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2011年12月

2011年12月31日 (土)

昔の人は男も女も辛抱強く、我慢した!

 ゲイの人にとって、今はいい時代になった。30年、40年前は、30歳を過ぎて結婚していなければ、「ちょっと変じゃないの」と思われたものだ。
 今の時代、男も女もひとりで暮らしている人が多くなってしまった。それはいろんな理由があるのだろうが、ひとりでいても、とやかく言われなくなったことは確かだ。
 1979年の12月号の読者の投稿欄に載っている、「必死に妻を愛す」は、泣けてくる。どんなにつらかったことか。

「私は自分のいまわしい性に気がついたのは、中学生のときだったろうか。友人が性にめざめて彼女をつくって、せっせとラブレターを書いたりしているのを、私はさめた目でそれをみつめていた。
 自分の愛すべき対象が女ではなく、男であることに、私はひとり悩んだ。ものの本に、青春の一時期、同性を愛することがあるが、これはほんの過渡的なもので、時がくれば自然に異性愛に目ざめるものである、と書かれているのを見て、いくらか救われた気持ちであった。私もいつかは女を愛せるようになる……。
 しかし高校生になって、私の心の中でいっそう男を求める気持ちが、強くなったのを感じたとき、私は愕然とした。
 ――私は女を愛せない、結婚できない、あたたかい家庭もできない、子供もできない。神は私に天涯孤独でいろというのか……。
 男を求めてはいけない、早く普通の男に戻ろう、という私の意志とは反対に、私の目は、いつの間にか男を捜していた。
 そんなとき、私は激しい自己嫌悪を覚え、絶望的になるのだった。普通の男になりたいと思えば思うほど、私の意識とは反対に、心の中のどこからか、それとまったく同じ量だけ、男を求めるいまわしい感情が起こってくるのを、私はどうすることもできなかった。
 私は三度、女性と見合いをした。相手の女性から嫌われるようなことばかりしたにもかかわらず、不思議にも三人とも、私との結婚を望んだ。
 三人目の女性を母が選んだ。私は自分の結婚相手すら選ぶ資格のない男である。私たちは結婚することになった。私、二十五歳、妻二十三歳である。
 これで私も普通の男になろう。こう決意する私は、これから起こるかもしれない、恐ろしい展開を考えて、不安におののくのだった。目前にせまった結婚を前にして、私は眠れない日が続いた。
 結婚式が終って新婚旅行での初夜、私は生まれて初めて女に挑んだ。妻も初めてであった。当然のように私たちはできなかった。
 普通の男女でも初めて同士だったら、結合できずに初夜を終えることが多いそうだ。私の場合は、初めてということに加えて、女を愛せないという意識がある。そんな私が上手にできるわけがなかった。
「ごめん、やっぱりできない」
 がっくり肩を落として屈辱に耐えている私に妻は言った。
「できなくてもいいの、最初からうまくいかなくてもいいの、こういうことは何年も、何十年もかかって、二人でつくりだすものよ。ねえ、夫婦ってそんなもんでしょう。」
 最初がダメでも、これから二人して力を合わせてやっていけば、必ずなんとかなる。妻はこう言うのだった。」


 三人目の女性を選んだ、母親の目が確かだった。頭のいい奥さんだったに違いない。奥さんも処女だったのが幸いだったので、男を何人も知っている女だったら、うまくいかなかった。とにかく昔のゲイは辛抱強く我慢した。女好きの男も同じことだ。(つづく)

33

木村べんさんがNikonのカメラを愛用していた。CMではありません。

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第4回「伊藤文学と語る会」 
 
2月4日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出も自由です。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858
※テーマなしで自由に語り合います。どなた様もお気軽にお越しください。

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2011年12月26日 (月)

