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2011年10月31日 (月)

夢や、希望を持って生きられた時代が……。

 歌手で俳優の杉良太郎さんが、2011年10月10日の東京新聞の「紙つぶて」というエッセイ欄に「傲り高ぶり」と題して、ぼくら年配者には、いいことを言ってくれたと、思わせる文章を書かれている。
 
「22年前、ベトナムへ初めて行ったとき、喫茶店もなく、車もほとんどなく、どんなに遠くても人は歩く。それでも子供たちは活発で、笑い声が聞こえていた。
 私の子供のころ、日本も同じようだった。生活は苦しかったが、仕事があればどんなにつらくても汚くても、一生懸命働いた。
 芸能界に入る前、私はいろいろな仕事についた。船のさび落とし、道路工事、中古タイヤの再生工場。安い賃金だったが、働くことが楽しかった。家族が安心した。
 今はまず、自分本位で、ただ自分のことばかり、他人のことを思いやる人はなかなかいない。(中略)
 人は知らないうちに上を見る。手が届かないところに手を伸ばす。努力もせずに、人間の傲り、高ぶりは天井知らずだ。」

 
 杉さんのおっしゃる通りで、ぼくらの戦後の時代は、みんな貧乏で、それでも懸命に働き、頑張っていた。
 その時代に生きた人たちには、将来に「夢や、希望」が持て、頑張って働けばきっとよくなると誰もが思っていた。
 
 ぼくの先妻は33歳で事故死してしまったが、大学1年の夏に、夜汽車の中でぼくと出会い、恋に落ち、養父母を捨てて、ぼくの家に、スーツ・ケースひとつだけを持って、ころがりこんできてしまった。
 ぼくは親父の出版の仕事をしていたが、給料はなし、埼玉の実父が短大を卒業するまで毎月、1万円を送ってくれた。農家で兄妹が多いから、養女に出したぐらいの生活なのに仕送りは大変だったと、今でも感謝している。
 頭がよくて勉強ができたので、都の教員試験に合格し、その頃、先生の就職は大変なときだったが、世田谷区立の池尻中学に、保健、体育の教師になれた。
 その後、舞踏家として、1960年代の後半に大活躍して、33歳で事故死してしまったが、大きな夢を達成することができた。
 一周忌を待たずにぼくは後妻を迎えたが、ミカの子供は幼稚園児。その子を立派に育て、京都大学の理学部を卒業させ、バブルの時代だったので難なくソニーに入社して、今も勤めている。
 
 先妻が亡くなった翌年に、『薔薇族』を創刊させた。後妻の久美子は、若い頃、書道が得意で、宛名書きのプロとして、会社を経営していたことがあった。
 その宛名書きの技術が、『薔薇族』の大事な仕事の文通欄の宛名書きをひとりでこなし続けてくれた。午前中に、山のように送られてくる手紙の束をさばき、夜までにはポストに入れるのだから大変な仕事だった。
 
 インターネットなるものが、普及するまでの時代はよかったが、時代は大きく変わってしまった。
 杉さんの言っていることは正論だが、今の時代の若者には通用しない。
 『週刊文春』の10月20日号の特集記事、「世界恐慌・本当の恐怖・日本は貧困大国に墜ちる!」の記事を読んで、恐怖を感じてしまう。
 
 生活保護受給者数が、ついに200万人を越えて、国民の61人に1人が生活保護を受け、その数は増すばかりだという。
 働きたくない人間が増すばかり、年金もへるばかり、東大を出たからといって、一流企業に入れるとは限らないそうだ。
 これからの日本、どうなっていくのだろうか?
  
014
イラストは藤田竜・なんの夢見てるのかな?

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