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2011年9月24日 (土)

ぼくの息子は、父であるぼくのことをホモだと思っていたのだろうか?

 ぼくの良き相棒だった藤田竜君(本名・本間真夫)と出会わなかったら、『薔薇族』は昭和のゲイの歴史に残ることはなかったろう。
 性格もまったく正反対の藤田君。単行本専門のぼくなので、雑誌作りの名人とも言える藤田君の存在は大きかった。

 1989年の9月号が、創刊200号になったが、美輪明宏さんが「自殺した友よ いま一緒に乾杯しよう」という、感動的な文章を寄せてくれている。
 創刊号を出したのが、1971年(昭和46年)の9月号だったが、その頃、新社屋ができるまで、茶沢通りと梅ヶ丘通りが交差する十字路に建つ、5階建てのマンション「ハビテーション淀川」の2階が『薔薇族』の誕生の地だ。その向かい側にある芝信用金庫代沢支店が、ぼくの財産のすべてを奪いさった信用金庫だなんて。

 ぼくらは昭和45年11月6日に再婚したが、その翌年の7月には創刊号を出したのだからあわただしい生活だった。その頃、女房のお腹が大きくなっていたが、カメラマンの波賀九郎さんの助手役をやって、ライトを当てる仕事をやったり、文通欄の宛名書きもやってくれていた。

 藤田竜君から、次男の文久(ふみひさ)に宛てた手紙がみつかった。藤田君は雑誌を面白くするために、いろいろと企画を考えてくれたが、この手紙もそのひとつだ。

「突然、手紙なんてヘンだね。もう知ってるかも知れないけど『薔薇族』は、夏に創刊20周年を迎えます。
 創刊の話をしていた時、君はまだお母さんのお腹の中にいました。それを思うと20年なんてあっという間です(中略)
 さて本題。『薔薇族』を出す家に育った男の子。そんなテーマで君にいくつか質問して、ま、かたちになれば小さな頁にしてみたいと思っています。いつも折あるごとにお父さんが何か言ってきましたが、今回は息子が登場するというわけです。
 君は雑誌の創刊と同時に生まれたようなものです。そして育ってゆく君のまわりに“ホモ的なもの”満ちていました。
 君は世間のふつうの子より、いろんなことを知るのといっしょに「男と男」ということを知らざるを得ませんでした。そうして20歳になった――。その間のことを聞きたいのです。

①子供の時、ホモをどう思っていたか。
②こんな環境にいたら、自分もそうなってしまうんではないか。そういう会社でいやだったこと。
③女の子や、クラスメートは、そういう出版社の子と知ったとき、何と言ったか。
④人が訪ねてくるたび「エイズ」を思わなかったか。“ブキミな人”を見た経験。
⑤父もホモでないかと疑わなかったか。

 なんてことです。他のことで君が悩んだこともあるでしょう。よかったら話してください。で設問の中身を充実させるべく考えてメモなんぞしてくれてるとありがたい。
 「家族ホメ」にならず、ひとりの青年の成長の記録というか、青春の何かが特殊な立場の人から出ないかと思うのです。
 「特殊な立場」とあまり思わなければ、それはそれでまた面白いでしょう。」

 藤田君のことだから、かなり突っ込んだ面白いインタビューになったと思うので、ぼくもまた読んでみたいと思うけど、その号がまだみつからない。

 それからあっという間に20年が過ぎて、藤田君はすでにこの世にいない。寂しい話ではある。


006
藤田竜君が描いたイラスト

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