人間だれしもが変態的な傾向が

31b  ゲイの人の初体験をこの人はこのように列記している。

★中学時代に先生から宿直室に遊びにくるようにと言われて、泊まって教えられた。
★いとこの親類の家に泊まったときに教えられた。
★兄と一緒にいて教えられ、今でも関係が続いている。
★修学旅行で同級生から教えられた。
★自分の家の住みこみ店員から。
★映画館のうしろの立見席で、いたずらされて。
★同じ職場に入ってきた青年と親しくなって。
★銭湯の浴槽の中で触られて。
★軍隊で。
★電車の中で触られて。
★本を読んで。
 とにかく何百人の動機を要約すれば、大体以上のどれかで、圧倒的に他人から教えられるのが多い。これらの人々が、また次々と人に教えていくのだから、その増え方は並大抵ではない。
(ぼくが付け加えるとしたら、今の子供はみんな子供部屋をもっていてカギをかけて親も入れさせないから、学校の友だちというのが多いかも。少年時代に大人にひきこまれたとしても、ある年齢になれば女好きの男の子は女を愛するようになってしまう。ゲイの人に触られたからといってみんながみんなゲイにはならない。)
 職業的に見るなら特に多いのはサラリーマン、公務員の事務系統の人々で、職種は政治家から、警察官までを網羅し、バーテン、ボーイ、理髪師、芸能人なども多い部類に入る。
 肉体労働者には非常に少なく、外国でも特にフランス、ドイツ等、文明度の高い国ほど密度が高いことは、知性の高さと、同性愛の間には大きな相関関係があるものと言える。
 温和で内気という根本的なものが、すべての面に見られる。たまたま粗暴であり、情熱的であり、男性的であってもそれはすべて、満たされない気持の変形であって、そのじつ内に秘めたものは、孤独、わがまま、内向性、清潔等であり、弱々しい性格の上に形造られている。
 そのような精神的、職業的、環境から導き出される趣味は当然、音楽、映画の鑑賞、読書等が圧倒的に多く、外見も先づ端正・清潔なものがほとんどである。

(ゲイの人って自分のことしか考えないから、この人のように、ゲイ全体を観察して、文章にする人は少ない。名前も住所も、いつ書かれたものか、まったく銘記されていないが、おそらく教師だったのでは。)
 同性愛が果たして変態かどうかということは断言できない。現在の精神医学でも、心理学でも性的倒錯の一つに数えられているが、今日のように、かなり多数の男子がその経験をもち、性欲のはけ口として、相当の率を示している以上、単に異常だと断定することはできないだろう。
 同性愛者自身は、どう思っているかというと、変態と思う者45%に対し、思わない者が55%ということは、半数以上の人が、変態とも思っていない。
 しかし、人に知られてもかまわないかどうかという点では、知られたくない者が大部分であり、知られてもいいという者の大半は、男娼やゲイ・ボーイで、社会的羞恥心の欠如した者である。
 人間、誰しも何らかの変態的な傾向があり、どこからどこまでもが正常で、これから先は変態だという一線をひくことはできない。

 長い文章なので、全部を載せることはできないが、40年前にガリ版で、ご自分の意見を残したことは、今の時代とどう変わっているかを知る上にも貴重だ。
 色あせたガリ版刷りの小冊子、先人が残してくれたありがたい資料といえよう。

31a

初期の頃のイラストは幼稚だった

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第4回「伊藤文学と語る会」 
 
2月4日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出も自由です。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858
※テーマなしで自由に語り合います。どなた様もお気軽にお越しください。

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2011年12月24日 (土)

ゲイのことを「そどみあ」といっていた時代のこと

30b 謄写版(原紙に鉄筆やタイプで書き、スクリーンにはりつけて印刷する。手軽な印刷機で、職員室や、どこの会社の事務室にも置いてあり、現在のコピー機の役目をしていた。芝居の台本、映画の台本も、プロの謄写版屋さんが印刷した。)で印刷し、針金でとじられ、色あせた印刷物が、ぼくの手許にある。
 おそらく『薔薇族』が創刊された頃(40年前)に読者から送られてきたもので、原稿を書かれた方は、軍隊生活を体験された、年配の人だろう。
 貴重な資料なので、若い人にも知ってもらいたいものだ。タイトルは「第三の性―そどみあの果て―」とある。同性愛者、今でいうゲイの人たちのことだ。
 40年前のゲイの人たちが、どんな状態だったのか、どんな行動をしていたのかを伺い知ることができる。今から考えると間違っていることもあるが……。

