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2011年9月12日 (月)

「伊藤文学と語る会」を「邪宗門」で始めるぞ!

 ワンコイン(500円)あれば、今の時代牛どんだって、ラーメン、お弁当も豪華なものが食べられる。
 そんな時代に「純喫茶」と称する喫茶店は自然に淘汰されていくのは、自然の成りゆきと言えるだろう。
 コーヒー一ぱいのむのに、5、600円出すのはちょっと考えてしまう。200円ぐらいでコーヒーがのめる店が増えてきてしまったからだ。
 昔は喫茶店の店先に「冷房完備」と、大きな看板がかかげられていた。学生たちが住んでいたアパートに、クーラーなんてものはついていなかったから、喫茶店に入って本などを読んだものだ。
 
 ぼくは週に一、二度は、ちょっと遠くなってしまったが、散歩がてらに桜並木のせせらぎ公園を通って「邪宗門」にコーヒーをのみに行く。(「邪宗門」というのは、北原白秋の詩集の題名で、1909年刊、異国情緒を盛った、官能的・感覚的な詩集と辞書にはあるが、ぼくは読んだことはない。)
 それはマスターと奥さんとおしゃべりしたいからだ。
 
 「邪宗門」の店内には和物の骨董品がところせましと置いてある。今はこうしたものに興味を持つお客さまは少ないようだが、電気のない時代に、どこの家でも使っていた石油ランプが、天井からぶら下がっている。
 お客さん同士で知り合って、おしゃべりするのもこのようなお店だからできるというものだ。
 もうオープンして40年になるだろうが、今まで続いているのは、ご自分の持家で家賃がかからないからだ。それとマスター夫婦の人柄がいいから、ファンといってもいいのでは。
 
 森鴎外の長女の森茉莉さんが、毎日のように通って、紅茶いっぱいで一日中、仕事をしたり、編集者と会うのもここを使っていた。
 マスターはお店がどんなに混んでいても嫌な顔をしないで、茉莉さんを受け入れていた。それにマスターは手品のセミプロだ。興にのると手品を見せてくれる。
 森茉莉さんの熱烈なファンは全国にいて、森茉莉さんが通いつめていたお店は、すでにここしかないので、なんと中国からも若い茉莉さんファンが二人で訪ねてきたというから驚きだ。
 
 茉莉さんは1951年(昭和26年)に、代沢の木造2階建の「倉運荘」に移ってきたが、1973年(昭和48年)70歳の年に、22年間住みなれた倉運荘が老朽化して建てかえることになり、同じ梅ヶ丘通りに面した、マンションの代沢ハウスに転居する。
 住みなれた代沢に帰りたかったのだろうが、1983年(昭和58年)80歳のときに経堂に転居し1987年(昭和62年)84歳で亡くなった。
 「邪宗門」に通いつめていた時代が、茉莉さんにとって楽しい、充実した時代だったのだろう。
 
 代沢ハウスの2階に茉莉さんが住んでおられた頃、『薔薇族』の表紙を描いてくれていた内藤ルネさんと、本間真夫君が第二書房からマガジン『薔薇の小部屋』を1978年(昭和53年)に刊行したので、茉莉さんに原稿を依頼に、ぼくが行った。
 茉莉さんは他人を自分の部屋に入れることは、まずなかった。「邪宗門」のマスターですら入れてもらえなかったのに、どういうわけかぼくのことはすんなりと入れてくれた。
 始めての出会いなのに、昔の話を何時間もお茶いっぱいのまずに聞かせてくれて、おしゃべりしてしまった。
 
 10月の第1土曜日1日、まずは森茉莉さんの話からしようと思う。午後2時から4時まで、コーヒー代500円でOK。毎月第1土曜日に「伊藤文学と語る会」を邪宗門で開くことに。ぼくのいろんなコレクションをお見せする。ぜひ、おでかけ下さい。


003
邪宗門

電話:03(3410)7858
住所:東京都世田谷区代田1-31-1 
劇団「東演パラータ」前 下北沢南口から徒歩15分


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