを発明した男・新富宏、本番女優の自画像・愛染恭子などだ。
前書きにいその君はこう書いている。
「私は取材対象をこの十数年間に性における人間の営み一点に絞込み、それを追いかけるようになった。なぜ、そうなったかといえば、ひとついえることは、性そのものに対する畏敬の念を強く抱くようになったからである」と。
いその君とは、もうかなり長い間会っていない。いろんな女性を追求しすぎたのか、あの美しい奥さんとも別れてしまったようだ。子供たちはそれぞれ成人しているとは思うが。
僕の恩人、僕を立ち直らせてくれたいその君。「ただ狂え」と言わずに別の女性と幸せに暮らしているのだろうか。
「11PM」もいその君のことも覚えてくれている人は少なくなっているだろう。
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コメント
伊藤先生、こんにちは、
はじめまして。
鍵英之というペンネームで生涯で
何人の女とやれたか
『生涯人数』
を旗頭に人生走って来ました。
今は書籍のフランス語化と電子書籍化に主力を置いております。
10年以上前、いそのえいたろうさんから
取材を受けたことがあります。
そこで伊藤先生にご助力いただきたいのですが
いそのさんに連絡をとりたいのです。
申し訳ないですがよろしくお願いいたします。
鍵英之拝
投稿: 鍵英之 | 2012年10月26日 (金) 00時16分
・団さんが書かれた
「一期の夢よ ただ狂え」
という言葉は,室町時代後期,当時の小歌を集めた『閑吟集』という歌集に見られる大変に有名なものです。
・ただ,より正確には,
「一期は夢よ ただ狂え」です。
▼お元気そうで何よりです。
伊藤さんとは7〜8年前?
下北沢のお店の集まりで一度お会いしたことがあります。
・その時は稲垣征次さんもいらっしゃいました。
・小生は開会に少し遅れて参加しました。ハットとマント姿でしたが,覚えておいででしょうか。
投稿: 聖司 | 2011年5月13日 (金) 14時15分