 
 男性の同性愛の増加は、いづれの国に於いても、戦後の混乱期に於いて急増されるものであって、日本でもその例にそむかず、今日ではその実数をつかむことが不可能であると思われるほど、一般男子社会人の間に広がっている。(戦時中はすべての面で抑圧されていたものが、戦後、解放されて、同性愛者だけでなく、性の自由が叫ばれ、エロ本が氾濫した。しかしいつの時代でも同性愛者の数は同じで戦後になって隠れていたものが、表に出てきただけのことだ。)
 都会、特に東京、大阪等の都市では、ゲイバアなどの特定の場所に制約されることなく、公園、トイレ、映画館、路上、車中と、ありとあらゆる場所で、性愛の相手を求める人々がひしめいていると言える。
 第三者は性的倒錯者として、排斥するのみであり、当事者にしても真に同性愛の自己の体内に発した根源を覚り、世の多くのソドミアたちの傾向を知り、どのように進みゆくものかを知っているものは少ないのではないだろうか。
 同性愛は古代からあったもので、旧約聖書や佛典にも多数の記録がありますが、あまり遠い昔のことはさておき、性生活調査のキンゼイ報告によれば、男子の50%は同性愛的な反応を持っていると報じられています。
 100人のうち、50人といえば、あるいは大げさに感じるかも判りません。しかし、今日の日本の状態をみると、男子100人のうち、30人は、この傾向があるといえるでしょう。ただし、この傾向は都会を中心にしての統計ですから、農村地方を対象とした場合は、もっと比率は下がるでしょう。
(アメリカでも地方では、ゲイの人は住みにくいので、大都会に移り住む傾向があるので、その比率は高くなるのは当然です。日本でも同じことはいえると思います。ぼくは100人の男性の中に、、6、7人と考えています。3割もゲイの人がいたら、もっと『薔薇族』は売れていたと思うので。)
 とにかく40代、50代の中年以降になって同性愛に興味を持つ人のいかに多いことか。そして、その人口の対象がすべて愛くるしい少年(15、6歳から20歳)に向けられるのですから、その増え方はねずみ算式であり、現在の中・高校男子生徒の同性愛に対する知識と、経験は当人の考えつかないほどです。
(この時代は同性愛を知る情報が少なかったので、気づくことがおそくなったのでは。対象が少年だけというのも間違いで、男の好みは千差万別です。)

30c  同性愛が先天的なものか、後天的なものか分からないと、この人は書いているが、同性愛を研究する学者が少ないから、まだまだ分からないことだらけだが、分からないほうがいいのかも知れない。この人の話、まだまだ続く。

30a

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第4回「伊藤文学と語る会」 
 
2月4日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出も自由です。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
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とんでもない質問をお医者さんに!

 銀座の「三越」の前を通り過ぎて、歌舞伎座に向かって歩いて行くと、少し道路からひっこんだところに、三原橋交番がある。その先のビルの4階に「三原橋医院」と、窓に看板がめだつ泌尿器科専門の医院があった。
 先生がゲイのことをよく理解してくれる方なので、この医院を読者に紹介したものだ。オチンチンの病気は、『薔薇族』の読者にとって、どこにでも診察に行けるものではない。やはり理解してくれる先生に診てもらいたいと思うのは当然のことだ。
 梅毒がかなり流行したことがあって、この先生に話を聞いて、誌上で注意を呼びかけたことがあった。それが効き過ぎて、ゲイホテルのお客がへってしまって、ゲイホテルから文句を言われたこともある。
 藤田竜君が、この先生に「男と男の医学・16のギモン」と題して、『薔薇族』の別冊『青年画報』の第1号に、とんでもない質問を先生にしている。

●精液は栄養になるの?
 飲んじゃったけど、大丈夫でしょうかという電話がよくあるようですが、精液というのは、普通の人で4CCぐらい、ティースプーンで2杯ぐらいのものだし、そのうち90%は水分で、残りの10%がタンパク質みたいなものと考えていいでしょう。
 カロリーからいうと、タンパク質1グラムは、4カロリーだから、16カロリーぐらいで、栄養的にみたら問題にならない。だから栄養的に考えてもどうということはないし、飲んでも別にさしつかえないと思いますよ。
 精虫というのが、1CCの中に7千万ぐらいいるんです。だから4CCとすると、2億から3億ぐらいの原虫を飲んだことになるね。
 精液というのは睾丸でできると思うでしょうが、そこはむしろ精虫だけなんです。あとは前立腺というところと、精のうでほとんどができるわけです。前立腺というのは、いわゆる水っぽい液を出すところだし、精のうというのは、いわゆるゼラチンみたいなものを出すところなんです。
 
●精液の味と匂いの主成分はなに?
 栗の花の匂いだとか言われていますけれど、いろいろ調べてもはっきりしませんね。クエン酸とか、フラクトーゼとか、酸ホスファターゼとか含まれていて、そういうものの混じり合ったにおいのようですね。
 精液を飲んだことのある人は、分かると思うけれど、ちょっとしょっぱいような感じがすることが多いと思うんです。ですから弱アルカリ性なんです。それが外へ出て空気に触れると酸性になります。
 
●若さを保つヒケツは?
 何かを常に求めているということが、若さの一番のもとだと思うんです。私は精神だろうと思いますよ。
 うちで診察していても、ホモの人たちはほんとうに若いんで、びっくりしますね。ですから何かを求めるということが、若さのの秘密でしょう。既婚、未婚を問わずです。
 それからいやなことは忘れるということ。忘れる技術というのは、若さを保つのに一番だと思いますよ。いい思い出だけを思い出していたら、若さを保てると思います。精神だと思いますね。
 
 三原橋医院の先生には、本当に読者がお世話になりました。日本で最初に映ずの検査をやったし、エイズが日本に上陸した頃には先生は大活躍でした。
 ぼくよりずっと年上だったから、今頃、どうしておられるだろうか。中元や、歳暮の季節になると、誰よりも早く、豪華なハムなどを送ってくれたっけ。
 16のギモン、みんな紹介したかったけれど、こんなこと書いて女性に嫌われるかも知れないから、このへんで。
 

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第4回「伊藤文学と語る会」 
 
2月4日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出も自由です。
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2011年12月19日 (月)

愛することにかわりはない!

