古き良き時代の香りを守り続けて
日本の文化、芸術は、まさにゲイの人たちが担っているのだから、誇りを持って堂々と胸を張って生きていこうと、ぼくは『薔薇族』の読者に言い続けてきた。
そのことを証明できるような本、『ありがとう さようなら』(平成15年5月3日・黒野利昭を偲ぶ会発行・編集 高橋睦郎・制作 邑心文庫)を見付けだした。
新宿2丁目にあった、ゲイバア「ぱる」その後、独立して「クロノス」のマスター、クロちゃんを偲んで出された本だ。
ゲイバアのマスターが亡くなって、そこを訪れていた、お客さんがそれぞれの想いを綴って一冊の本にするなんてことは、かつてなかったのでは。
それも66名の方々が寄稿している。その方々のお名前を書くことはできないが、それこそ日本の文化、芸術を担って活躍している人たちで、誰もが知っている人たちが、数多くいる。
亡くなって5ヶ月後に催された銀座アスター新宿店でのクロちゃんを偲ぶ会に出席された方は、160名にもなったそうだ。
多くの文化人、芸術家に愛された、クロちゃんって、どんな人だったのか。
『薔薇族』が創刊された、1971年頃の新宿2丁目には、ゲイバアは2、30軒しかなかった。ゲイバアの扉を開けるには、かなりの勇気を必要とした。あっち見て、こっち見て、人に見られていないかを気にして、扉を開けていた。
そんな時代に、読者からゲイバアを教えてという電話がかかってくると、ためらわずクロちゃんが働いている、2丁目の「ぱる」を紹介した。
もちろん、ぼくも「ぱる」を訪れて、安心してすすめられるお店と確信したからだ。「ぱる」は、その頃から珍しくチケット制になっていたから、明朗会計でボラれる心配なく安心して呑める店だった。
扉を開けると、クロちゃんが「あ~ら、いらっしゃい、美少年」と呼びかけると書いている人が多いが、それは少し後になってのことで、「あ~ら、ブスいらっしゃい」と、呼びかけて、お客さんをいびるのが、クロちゃんのつねだった。
それに負けずにお客さんがやりかえす。それが面白かったのだが、面白がる人と、反発するというか、まともに受けとってしまう、お客もいたようだ。
経営者とうまくいかなくなって、独立してお店を出した。その名前は、高橋睦郎さんの命名だとされていて、ご本人は記憶はさだかではないというが「クロノス」ギリシャ神話の神の名のようだ。
「ぱる」にいた頃のクロちゃんは、いつもぴしっとスーツを着て、ネクタイも付けていた。紺系統の地味なスーツだったと記憶している。クロちゃんは昼間は、霞ヶ関のお役所に勤めていて、仕事が終わると店に入るという、噂話を聞いたことがある。
クロちゃんの芸術全般の造詣の深さは大変なもので、映画、演劇はもちろん、オペラやバレエ、歌舞伎と知らないものはない人だったから、お店のお客さんと、どんな話でも相手になれた。文化人、芸術家が訪れてくるのは当然のことだ。
からだの具合が悪くて、自転車に乗って東京女子医大に行き、待合室の椅子に座って待っているときに倒れ、そのまま亡くなってしまった。動脈瘤破裂によるクモ膜下出血が死因だそうだ。
クロちゃんは古き良き時代のゲイバアの香りを守り続けた最後の人だ。お客さんがみんなで原稿を書いて本にするなんて、クロちゃんって幸せな人だったのでは。
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