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2011年8月 2日 (火)

背徳のエロスから、かわいいものまで!

 フランツ・フォン・バイロス(1866〜1924)という19世紀末から20世紀初頭にかけて、ウィーンとミュンヘンで活躍した画家の名前を知っている人は少ないだろう。

 貴族の家に生まれながら、その経歴や彼が制作した作品の全貌があきらかでない。あれほど美しく優雅で艶治(えんや)で華麗な蔵書票や挿絵を残しながら、バイロスの名は一般の美術史から黙殺されている。

 その理由は、彼の絵がエロティックで富豪や愛書家のための少数限定の特殊本の挿絵や蔵書票が多く、それが個人の書斎の奥深くに納められてしまうと、一般の人々の眼に触れる機会が少なかったためと思われる。

 澁澤龍彦さんも次のように述べている。(「芸術新潮」6月号・1979年)

 「デッサン力や構想力において、はるかに勝りながら、あのビアズレーの単純な線描に、その芸術的な品格の高さにおいて、はるかに及ばないのがバイロスという芸術家の宿命であった」

 末っ子のバイロスは兄と二人の姉達に囲まれて、幸せな少年時代を送り、6歳の頃から好きで始めた絵を家族達は温かく援助してゆくとある。

 1896年2月、バイロスは30際で結婚する。相手は当時ウィーン社交界で有名なワルツ王、ヨハン・シュトラウス2世の娘である。ところが、この結婚はわずか1年で破局を迎える。理由は不明であるが、僕はバイロスはゲイだったと確信している。

 僕がコレクションしたパリの画家、ルイ・イカールもゲイだったと思う。この2人の作品に出会い、日本で多少なりとも紹介したことに何かの因縁を感じている。

 1992年11月1日から29日まで、新潟県弥彦村の「弥彦の丘美術館」で、世界に先駆けて「バイロス展」を開催した。

 僕はバイロスの無念さをはらしたいという思いが強くあった。1911年、バイロスの画集「化粧台物語」がわいせつ罪で、ミュンヘン警察からわいせつ図画販売の容疑で摘発押収されていたからだ。

 僕が発行していた『薔薇族』も、4回も発売禁止となり、風紀係には20数回も始末書を書かされていたから、バイロスの無念さをはらしてやりたいと強く思っていたからだ。

 昭和54年10月に、山本芳樹さん(今はこの世にいない)が中心になって出版した「バイロス画集」(さばとやかた刊)が、神奈川県警からわいせつ図画販売の容疑で摘発され発禁になってしまった。

 東京の書店で「バイロス画集」を買い求めた神奈川在住の人が、性器がむき出しに描かれているのに腹を立て神奈川県警に訴え出たのだ。

 神奈川県警でも、県下の美術館の学芸員にバイロスについて聞いたが、誰も知らなかったという。

 出版元の広政かほるさん(亡くなって、さばとやかたも今はない)は、3日間も留置されたというのだからひどい話だ。

 しかし、この事件がマスコミの間で大きく報道されたので、バイロスの名前が知られるようになったとは皮肉な話だ。

 今、僕は何としても今年中に本にしたいと思っているが、「背徳のエロスからかわいいものまで」という僕のコレクションを紹介する本を出すべく執筆を始めている。

 森茉莉さんの作品に、すっと入っていける人は、バイロスの作品にも虜になってしまうだろう。不思議な感性の持ち主だけが知りえる世界なのかもしれない。乞うご期待だ。

 本が出たら出版記念会を開き、作品を展示してお見せしたいというのが今年の夢だ。

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