 ぼくの『薔薇族』の相棒、今は亡き藤田竜君が、ひとりで企画を立て、編集もして、不定期で出版された『青年画報』は、週刊誌大で『薔薇族』の別冊として出されたものだ。
 昭和54年(1979年)に第1号が出て昭和56年(1980年)に第8号を出して廃刊になっている。
 定価は千円、写真もいいモデルを使って、今、アメリカで活躍している木村健二君、黒田清次君が見事に男を活写している。
 藤田竜君は、ゲイ雑誌に、ゲイの文化、芸術を注入した功労者と言えるだろう。その頃藤田竜君は、新宿2丁目に「ドラゴン」というゲイバアをやっていたが、「あとがき」に「ホモバアで、もうかるわけがない。ま、楽しみはいろんな人と話ができるというくらいのもので」と、こぼしているが、そんなに長くは続かなかったが、そこで知り合った、吉井進太さんという方を『青年画報』に起用している。
「現代男色短歌コレクション・サーディの薔薇」とタイトルにある。サーディとはペルシア3大詩人の一人で、美少年を讃えた『薔薇園』は有名だそうだ。
 万葉集のなかにも男同士の愛を歌った作品があるそうだが、吉井さんが選んだ作品の中には著名歌人の作品もあるが、あえて「読み人知らず」として紹介している。
 男同士の相聞歌があっても不思議なことではない。愛することにかわりはないのだから。
 
栗の花の香る小道を頬そめて一直線に少年が過ぐ
 
「栗の花」の匂いと、精液の匂いと、似かよっているというが、「一直線に少年が過ぐ」という表現は、性に目ざめた頃の純な少年を見事に表している。
 
酒飲みてたやすく君と抱き寝る君のポマードの香につつまれて
 
 レトロな感じのする歌だ。今どきの若者はポマードなどをべったりと髪につけないだろうが、昭和の時代の若者は、みんなポマードをつけていたものだ。
 
唇(くち)少しあけて電車待ちぬる若もの君のわきにわれ立つ

「唇少しあけて」というのは意味深だ。そばに立った男は、もう興奮して勃起しているのかも知れない。
 
妻を思へば涙ぐみつつ男抱くああ錯覚に燃え立ちにつつ
 
 吉井さんは、この作品にこう解説をつけている。「結婚はホモ・セクシュアルの魔道からの逃避だった。当然、最初から夫婦の仲はうまくいかなかった。妻が知っているかどうかは分からないが、何かがうまくいっていないこと、彼女にも分かっているらしい。気付かないわけがない。
 妻に知られても今は平気だが、子供にだけは知られたくない。考えただけでもゾッとする。」
 これは吉井さんの本音だろう。この時代のゲイは、女性と結婚しないわけにいかなかったのだ。どんなにつらかったことか。女性にとっても。
 
足跡を砂丘にのこし水夫去り耐えて晩夏の恋は終わりぬ
 
 吉井さんは、かなりのインテリで解説は難しい。男同士の相聞歌ばかりを集めた歌集があったら、読んでみたいものだ。
 
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第4回「伊藤文学と語る会」 
 
2月4日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出も自由です。
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2011年12月17日 (土)

昭和の夢の名残を残した、高級喫茶「古城」

 今時、こんなゴージャスな喫茶店があるなんて想像もできない。それも上野から浅草に抜ける大通りから、右に入った裏通りの地下に、ひっそりと残っている。
 高級喫茶「古城」(こじょう)と、看板にあるのだから、すごい喫茶店であることは間違いない。
『薔薇族』が廃刊になって、しばらくしてから、上野にある「英和出版」が、復刊させたいという申し入れがあって復刊させることができた。「英和出版」のビルがある裏通りに、「古城」があって、「英和出版」を訪れた帰りに、必ず「古城」に立ち寄った。
 一年も持たずに、また廃刊になってしまったが、「古城」を知っただけでも、大きな収穫だった。

