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2011年9月26日 (月)

『あの人がいた』ぼくもそう書かれる日が!

0072_2 2011年・9月17日(土)・池袋の自由学園明日館講堂で、『話の特集』の編集長だった矢崎泰久さんが、(株)街から舎から『あの人がいた』(定価・本体¥1600+税)の出版ライブを16時から催すという案内状が届いていたので、出席の通知を出していた。
 
 
 ところが『話の特集』も何号か買った記憶はあるが、矢崎泰久さんとは出会ったことがない。しかし泰久さんの弟さん(名前を思い出せない)は、現在、日本社の社長をやっておられて、『薔薇族』を出していた頃、エロ本を出している出版社の集まりがあった頃のお仲間だ。
 出版問題懇話会という会で、毎月一回は出版クラブで会合が持たれていたときに、矢崎さんの弟さんとは知り合った。
 おそらく弟さんが、出版を祝う会の案内状をぼくに送ってくれたのだろう。

 なにしろ発起人がすごい人ばかりだ。永六輔・小沢昭一・落合恵子・加賀まり子・田原総一朗・和田誠など、有名人がずらりと並んでいる。
 会費は¥7000、本を進呈してくれるそうだ。池袋の駅から5分とあったので、近いのではと歩き出したが、2、3人の人に訪ねて、住宅街の中にある会場にやっとたどりついたら、20分近くかかってしまった。
 
 矢崎さんの弟さんが、発起人席と貼紙がしてある前の方に座ってくださいというので、そうさせてもらった。教会の椅子みたいで、一人、一人座る椅子でなくて、つながっている椅子で、木の椅子には薄いふとんが敷いてあった。
 永六輔さんが一番前の椅子に座っていたので自己紹介して声をかけたが、パーキンソン氏病をわずらっているということで、なんの反応もなかった。
 幸いに講談社を停年退職された、白川充さんと出会ったので、となりに座って話相手ができてよかった。何年か前に白川さんと正反対に元気で派手好きな奥さまに先立たれて、ぐんと老けこんでしまっている。
 
 矢崎泰久さん、2005年に新潮社から『「話の特集」と仲間たち』という本を出されていて、1995年に休刊するまで、30年間に352号出されたとある。
 『あの人がいた』には、筑紫哲也さん、岸田今日子さん、渥美清さん、寺山修司さんなど17人の亡くなられた人たちとの交流が書かれている。
 『話の特集』はその時代の超一流の人たちに原稿を依頼している。創刊号は7万部刷って返本の山を築いてしまったそうだ。
 知人の邱永漢さんも金銭的にかなり応援したと、直接聞いたことがあったが、大損されたとのことだった。
 
 ぼくの親父は矢崎さんとは、正反対で、一流の人に原稿を依頼すれば、原稿料は高いし小出版社に本を出させてもらえるわけがない。出版社は人を使わず、机一つと、電話があればいい。事務所など借りずに自宅で充分だという考え方だった。
 まったく無名の人を掘り出して話題にして本を売るというやり方だ。確かに何冊かは掘り出し物で話題にして成功したが、そう掘り出し物があるわけがない。
 
 ぼくが創刊した『薔薇族』と、『話の特集』を比べるのはおこがましいと思うが、続いたのが35年、381冊出しているから、その分、勝ったといえば勝ったということか。それに『話の特集』は、インターネットが普及する前に廃刊に追いこまれている。
 
 『薔薇族』に寄稿してくれた男絵師たち、まったく名もなき人たちだが、ぼくも『あの人がいた』というような本を残しておきたいと考えている。一流も二流もない、いいものはいいものなのだ。


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