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2011年9月17日 (土)

関東大震災のときの自警団の写真がみつかった!

 大正時代に、ぼくの祖父、伊藤富士雄は、(大正12年6月2日、53歳で亡くなっている。救世軍の士官として、廃娼運動に身体を張って千人近い、娼妓を解放させた。)が亡くなった。大正12年(1923年)9月1日(土)、11時58分32秒、神奈川県相模湾北西沖、80km(北緯35・1度、東経139・5度)を震源として発生した、マグニチュード7.9の大正関東地震で、神奈川県を中心に、千葉県、茨城県から静岡県東部までの内陸と、沿岸に広い範囲に甚大な被害をもたらし、日本災害史上最大級の被害を受けた。

 東京は地震によって、家屋が倒壊する被害と、当時はほとんど木造家屋なので、火災による被害が大きかったようだ。神奈川県では振動による建物の倒壊のほか、液状化による地盤沈下、崖崩れや津波による被害もあった。
 被害は地震によるものだけで、今回のような福島第一原発事故のような放射能による被害がなかっただけに、復興も早かったに違いない。

 大正時代は情報の伝達の手段は新聞しかなかったから、大事件が起きたとき風評とか、デマのようなものは、人々の口から口へ伝わって、ゆがめられてしまったものもあったと思う。
 一番大きな風評は、在日韓国人による暴動、そして放火だろう。本当にそういう事実があったのかはその時代に生きていないのだから、真実は分からない。

 戦前のぼくの代沢小学校時代、昭和7年3月生まれだから、昭和14年に入学し、空襲が激しくなってきた、昭和19年に卒業し、世田谷中学(現在の世田谷学園)に入学している。
 代沢小時代、近所に紙くず屋さんがあり、そこの息子、確か柳(りゅう)君と言ったとおぼえているが、一年上でからだが大きく、小学生の相撲大会で優勝したこともあった。
 柳君はからだの小さなぼくをかわいがってくれ、今でも覚えているが、ブリキ製の機関車をもらったことがあった。立派なおもちゃだったから、今残っていれば、かなり高額な値段になるだろう。

 当時、日本人が嫌がる仕事を韓国の人たちがやっていた。強制的に日本に連れてきたのかは分からないが、北海道の炭鉱で石炭を掘っていたのも韓国の人たちだ。
 悪い人間は、どこの国にもいる。ぼくは柳君との思い出があるので、韓国の人を悪く思ったことはない。
 10数年前にソウルを訪れて、ゲイバアなどを取材したが、日本語の上手な人が案内してくれたので楽しかった。

 今回の東北の大震災、新聞、週刊誌、ラジオ、テレビ、インターネットと、いろんな報道をすぐに知らせてくれるのだから、大正時代とはまったく違う。
 週刊誌などは売らんかなで、放射能の恐ろしさを伝えるものだから、どれを信用していいのか分からなくなってしまう。
 稲のわらを食べた牛が、放射性セシウムが検出されたというと、焼肉屋さんのお客さんが、がたへりだという。子供を連れて家族で食べにきてくれるようなお客さんが、まったく姿をみせないそうだ。
 昔ながらの稲わらを使った茨城県の特産品「わら納豆」が、売り上げを大きく落としているとか。
 先日、女房の実家がある新潟の弥彦村に行ってきたが、昨年、収穫したお米をみんな買いしめているらしく、農家ではない町の人はお米が買えないと困っている。

 ぼくの父が19歳の頃、関東大震災のあとに富久町(新宿から近い)に住んでいて、韓国人の暴動にそなえての自警団を作ったときの写真がみつかった。ほほづえをついて座っているのが19歳の頃の父だ。これは貴重な写真だと思うが。


004
父が住んでいた富久町の自警団。
韓国人の暴動を恐れてのことだろう。

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コメント

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。

投稿: 履歴書の写真 | 2011年10月 7日 (金) 18時38分

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