 塩沢槙さんの『東京ノスタルジック喫茶店』にも当然のことで紹介されている。
 店の創業は、昭和38年(1963年)、今から48年も前のことだ。その頃の表通りは仏壇屋街で、裏通りは寂しい通りだったに違いない。
「古城」を出たところに路地があり、その両側の家は、戦前の建物で、なんとも言えない下町の風情を残している。

 その路地の奥の右側に「大番」という小さな看板が見える。ゲイの世界での出世頭のひとりで、新宿の歌舞伎町にも大きなホテルを持っているオーナーの店だ。
 かなり前のことだが、歌舞伎町にゲイホテルをオープンさせたときに、オーナーにインタビューしたことがあった。そのオーナーも今年亡くなられたそうだが、世代交代の時期になってきているのだろう。
 上野にあったホテルに警察の手入れがあったときに、知り合いの刑事が逃がしてくれたという若き日の話も聞かせてくれた。
 新しく建てたゲイホテルが手入れをされないように、ホテルとしてのあらゆる許可を取ったと話してくれた。アメリカでもゲイバアがたびたび警察の手入れを受け、それに反発したゲイたちが立ち上がった。そんな出来事が、この路地をのぞくと浮かんでくる。

「古城」は店主の松井京子さんのお父さんがオープンさせたお店だ。いったいこんな豪華な造りの内装費って、どのくらいかかったのだろうか。
 椅子席が69席とあるが、こんなゆったりとした椅子を置いている店なんてどこにもない。シャンデリアもすごいし、ステンドグラスも見事だ。床も大理石、まさにヨーロッパの古城を思わせるたたずまいだ。
「古城」は店主とおしゃべりするところではないし、お客さん同士が知り合える場所でもない。ただただ、この豪華な空間にいることだけで、ほかに何もいうことはない。

 ぼくとお付き合いしてくれている、20代の女性が、「古城」の話をしたら、ぜひ行ってみたいというので、東急プラザ5Fの喫茶店「SHALIMAR」で待ち合わせて、「古城」に行ったのだ。上野駅から歩いて、4,5分のところだ。
 バブルの時代は、お昼どきにはお客さんが入りきれないほどで、ところがお客さんはおじさんばかりだったとか。
 銀座にあれば、コーヒー代は千円はとるだろうが、バブルがはじけて、デフレの時代になっても生き続けてきたのは、店主がいろいろと工夫してきたからだろう。
 料理好きの主婦をやとって、食事も出している。ぼくはカレー、彼女はハンバーグをとった。もちろんコーヒー、紅茶もセットでついている。それが安くておいしいのだ。

 今度本を出せたら、キャバレーではなくて、ここを借りきって、出版を祝う会をやりたいと夢みている。とにかく「古城」の門を開けてほしいものだ。

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「古城」の地下に入る入口

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重厚なシャンデリア

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大きなステンドグラスは目をうばう

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床には大理石が敷きつめられて

27e
「古城」のすぐ脇の路地

(台東区上野3―39―10 B1F 電話03―3832―5675 定休日 日・祭)

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2011年12月12日 (月)

純喫茶「邪宗門」は、神さまだ!

『東京ノスタルジック喫茶店』(定価 ¥1800+税 発売 河出書房新社)2009年4月に刊行された本だ。
 著者は塩沢槙(しおざわまき)さん、写真家・文筆家・30代の女性で、ロンドンへ留学、帰国後、駒澤大学文学部国文科卒とあるから、ぼくの後輩だ。
 こういう後輩に会ってみたいと思うが、国文科の同窓会に出てくる人は、ほとんどが教師ばかり。ぼくみたいなアウトローは、はみ出し者で、あまり歓迎されない。
 41軒もの都内のノスタルジックな喫茶店を訪問して、経営者に会い、インタビューし、写真を撮って記事に書く。そうした喫茶店を探し出すだけでも大変なこと、どれだけの時間をかけたことか。
 
