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2011年6月 8日 (水)

僕の出版人生に悔いなし!

 本にしても、映画にしても、その題名によって当たる、当たらないが決まるといっていいだろう。

 先頃亡くなった東映のドンといわれた岡田茂さんは、監督が決めていた映画名をバッサリと変えてしまうことで有名であったそうだ。それが映画名を変えたことによって大当たりしたそうだから、誰も文句を言えなかった。

 日活で昭和40年度の秋の芸術参加作品に選ばれた、僕と妹の紀子が原作の「ぼくどうして涙がでるの」の映画名を、どたんばになって日活の首脳部が変えると言い出したのだ。

 東海テレビでドラマ化された時も、NHKで内村直也さんの脚本で放送劇になった時も題名は変わらなかった。

 それを、十朱幸代さんが初の主役としての映画化なので、十朱さんの青春映画のような題名にしようというのだ。僕は強く抗議したが、その話を伝え聞いた「報知新聞」の文化部の記者(恩人のお名前を46年も前のことなので忘れてしまった)が、安易に映画名を変更するのは良くないと大きな記事を書いてくれた。そのお陰で映画名が変わらなかったのでベストセラーになった。

 映画のタイトルも僕の文字で、バックに友人のキングレコードのディレクターだった長田暁二君が作ってくれた曲が流れる。一生に一回だけだったけれど、あのときの感激は忘れることはできない。

 宇野重吉さんが父親役で娘役が吉永小百合さんの「父と娘の歌」との二本立てで文部省選定映画になったので、子供達が学校全体で観に行ってくれて映画はヒットした。

 あと昭和30年には田中絹代監督で映画化された「乳房よ永遠なれ」。これは若月彰という「時事新報社」の文化部の記者が北海道に住む歌人の中城文子と死の床に過ごした一ヶ月を描いたノンフィクションだった。

 若月彰さんは、このとき22、3歳の若さできりっとしたいい男だった。田中監督が「あなたがやりなさい」と誘ったそうだが、あの時代、素人が映画に出るなんてことはなかったので、結局、新人の葉山良二さんが出ることになってしまった。

 あのとき若月さんが出演していたら、彼の人生も変わっていたろうに、その後、若月さんは新聞社を辞めてしまった。文化部の記者だからみんながちやほやしたのに、辞めてしまえばただの人だ。2、3冊は本を出したが消えてしまった。

 我が第二書房は、これまで歌集のようなものばかり出していたのを思い切って一般書にかじを切り替えた。

 日活で映画化されたのは「やくざ先生」と「ニコヨン物語」。新東宝からは「女の防波堤」。これは残念ながら発禁に。

 大映からは「初夜なき結婚」、東宝からは「女探偵」。僕は映画会社の宣伝部を訪れたが、活気があったのは日活の宣伝部だったろうか。

 本当のところ、僕は映画会社の宣伝部に入りたかったが、卒業式まで学校に通っていたのに卒業論文を書かなかったから卒業させてもらえないし、全く勉強しなかったから、とっても就職は望めなかった。

 しかし、映画化になった本の題名を変えられることがなかったのは、元々書名が良かったからだろう。

 二畳打、三畳打も何本も出したし、僕の出版人生は楽しかった。それに『薔薇族』のネーミングも良かったし、35年も続けられたのだから、多くの読者に感謝するばかりで何も思い残すことはない。

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