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2011年11月12日 (土)

今でもはっきりと覚えている東大生の死

 毎年、日本中で3万人以上の人が、自らの生命を絶っている。その中で内向的なゲイの人の比率は高いのでは。

『薔薇族』を創刊以来、覚えているだけでもかなりの人の死に直面してきた。『薔薇族』の誌上で活躍してくれた、長谷川サダオ君のことは忘れることができない。

 タイのバンコクのホテルで自殺した長谷川サダオ君、現地の警察の人が、お兄さんにサムライのような死に方だと話したそうだ。
 この手紙が伊藤さんのところに着くころには、ぼくはこの世にいないでしょう、なんて言ってくるような人は死なない。
 自殺する人は誰にも黙って死んでいく。

 忘れられない東大生の死。古い話だが昭和50年の10月25日の読売新聞の社会面トップに「東大生不安の自殺・母の看病半年、葬式の翌日」と、大見出しで載った。長い看病のかいなく母親に先立たれた東大法学部の4年生が、母の葬式を出した翌24日、あとを追うように自殺した。
 祖母と妹という母子家庭の中の男1人。レポート用紙の日記には、看病疲れのほか、卒業、就職を目前にした不安が書き残されていたが、葬儀の席で気を強く持とうと自ら誓ったのもつかの間、23歳の若い生命を絶ってしまった。
 もっと強く生きることはできなかったのかと記事は書き出し、その詳細をつづっている。その小さくのった顔写真を見たとき、ぼくは一瞬、背すじの寒くなるのを覚えた。○○君、忘れもしない、彼だった。

 彼が第二書房のすぐ近くの駒場にある東大の教養学部に通う学生であったころから、何度か訪ねてきたことがあった。東大生で訪ねてきたのは彼一人だったから、忘れっぽいぼくでも、はっきりと覚えている。
 初めて彼と会ったとき、父のいない彼が、長男として家族の期待が、一身にかかっていることの重荷を彼は話してくれた。
 男好きであっても、まだ一度も男とのセックスの経験がないことと、仲間がいない寂しさを彼は語ってくれた。
 気が弱そうで、なんとなく暗い彼を感じていた。そんな彼を新宿のゲイバアへ連れて行ったことを覚えている。

 それから1年以上も会わなかったが、昭和50年の春ごろ、大学生ばかり集めて会を開いたときに、たくさんの大学生にまじって、彼の元気な顔があった。そのときの印象では、前と違って大人っぽくなったし、なにか明るくなったように見うけたのだが……。

 大学生の集会も何度か開いただけで、たち消えになってしまい、その会に出席した中の一人だった彼の悩みを解消してあげることができなかった。
 就職のこと、母の死んだこと、ゲイの人って母親の存在は大きい。母の死はショックだったと思う。しかし、心の片すみに男が好きだということが、どれほどの重みになって、彼の全身にのしかかっていたことか、それを思うとぼくの心は苦しい。
 ぼくを訪ねてくれたこと、大学生の集会にまできてくれた彼に、生きる力を与えることができなかったことをくやむばかりだ。

 おそらく彼はぼくに期待して、訪ねてきたと思う。親にも兄妹にも言えない悩み、苦しみをみんなが持っているのだから。
 時代が急速に変わって、ネットの時代、ネットを通じて仲間を見つけることができるようになってきたのだから、もう彼のような死は過去のものなのかも知れない。
 そう思いたいが、世の中、変わってもゲイの人たちにとって、悩み、苦しみは果てしなく続くのでは……。

017
江戸時代の男色のイラスト

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コメント

拝読して胸が痛みました。
自分はゲイではありませんが、親から心理的虐待を受けてきました。
世間で生きていく上で常に生きづらさを抱える者として、
以前からゲイの方々に共感をよせて参りました。
ゲイの方々の悩みや苦しみが報われる日が来ることを願ってやみません。

投稿: アーシー | 2011年11月22日 (火) 20時56分

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