 森茉莉(鴎外の長女)さんが、毎日のように通っていたという、わが家の近所の「邪宗門」。塩沢さんの本を借りようと思って、月曜日の午後3時頃、立ち寄ってみた。
 マスターは奥の部屋で、手品の道具を点検中だった。お客はだれひとりいないので、マスターにオープンした頃の話を聞いた。
 昭和40年(1965)東京オリンピックに湧いた翌年で、日本の経済は上り坂の時代、夢や、希望に満ちあふれて、すべてに活気があった。
「邪宗門」のあたりは、昭和の初め頃に区画整理されたのか、道路がごばんの目のようにきちっとした街並みだ。
 工業団地というような小さな工場が建ち並び、学生向けのアパートも数多く建っていて、そのまん中へんに銭湯もあった。
 その頃は工場にクーラーなんてないし、アパートにもないから、「冷房完備」と大書してある「邪宗門」にお客さんが集まってくるのは当然のことだ。煙草の煙が立ちこめていても誰も気にしない。混んでくれば相席なんて、これも当たり前。
 他の店がコーヒー代30円の時代に、「邪宗門」は50円。アルバイトの時給も、1時間50円。よそより高いのだから、美人が集まってくる。狭いお店にウエイターが、4、5人もいた。
 びん入りのコーラがとぶように出て、汗を流して配達人がガチャガチャいわせながら、手押し車で運んでいた光景が、今でも目に浮かぶ。
 1日、200人のお客さんが入ると、大入袋を出したら、それが毎日続いたというのだから、夢のようだ。表に竹のえん台を並べて入りきれないお客さんを待たせていた。
 そんな時代に森茉莉さんが、紅茶いっぱいで1日中ねばっていても、文句一つ言わなかったマスターは神さまのような人だ。
 それが時代が変わっても、日本中から森茉莉ファンが訪れてくるなんて、ありがたい話ではないか。
 
 この本に出てくる41軒のお店、果たして今何軒残っているのだろうか。ぼくの知る限りでは下北沢のジャズ喫茶「マサコ」と、国分寺の「邪宗門」はすでにない。
 牛丼が250円で食べられる時代、500円出しても行ってみたいという喫茶店ってなんなんだろう。
 お金にかえられないものが、その店にあるから、それは心をいやしてくれる、お店のムード、そしてマスターとのおしゃべり。
 コーヒーの味もあるが、アンティークなたたずまいは、どうしてもそのお店に行かなければ、味わえないからだ。
 マスターだけでなく、見知らぬお客さんとも知り合える。老人のぼくとデートしてくれる若い女性、このブログをネットで見れるようにしてくれている若者とも、この「邪宗門」で知り合ったのだ。「邪宗門」は神さまだ。
 
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「邪宗門」の店内

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2011年12月10日 (土)

高崎の山の上の観音さまが泣いている?

 上越新幹線の列車が高崎駅にすべりこむと、街並みのはるか彼方の山の上に、まっ白な観音像が立っている。そしてホームのすぐ向こう側に大きなビルがあり、「井上工業」と書かれているのが、いやでも目にとびこんでくる。
 群馬県の中堅ゼネコンの「井上工業」の創業者、井上保三郎さんが、私費で賄い、建立後、すべてを市に寄贈したものだ。
 
 保三郎の息子の房一郎さんが、父の意志を継いで奔走し、昭和16年4月13日に、別格本山関東高野山慈眼院は、高崎観音山に移転され、白衣大観音を前立仏と、これを護持する立派な寺院となっている。
 白衣大観音と、慈眼院は高崎のひとつの顔として、老若男女の信仰を集め、参拝客が絶えず、高崎―群馬を代表する観光地ともなっている。
 二代目の井上房一郎さんと、ぼくとの関係は、『薔薇族』の読者だったということだ。房一郎さんは結婚もしていて、長男もおられたが、30歳で亡くなっている。
 
 この時代は同性愛者であっても結婚しないわけにはいかなかった。
 1985年2月16日発行で、『井上房一郎/私の美と哲学』という本を高崎市の「あさを社」から出しているが、今から26年も前のことだ。
 房一郎さんは、1898年(明治31年)高崎市で誕生したとある。この本を出されたときは、87歳とあるから、亡くなられたのは90歳を越えていたに違いない。
 ぼくが設立した「伊藤文学の談話室・祭」にちょくちょく顔を出されていたが、若い人がお好きなようだった。
 その頃、房一郎さんは、80歳を越えていただろうが、『薔薇族』の仲間をみつける「薔薇通信」欄を利用していて、本が発売されるといち早く買い求めて、どかっと手紙を送ってきて、回送を申しこまれていた。
 
 房一郎さんとお付き合いしたことがあったという青年から話をきいたことがある。その頃の上越新幹線は、上野が終着駅だ。上野に「井上工業」の支社のビルもあったので、若者との出会いの場所は、上野の駅前の「丸井」の2階にある喫茶店と決めていた。
 そこで出会って、タクシーで浅草の安宿に青年を誘い、そこでどんなことをしていたかは分からないが、帰りに一万円をくれたそうだ。
 お金持ちなのに、お金にはこまかくて、タクシー代のおつりの10円、20円でもちゃんともらっていたというが、お金にこまかくなければお金持ちになれないのでは。
 
