雑誌作りって難しい
ぼくはなぜか『話の特集』という雑誌の編集長を30年間、勤めた矢崎泰久さんという人に興味を持つようになってきた。
2011年9月17日(土)の「矢崎泰久『あの人がいた』出版ライブ」の会場で、初めて矢崎さんに声をかけたが、矢崎さんはぼくに会うのは初めてではないと言われたが、ぼくは初対面だと思っている。
今の若い人たちは、『話の特集』という雑誌を知らないだろう。『薔薇族』だって同じことだが、ヤマジュンが若い人に人気があるので、その劇画が掲載されていた雑誌と言えばすぐに分かるほど知名度は高い。
ぼくが矢崎泰久さんが、すごい人だと思うのは、その時代の超一流の人たちと交流し、雑誌に原稿を依頼している。作家でなくても有名人にインタビューしたり、原稿を書かせてもいる。
残念なことにぼくの手許に『話の特集』がないので、内容を紹介できないし、ネットでも調べられない。あとで散歩のついでに古本屋に寄って『話の特集』を見てみたいと思っている。
ぼくの知り合い(ゲイの人だ)の人だが、とにかく見知らぬ人と、すぐに仲良くなってしまう人がいる。次から次へと電話をかけてきていろんな人を紹介してくるので、閉口してしまうことがあるが、歌舞伎の女形の役者さんを紹介してくれたことがある。お名前を思い出せないが、国立劇場の楽屋も訪ねたことがあり、次男の結婚式には踊りを披露してくれ、伴奏の三味線をひかれた方は、人間国宝の方だった。
ロシア大使館の館員で日本語の上手な若者も紹介してくれて、二度ほど警察官に囲まれた大使館の中に入り、案内してくれた。
この人と同じような矢崎さんは、特異な才能の持ち主だったのでは。
矢崎さんのお父さんは、文藝春秋社に長く勤めておられ、独立して日本社という出版社を起こした方で、堅実な方だったようだ。
『話の特集』は創刊号を7万部も刷ってしまった。広告会社の大手の電通が、10万部刷らないと広告を取れないと言われ、7万部にへらしたのだが、結局は広告は取れなかったそうだ。
矢崎さんのお父さんは、1万部から始めろと言われたそうだが、取りまきが今でも『週刊文春』の表紙を担当している、和田誠さんとか、有名人ばかりだから、1万部なんて言えなかったのだろう。
表紙は横尾忠則さんで、斬新すぎて創刊号の文字を入れなかったので、お父さんは怒ったそうだ。それに定価が¥130。一流の人が執筆しているのだから、もっと高くしてもよかったのでは。
『薔薇族』の創刊号は、70頁の針金とじで、¥230。広告をまったく入れない分、定価を高くし、雑誌は悪い紙を使うが、ぼくの考えはゲイというと、汚らわしいと思われていた時代だったから、買ってくれた人も手にとって美しいと思ってもらいたいと、上質紙を使った。
『話の特集』の読者層は、新らしもの好きの学生がほぼ半数で、20代の若者が中心だという。
『薔薇族』の読者は、中学生から老人まで、それに女性の読者も多かった。『話の特集』は女性の読者には敬遠されたのでは。女性の読者が買わない雑誌は駄目だ。
雑誌にとって広告が入らないと、どうにもならない。『薔薇族』は途中から広告を入れたが、宣伝効果が抜群なので営業をしなくても、お店の方から出してくれと依頼が殺到して、総頁の半分は広告だった。
下北沢におしゃれな原宿にあるようなレストランを造っても長くは続かない。それと同じように雑誌も一流の執筆者を並べたからって売れない。雑誌作りって難しいものだ。
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