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2011年11月 5日 (土)

藤田竜君が本当の編集長だった!

 ぼくの良き「相棒」だった、藤田竜君はぼくより若いのに先に、あの世に行ってしまった。
 
 藤田竜君が『薔薇族』の主役で、ぼくは助手的存在。本当の編集長は、藤田竜君だった。
 戦後の昭和23年に、父が株式会社、第二書房を設立したときから、ずっと小僧のように使われてきたが、第二書房は単行本の発行が専門で、雑誌を出したことはなかった。
 だから本当のところ、雑誌作りは、まったく未経験で不安だったが、ぼくの呼びかけでぜひ、手伝いたいと声をかけてくれたのが、今は亡き間宮浩さんと、藤田竜君だ。
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 藤田竜君は、内藤ルネさんが先に勤めていた、中原淳一さんが社長のひまわり社に、高校時代にモデル募集の呼びかけに応じて、ひまわり社を訪れ、採用されたのが最初だ。
 ひまわり社が刊行した単行本に、美少年の藤田君が載っているのを見たことがある。それから婦人雑誌など、いくつかの出版社を渡り歩いたようだ。
 藤田君は器用な人で、企画から、デザイン、写真、イラスト、取材となんでもできる人だった。藤田君は『薔薇族』を創刊する前は、ルネさんと組んで、いろんな仕事をしてきたが、この時代はルネさんが主役で、あくまでも竜さんは、陰の存在だった。
 
 それが『薔薇族』を創刊したときから、今度は主役の座についた。表紙絵を3年間描き続け、企画もほとんど竜君が考え、好きなように雑誌を作った。
 竜君はマスコミの取材のときなどは、顔を出せないから、それはぼくの役目で、テレビに出たり、雑誌に原稿を書いたりした。
 竜君は雑誌にはスター的存在になる人が必要だと言って、不良っぽい、遊び人ぽくふるまった。
 千駄ヶ谷のマンションを訪ねても、ルネさんをぼくに3年以上も紹介しなかった。竜君はカダフィ大佐のような『薔薇族』の存在で、ぼくはスタッフをやめさせることなどしたことがないが、気に入らない人間をさっさとやめさせた。
 独裁者であり続けるために、間宮浩さんをやめさせ、三島剛さんも、そして木村べんさんもと。
 竜さんが、主役であり続けた時代の『薔薇族』は、いきいきとして輝いていた。昭和の日本のゲイの世界を知るには、『薔薇族』を読まなければ、ゲイ文化を語れないような雑誌を作りあげた。

 日本のホモ・ポルノの草分けというべき、写真家の「大阪のオッチャン」の存在は大きい。『薔薇族』が登場する前に刊行された、会員制の雑誌『アドニス』なども、彼の写真がなければ作れなかった。
 創刊号も2号もオッチャンの写真で、出すことができた。2号目はグラビアで、オッチャンの写真を載せた。
 本を見てオッチャンは「ええ、出来ですわ。」と、すぐに電話をくれた。すごくよろこんでくれたと、竜さんは書いている。
 自分の作品がきれいに印刷されたのが初めてなら、それが一流書店にも堂々と並べられたのも初めてだった。(しかし、陰毛が見えるというので、警視庁の風紀係に呼び出されて、ぼくは始末書を書かされてしまった。)
 
 藤田竜君の活躍で、『薔薇族』は、オーストラリアの国立国会図書館、アメリカの名門大学の「エール大学」そして、「早稲田大学」の図書館にも残されている。
 藤田竜君も満足に思うに違いない。藤田竜君、本当に長い間、お疲れさまでした。
 
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イラストは藤田竜さん画。ユーモアがあって、そしてやさしい感じだ


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コメント

木村べんさんの絵の実力は、すごかった。

投稿: | 2012年11月 9日 (金) 10時47分

>昭和の日本のゲイの世界を知るには、『薔薇族』を読ま>なければ、ゲイ文化を語れない

薔薇族の功績は否定しませんが、さぶもアドンもありますがね。

投稿: | 2012年10月21日 (日) 05時58分

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