 ゲイであったがために、その美意識と感性はすばらしいものがあった。関東大震災の年、大正12年(1923)から、昭和5年(1930)までの足から8年をパリで過ごした。その頃のパリはエコール・ド・パリの真っただ中のもっとも古き良き時代だった。
 セザンヌを中心として、フランス・ヨーロッパの美術、文化を学んだことが、房一郎さんのその後に大活躍できた根源になっている。
 ドイツの偉大な芸術家であった、ブルーノ・タウトさんが、ヒットラーのひきいるナチスに追われ、日本に亡命してきたのを房一郎さんがかくまって面倒を見た。
 若い人は知るよしもないが「ここに泉あり」という映画は、房一郎さんが作った「群馬交響楽団」を描いたものだ。
 群馬県立近代美術館も、房一郎さんの力でオープンさせるなど、その仕事は多岐に渡っている。
 
 今、新聞に「井上工業」の見せかけ増資事件が報じられ、元社長などが逮捕されている。会社も破産手続きを申請中だ。
 高崎観音山の大きな観音さまは泣いているだろう。房一郎さんも嫌な思いをされずに、いい時に亡くなった。『薔薇族』が房一郎さんの蔭の部分で、お役に立てたのだろうか。
 
 
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写真はイタリアの古い絵はがき

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第3回「伊藤文学と語る会」 
《『薔薇族』401号刊行記念~少年愛について考える~》
12月10日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出も自由です。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858
※ますます居場所を失いつつある〈少年愛者〉の問題について、みんなで考えます。当日は、二代目編集長である竜超による401号(700円)の販売も行ないます。

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2011年12月 5日 (月)

渋谷の洋服の「青山」に、駒大国文科出身の後輩がいたなんて!

 去年、買い求めた替えズボンが、太ってしまったために、はけなくなってしまった。すぐにやせることもできず、渋谷の洋服の「青山」にズボンを買いに行った。
 
 5Fの太目のズボンが置いてあるコーナーで、品定めをしていたら、目がぱっちりして笑顔がかわいい女性が応対してくれた。
 胴回りがなんと1米。学生時代の写真を見ると、別人のようにやせている。それがいつの間にか太って、体重が76kgを越すこともある。
 2本のズボンを選んで、寸法をとってくれた。なにかの話のはずみで、世田谷から出たことがないという話から、大学は駒沢大学だと言ったら、女性が「えっ」という顔をして「今年3月に私も駒大を卒業して、青山に入社しました。」
「それじゃ科は?」と聞いたら、国文科だという。「ぼくも国文科だよ」ということで、急に親近感を持ってしまった。
 国文科の卒業生って、そんなに多くはない。それに大半が地方から上京してきた学生がほとんどだから、出会うことはまれだ。
 下北沢の古書「ビビビ」のご主人が駒大国文科の出身だというので、驚いたことがあったが、本当に珍しい出会いかもしれない。
「卒論は何を書いたの?」と聞いたら、土井光裕教授の指導で、「全然の変遷について」だと言う。まったく「全然」理解できません。
 国文学というより、言語学の部類なのだろう。国文科で習ったことは、あまり役に立たない接客業だ。
 
 北海道は函館出身の廣瀬都子さん。名刺には「ファッションアドバイザー」と、肩書きにある。
「青山」に今年の4月に入社して、かなりきびしい訓練をしてから、店に配属されたのだろう。
 ご本人は接客業がやりたくて、30社も就職活動して「青山」に入れたのだそうだ。応対の仕方も板についている。
 話をするのに、「椅子に座ったら」と言っても床の上にひざをついて、しゃべっている。30社も面接したというので驚いたが、少ない方で、100社ぐらい面接する学生が多いのだそうだ。
 一度も他人さまに使われたことのないぼくには想像もできない。今の世の中、狂っている。大学を出ても卒業できる学生は、6割をわるという。
 若い人がこんな状態では、40代、50代の人が就職先をみつけるのは大変なことだろう。それも3年が終わる頃から就職活動を始めるというのだから、落ち着いて勉強などしていられないのでは。
 ぼくの長男が就職する頃は、バブルの時代、それも京都大学の理学部を出ているのだから各社からお呼びがかかって逆に選ぶのが大変だったのだから、今から考えると夢のような話だ。息子は「ソニー」に入社して、もう20年近くになる。
 その頃の印刷屋の社長は、沖縄にまで足を運んで、高校の先生につけ届けをして頼みこんで、働き手を探して歩いたものだ。
 
 誰がこんなひどい世の中にしてしまったのか。渋谷の駅前、センター街に入って、すぐ右側にある洋服の「青山」。三浦友和君をCMに使っている。
 今、「青山」は、半額セール中だ。駒大国文科出身の廣瀬都子さんが、笑顔で迎えてくれるから、ぜひ5Fの売場を訪ねてほしい。
 近く駒大国文科の同窓会があるので、最長老になってしまったぼくが、若い孫のような廣瀬都子さんを応援してあげようと思う。
 
