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2011年12月12日 (月)

純喫茶「邪宗門」は、神さまだ!

『東京ノスタルジック喫茶店』(定価 ¥1800+税 発売 河出書房新社)2009年4月に刊行された本だ。
 著者は塩沢槙(しおざわまき)さん、写真家・文筆家・30代の女性で、ロンドンへ留学、帰国後、駒澤大学文学部国文科卒とあるから、ぼくの後輩だ。
 こういう後輩に会ってみたいと思うが、国文科の同窓会に出てくる人は、ほとんどが教師ばかり。ぼくみたいなアウトローは、はみ出し者で、あまり歓迎されない。
 41軒もの都内のノスタルジックな喫茶店を訪問して、経営者に会い、インタビューし、写真を撮って記事に書く。そうした喫茶店を探し出すだけでも大変なこと、どれだけの時間をかけたことか。
 
 森茉莉(鴎外の長女)さんが、毎日のように通っていたという、わが家の近所の「邪宗門」。塩沢さんの本を借りようと思って、月曜日の午後3時頃、立ち寄ってみた。
 マスターは奥の部屋で、手品の道具を点検中だった。お客はだれひとりいないので、マスターにオープンした頃の話を聞いた。
 昭和40年(1965)東京オリンピックに湧いた翌年で、日本の経済は上り坂の時代、夢や、希望に満ちあふれて、すべてに活気があった。
「邪宗門」のあたりは、昭和の初め頃に区画整理されたのか、道路がごばんの目のようにきちっとした街並みだ。
 工業団地というような小さな工場が建ち並び、学生向けのアパートも数多く建っていて、そのまん中へんに銭湯もあった。
 その頃は工場にクーラーなんてないし、アパートにもないから、「冷房完備」と大書してある「邪宗門」にお客さんが集まってくるのは当然のことだ。煙草の煙が立ちこめていても誰も気にしない。混んでくれば相席なんて、これも当たり前。
 他の店がコーヒー代30円の時代に、「邪宗門」は50円。アルバイトの時給も、1時間50円。よそより高いのだから、美人が集まってくる。狭いお店にウエイターが、4、5人もいた。
 びん入りのコーラがとぶように出て、汗を流して配達人がガチャガチャいわせながら、手押し車で運んでいた光景が、今でも目に浮かぶ。
 1日、200人のお客さんが入ると、大入袋を出したら、それが毎日続いたというのだから、夢のようだ。表に竹のえん台を並べて入りきれないお客さんを待たせていた。
 そんな時代に森茉莉さんが、紅茶いっぱいで1日中ねばっていても、文句一つ言わなかったマスターは神さまのような人だ。
 それが時代が変わっても、日本中から森茉莉ファンが訪れてくるなんて、ありがたい話ではないか。
 
 この本に出てくる41軒のお店、果たして今何軒残っているのだろうか。ぼくの知る限りでは下北沢のジャズ喫茶「マサコ」と、国分寺の「邪宗門」はすでにない。
 牛丼が250円で食べられる時代、500円出しても行ってみたいという喫茶店ってなんなんだろう。
 お金にかえられないものが、その店にあるから、それは心をいやしてくれる、お店のムード、そしてマスターとのおしゃべり。
 コーヒーの味もあるが、アンティークなたたずまいは、どうしてもそのお店に行かなければ、味わえないからだ。
 マスターだけでなく、見知らぬお客さんとも知り合える。老人のぼくとデートしてくれる若い女性、このブログをネットで見れるようにしてくれている若者とも、この「邪宗門」で知り合ったのだ。「邪宗門」は神さまだ。
 
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「邪宗門」の店内

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コメント

伊藤先生、
以前お便り差し上げた際、お返事を頂いた者です。
感激して、大切にとっておいています。
邪宗門の先生と話す会には、休みがなかなか合わず、伺えないでおります。
素敵な喫茶店ともども、いつか訪ねてみたいです。

投稿: 片野 | 2011年12月13日 (火) 18時31分

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