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第3回「伊藤文学と語る会」 
《『薔薇族』401号刊行記念~少年愛について考える~》
12月10日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出も自由です。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858
※ますます居場所を失いつつある〈少年愛者〉の問題について、みんなで考えます。当日は、二代目編集長である竜超による401号(700円)の販売も行ないます。

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2011年12月 3日 (土)

抑圧された中で、永遠の解放を憧れ続ける! ―少年愛者の叫び!―

 37年も前に、ひとりの中学校の教師が、少年愛の人たちの世界が、いい方向にと思っていた夢や、希望がだんだんに悪い方に向いてしまっている。
 児童ポルノを持っているだけでも逮捕されてしまうなんて、無茶苦茶な条例が京都府の議会で通ってしまったのだから……。

「私たちは教育に情熱をかけることで、激しい欲望を懸命に解消している真面目な教師なのである。そして毎日、教えているクラスの好きな少年を思い浮かべながら、よい授業をすべく、明日の授業の教材研究に心血をそそいでいる。

 先日、朝日新聞の海外ニュースの欄で、アメリカのある教育学者が、「同性愛者は教育者にふさわしい」という研究論文を発表したことを報じていたが、私もその論旨に賛成である。
 なんといっても子供への愛情は、一般の教師より、ことのほか深いし、「差別と選別のための教育」と問題にされている現在、差別され疎外される者の気持を最もよく理解できるのが、ホモや少年愛のわれわれではないだろうか。非行に走りやすい子供をどこまでもあたたかく寛容に抱いてやれるのも。(中略)」

 少年愛者よ、頑張っていこう。私たちの苦しい姿の一部を紹介した。

 時おり耐えきれなくなって、犯罪者のらく印や、社会的失墜を恐れて、一生を悶々と老いていくのが馬鹿らしくなり、思いきった行動に出てしまおうなんて考えるときもあるが、やはり相手は未成年者がほとんどなんだから行動に及ぶことだけはまずい。
 これだけはお互い厳しく自戒しておくしかない。以前、伊藤編集長も書かれていたが、時おり少年愛の人の犯罪が新聞や、週刊誌にのるのは、気持がよく分かるだけに、とても悲しい。結果は当人と少年双方に、生涯、傷がつくだけである。

 しかし、考えようによれば、厳しく制限され、抑圧される中で永遠の解放を憧れ続ける姿こそ、真の恍惚境かもしれないのだ。よろこびというものは相対的なもので、欲望の解放が完全に保障された中では、真の幸福からは遠ざかる。
 われわれの感じる少年のエロチシズムは、女色者の見る女のエロチシズムより、はるかに神秘的ではあるまいか。

 ところで最後に同性愛に悩む少年諸君へ。一度君の学校のお気に入りの先生に相談してごらん。ひょっとすると、その先生も同じ悩みの持ち主かも知れないよ。とすれば生涯の友となって語り合えるかも。
 たとえそうでなくても、先生というのは普通、いろんなことに寛容で、個人的な秘密はもらさないものだ。
 もし怒ったり、他人にもらしたりする先生であれば、徹底して軽蔑してやればよい。」


 おく・かずひろさんという中学教師からの長文の投稿だ。もうとうに停年でやめられているだろうが、その後どんな生活を送っていることか。
「同性愛者は教育者にふさわしい」というアメリカの教育学者が論文を発表したとあるがぼくもその意見に共感する。

 少年を心底好きで教師になったのだから、教育に熱心なのは当然のことだ。しかし、ある教師と対談したことがあるが、その方は自分の教えた子に手をつけたらダメです。それぐらいの自制をしなきゃ、教職は務まりませんよ。心を抱くというのはやむをえないが、手を出すということは絶対に抑えないといけない。人生を生きていくうちに、タブーというものは必ずある、と。

 少しは、少年愛というものをご理解頂けただろうか。
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第3回「伊藤文学と語る会」 
《『薔薇族』401号刊行記念~少年愛について考える~》
12月10日(土)午後2時~4時(予定) ※途中参加・中途退出も自由です。
会費なし(コーヒー代の実費のみ)
会場:下北沢 カフエ「邪宗門」
住所:東京都世田谷区代田1丁目31-1 TEL03-3410-7858
※ますます居場所を失いつつある〈少年愛者〉の問題について、みんなで考えます。当日は、二代目編集長である竜超による401号(700円)の販売も行ないます。

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